2008年6月17日火曜日

ティオマン島の夕日

ティオマン島を去る前の日、友人たちと夕日を眺める。

ティオマン島の子どもたち

いつも上半身裸で元気に走り回っていた子どもたち。

2008年6月16日月曜日

サンドフライの恐怖

島の反対側のJuara Beachへ、ジャングルを2時間ほどトレッキングして行った。そこで1泊すると、翌朝妙に全身が痒い。背中には無数の刺され跡。地元の人曰く、サンドフライの仕業らしい。Juaraはサンドフライで有名だと言う。サンドフライというのは浜にいるごまつぶ大の虫なのだが、小さいから蚊のような羽音もせず、気付かないうちに血を吸われている。これに刺されると猛烈に痒く、しかもその痒みがなかなか引かない。夜は痒くて眠れず、気が狂いそうになる。結局私はKLで医者に駆け込み、痒みが引くまで1ヶ月かかった。

2008年6月14日土曜日

海辺のオフィス

マレーシア、ティオマン島で泊まった海辺の簡素なバンガローには机がなかったので、宿のご主人に相談して、ビーチの木陰のテーブルに延長ケーブルを引いてもらい、どんなオフィスよりも素敵な海辺のオフィスができあがった。

2008年6月11日水曜日

同業者

Dは旅の途中で初めて出会った同業者(写真左)。チェコ人の彼は、英語からチェコ語へ、小説の翻訳をしている。まだ若いのに売れっ子で、1年先まで契約が入っていると言う。うらやましい話!日本にとても興味がある彼は、よく私を質問攻めにした。私は「ほらDのどうして?ママ、どうして?がまた始まった〜」とよくからかった。

マラッカ暮らし


マラッカはとても居心地のいい街だった。ゲストハウスの1階には、朝暗いうちから開いてお昼前には閉まってしまうおいしい飲茶の店が入っていて、朝6時くらいから近所の常連さんたちが、世間話をしながらゆっくり朝食をとる。私もそこで、気のいい店員さんたちと言葉を交わしながら朝食をとるのが、毎日の楽しみだった。

2008年6月10日火曜日

ポルトガルの足跡02:マラッカ

マラッカはその海上交易上の地の利ゆえ、ポルトガル、オランダ、英国、日本の支配を次々に受けてきた。中国から南下してきた中国人男性と地元マレー系女性との結婚によりババ・ニョニャ文化という独特な折衷文化も生まれている。


そう、ポルトガルの足跡はここにもある。日本へキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルの遺骨は一時期ここに置かれていた。
覇権がポルトガルからオランダに移った後も、この地に残ったポルトガル系の人々の末裔が今もPortuguese Settlementというエリアに固まって暮らしている。毎年6月にはFesta de São Pedroというお祭りが開かれるという。このエリアに行ってみると確かに、ポルトガル風の造りの家が多く、ポルトガルっぽい顔と名前を持つ人が多いのであった。

2008年6月6日金曜日

Melaka Straits


これが「マラッカ海峡」。インドネシア、スマトラ島ドゥマイ行きの船が出ている。外の世界へ開かれた海は、いつも私の心を未知の世界へと掻き立てる。

2008年6月5日木曜日

マラッカ旅情



「マラッカ海峡」という言葉に旅情を掻き立てられるのはなぜだろう。果たしてマラッカは、白黒写真の似合う、フォトジェニックな街だった。