2009年7月27日月曜日

夜の熱帯魚たち


ウブドでは毎晩7~9の芸能定期公演が行われていて、宵闇が迫る頃には街灯にチケット売りたちが溢れ、正装したガムラン演奏者のおじさんやら、上半身裸で黒白の市松模様の腰布を撒いたケチャのおじさんやら、シータ姫やら、神猿ハノマンやら、バリスの踊り手やらが、衣装をつけたまま普通にバイクや徒歩で会場に向かう姿が風物詩となっている。私の敬愛するガムランの先生もこうした定期公演を行う様々なグループに属しているが、今度また新たなグループが結成され、そちらにも加わることになったそうだ。定期公演を間近に控えたその新グループの練習におじゃました。

会場は私が最も好きなサラスワティ王宮。蓮の池がとても美しい。サラスワティは日本で言うところの吉祥天女。弁天様だ。

普段着の踊り手たちとガムラン演奏者のおじさんたちがなんとなく集まって、なんとなく練習が始まる。私はこういう光景を見るのが大好きで、いつまでも飽きることがない。夜の海を泳ぎ回る熱帯魚を見ているような幻想的な時間だった。

2009年7月24日金曜日

Kさん・Mちゃん母娘来訪


田園都市線たまプラーザにある、とある外人ハウスに6年と3ヶ月住んだ。そう言うとよくびっくりされる。普通、人は外人ハウスに6年3ヶ月住んだりはしないものだからだ。

また外人ハウスに住んでいた、と言うとよく「外人ハウスって何?日本人も住めるの?」と聞かれる。その質問にお答えすると、外人ハウスというのは長期滞在の外国人を主な対象とした下宿屋のようなもので、普通の賃貸物件と違って契約に保証人もいらないし、デポジットを払うだけで敷金・礼金・不動産仲介手数料もいらない。また最低限の家具は揃っているので、すぐに住み始められるというものである。また日本人も住めるかどうかは経営者の方針次第である。

なぜそういうところに住んだのかというと、私はいつも外に出たいと思っていたので、敷金・礼金・不動産仲介手数料にも家具にもしばられたくなかったからだ。またなぜそこに6年3ヶ月も住んだかと言えば、居心地が良かったからである。何より窓からの景色が気に入っていた。そのことについては以前このブログでも書いたので、ここでは繰り返さない。
http://nomadmorenacokelat.blogspot.com/2008/09/blog-post_25.html

そしてなぜそこを出たのか、と言えば、居心地が良すぎたからだ。私は外に出るためにそこに住み始めたし、そこは誰もが通り過ぎていくべき場所だったから、そのままいつまでも居続けることはできなかった。会社員生活を辞めて、ノマドになると決めたとき、私はその場所も「卒業」することにした。

6年3ヶ月と言えば小学校1年生が中学校1年生になってしまう年月である。それは私の一時代だったので、部屋を出る朝はいろんな思いが込み上げてきて、管理人さんの奥さんに抱きついて大泣きしたものだ。

その時私に抱きつかれたのがこの方である。私が住み始めた頃はまだ小学生だったのにもう高校2年生になってしまった娘さんと遊びに来てくれた。卒業してもおつきあいは続く。ほんとうにありがたいことだ。人生はつくづく人との出会いだと実感する。

2009年7月19日日曜日

王子様!


ビザの関係で1泊2日のシンガポール行。

と言っても仕事の締め切りと重なり、ほとんど宿かスターバックスにこもって仕事をしていたので、バンコクに続いてシンガポールのサルサシーンをチェックするという野望は果たせず、近所に食事に出る以外ほとんど散策もできなかったのだが、それでもバリでは余り食べられない中華の炒飯(ナシゴレンではなく)や、インド料理が気軽に食べられるのがうれしい。

さて、そんな短い散策の間に、こんなショーウィンドウを見つけてしまった。

思わず「王子様!」と叫びたくなるこのきらびやかな衣装。リトル・インディアにはこんな洋服屋が軒を連ねている。写真ではちょっと見えづらいが、先がくるっと上にカールしたキラキラの靴なども置いてある。インドの方々はどういうときにこういうお召し物をお召しになるのか…おとぎ話のようなショーウィンドウに私の目は釘付けなのだった。

2009年7月16日木曜日

オダランの行列


家の前を通ったオダランの行列。お揃いの衣装を身につけ、頭に供物を載せて運ぶ女性たちの艶やかなこと。

2009年7月15日水曜日

フムス!


