2008年11月30日日曜日

お葬式

昨日ガムランのお稽古を受けたときに、先生が、明日ウパチャラ(宗教祭礼)があるから見にいらっしゃいと誘ってくださったので、朝から正装して出かけた。先生の住む村の王族のお葬式で、今日が祭礼、明日は火葬だそうだ。

午前中は川に聖水を汲みに行く儀式があり、午後は王宮の外庭でトペン(仮面舞踏劇)が演じられた。

先生は一日中、楽隊としての務めを果たしておられた。様々な楽器をこなす八面六臂の活躍振りに、尊敬を新たにした。そして、初めてフルセットでウパチャラを見学することができて、感動の一日だった。

聖水の儀式 川で汲んだ水を神官のマントラによって聖水に変えるのだろうか

行列 聖水を王宮に持ち帰る

トペン ちょっとお能に似ている

ガムラン犬 ガムランが鳴り始めると楽隊の間に陣取って、心地よさそうに寝そべっていた

2008年11月29日土曜日

頭を空っぽにする時間


週に1度、ガンサという楽器(ガムランを構成する鉄琴のような楽器)のお稽古を受けている。私はもともと一人で完結できる楽器(つまりピアノとギター)以外には余り触手が動かない質なのだが、ガムランのあの妖しく美しい音色がいったいどうやって創り出されているのか知りたくて受けたワークショップが余りに楽しくて、そんな時間を持ち続けたい余りに、そのときの先生にお稽古を申し込んだのだ。

一台のガンサに先生と向き合って座り、先生の叩いた通りにとにかく真似をして覚える。楽譜のような記録手段もないし、家に楽器もないから、とにかくその2時間に集中して覚えるしかない。歩くのと一緒で、頭で考えるとかえってうまくいかない。とにかく頭を空っぽにして体で覚える。2時間これをやると、ぐったり疲れるけれども、爽快な疲れだ。

これが楽しい時間になるのは、やはり先生のお人柄によるところが大きい。向き合ってひたすら先生の真似をするという学び方に加えて、ガンサという楽器は、二人で交互にひとつのメロディーを奏でるようになっているので、二人羽織とか二人三脚のようなかなり濃密なコミュニケーションになる*。相性の悪い人とだったら、疲れ果ててしまうだろう。先生の温くてチャーミングなお人柄のお陰で、週に一度のこの時間が、今はとても楽しみなものになっている。

* これはどういうことかと言うと、例えばアヴェ・マリアの冒頭のアルペジオ、ドミソドミソドミを演奏するとしましょう(実際にはスケールが違うから演奏できないけど)。奏者1はド・ソ・ミ・ド・を叩き、奏者2は・ミ・ド・ソ・ミを叩く。これがモザイクのように合わさってひとつのメロディーになるのです。分かりますか?

2008年11月28日金曜日

カジャン-クリオン


昨日はティラム(暗月)で、今日はカジャン-クリオン。ブト・カロ(悪霊)が悪さをしないようになだめるのだそうだ。善と悪、陰と陽、相対するもののバランスを取って生きるバリの人々。

2008年11月26日水曜日

ゲッコー(トッケイ)


「ゲゲゲゲゲ…ゲッコー、ゲッコー、ゲッコー、(この辺りから次第にトーンダウン)ゲッコー、ゲッコー、ゲッコー、グー、グー…」という何とも愛嬌のある鳴き声を初めて聞いたのは、3年ほど前、フィリピン、セブ島沖の小島、カオハガン島でのことだった。海辺のバンガローで夜寝ていると、決まってこの奇妙な声が聞こえてくる。一体声の主は何だろうと思っていたら、ゲッコー(トッケイヤモリ)という爬虫類だった。

東南アジアには広く分布するらしく、声だけはすっかりおなじみになったが、なかなか姿を見ることができない。今住んでいる家でも夕方になるといつも同じ場所から聞こえてくるので、今度こそはと思って探してみたら、ようやく見つけた。天井の桟の間にへばりついている、体長30 cmはあろうかという大型のヤモリで、水色がかったなかなかきれいな体色をしている。

いつも行くヨガのスタジオの天井にも定位置にゲッコーがいる。最近はクラスを受けに行くと姿を探すのが習慣になってしまった。夜鳴くのが習性のようで、昼のクラスではひっそりおとなしくしている。が、今日は夜のクラスだったので、ゲッコーも鳴きたい時間だったらしい。1時間半のクラスの間に一度だけ、もうどうにも我慢できないという感じで遠慮がちに鳴いたのがおかしくて、ポーズを取りながら一人で笑ってしまった。

2008年11月22日土曜日

Raining cats and dogs


“to rain cats and dogs”というのは「土砂降り」という意味の英語の慣用表現である。もっとも、アメリカ育ちの友人Rくんに言わせると、今時こんな表現はお年寄りしか使わないようだけれど。そもそもどうして”cats and dogs”なのか気になって調べてみると、北欧神話で猫は雨を降らせ、犬は風を起こす力があると信じられていたことから来ているらしい。何とも興味深い話ではないか。

さて、雨期入りしたウブドは、日本の梅雨のように一日中しとしと降り続くということはあまりないのだけれど、毎日午後には一雨来る。が、今日のはまさに、”it rained cats and dogs”だった。

私はヨガのクラスの後、街の食堂でお昼を食べていた。普通に食べて真っ直ぐ帰れば良かったものを、チョコレートムースに目がくらんだのがいけなかった。どんどん雲行きが怪しくなってきたのである。それでも店を出たときはまだポツポツ程度だったので、そのまま逃げ切れると思った私が甘かった。途中から急速に雨足が強まり、むき出しの肌に当たる雨が痛い。慌ててカメラや貴重品が入っているバックにカバーをかけ、レインジャケットを出して着る時間を惜しんで、頭から爪先までずぶ濡れ状態で家へ急いだ。

家に帰り着いて、水のしたたる服を着替え、少ししたら、雨足は更に強まり、雨の音が耳に痛いほどの嵐になった。

チョコレートムースの誘惑には気をつけなくてはいけない。

2008年11月21日金曜日

バリわずらい

この子のバリスはピカイチだった

私のバリについてもっと知りたい病は進行する一方である。今日は先日ガムランのワーショップを受けた美術館で、ものすごく高いのでものすごく悩んだのだが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で「バリのヒンドゥー教」という講座を受けてしまった。残念ながら講座の内容自体は割合一般論的なことに終始し、バリのヒンドゥー教とは一体どういうものなのか、という系統だった話が聞けなかったので、大枚をはたいただけに正直失望も大きかったが、まあそもそもここばバリだし、そんなきっちりしたものを期待する方が間違っていたのかもしれないなあ、あの大枚はバリ文化に寄付したと思うことにしよう、と思い直した。

むしろ、講座の後、受付の若い男の子たちから聞いた生の声の方が私にはおもしろかった。バリは観光客も多いし、物質主義的な文化もいっぱい入ってくるけど、若い子たちはヒンドゥー教なんてやめてしまおうなんて思わないの?という私の質問に対して、西洋文化の影響