2008年1月に移動生活を開始して以来、食事はもっぱら外食だった。キッチンがなかったというのが最大の理由だが、中途半端に自炊するよりは外食した方が手軽で安いということもあった。が、バリ定住生活も11ヶ月目に入るとそうも言っていられなくなった。食べるところもメニューも限られているので、いい加減飽きてくる。折角今はキッチンのあるところに住んでいるし、思い切って自炊をしようと思い立ったら、これが意外に楽しい。何と言っても好きなものが食べられる。それに料理は生産的で、いい気分転換になる。

さて、そんな私の家ゴハン生活で最近どっぷりはまっているのがこのフムス。元々好きだったが、このフムスを食べるまではここまでおいしいものだとは思っていなかった。ちょっと高い(日本円で400円弱)のだが、どっしりした酸味のあるパンにたっぷりつけて食べると、これがえも言われぬおいしさ。切らすとこれを買うためだけに渋滞の中をスーパーに走る私である。

2009年7月12日日曜日

インドネシア文学


インドネシア人作家によりインドネシア語で書かれた本を2冊立て続けに(邦訳で)読んだ。

1冊目は「バリ島の人買い ニ・ラウィット」アナック・アグン・パンヂ・ディスナ著。バリの王族出身の作者によるインドネシア語での作品で、植民地時代に実際に行われていたという人買いの手先となり、果ては自分も売られてしまう女を縦糸に、当時の風俗が情緒豊かに描き出される。日本で言えば女工哀史のような趣があって、しみじみとする。それほど遠い昔ではない昔のバリ。呪術が支配する世界、日の暮れる頃から集い、カウィ語(古代ジャワ語。教養がある人しか読めない)で書かれたロンタルを吟唱し、まるで漢詩を読むように訳をつけていくという典雅な催し。是非映画で見てみたい気がする。

2冊目は「ジャカルタの黄昏」モフタル・ルビス著。こちらは独立直後のジャカルタを描いたガッツリ社会派の作品だ。官僚の腐敗、インテリたちの空疎な議論、村落から流れてきた社会の底辺を生きる貧困層… 硬派なジャーナリストであった著者によるこの小説作品は、インドネシア国内では長い間出版できずインドネシア語による原作よりも英訳が先に出たという。

インドネシア語というピジンによる文学の可能性やいかに、などという興味もあって読んでみたのだが、両方ともとても良かった。というか、そんな偉そうなことを言う前に、未だに日常会話も覚束ない自分のインドネシア語力をどうにかしろという感じですね!

2009年7月11日土曜日

アートフェスティバル閉幕


州都デンパサールで1ヶ月にわたって繰り広げられたアートフェスティバルが今日閉幕した。バトゥアン村のチュニックさんという、80歳過ぎて今なお現役という人間国宝のような踊り手を筆頭に三世代によって踊られる「ジョゲッ・ピンギタン」という古典舞踏を見に足を運んだ。

会場の風景

2009年7月10日金曜日

寒期の空


このところウブドは涼しい日々が続いている。日本の秋のような感じ。朝夕は長袖でないと寒いくらいだ。

2009年7月8日水曜日

ラーマーヤナとマハーバーラタ


「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」と言えば、世界史の教科書で習ってタイトルだけは知っているものの、読んだことのない古典のうちのひとつだったが、バリに住んでいると、これが頻繁に顔を出す。ケチャやワヤンクリッ(影絵芝居)もこうした物語に題材を取っているし、ラーマやシータ、ハノマンといった英雄の名前は常識中の常識。キリスト教国にとっての聖書のように、モラルのお手本であり、教訓であり、ヒンドゥー文化の基層を成していることが分かるので、どうしても一度は読む必要に駆られる。古典は退屈なものという先入観があって、なかなか手が出なかったが、えいと思い切って(ダイジェスト版を)読んでみたら、これが意外や意外、面白いのである!

時の試練に耐えて読み継がれる物語というのは、やはり人間の心に響く普遍性があるのだろう。ご興味ある方は是非ご一読ください!

2009年7月4日土曜日

アートフェスティバル探訪

州都デンパサールで行われているアートフェスティバルへ、開幕パレード以来行ってみた。

会場のアートセンターは、たくさんのステージ以外にも露店と食堂が軒を連ね、家族連れで賑わっていて、芸術祭というよりも、ちょっとしたレジャーセンターのようなノリなのであった。

まずはスカワティの芸術高校のパフォーマンスをチェック。もう素晴らしいのである。バリの芸能の層の厚さを思い知らされる。


そして新進舞踏家デウィ・カデ・アルヤニグループのコンテンポラリーの出し物をチェック。前半は音楽。普段はバリの正装をしてガムランを演奏しているメンバーが、ジーンズ姿で鍋や釜やコップに入れた水を使って前衛的なパフォーマンス。後半はデウィ・カデ・アルヤニが入って、前衛的な舞踏のパフォーマンス。こういうのを地元の人たちはどういう風に受け取るんだろうと興味津々で見ていたが、バリの観客の皆さんはとてもノリがいい。ここぞというところで拍手が飛ぶ。とてもおもしろかった。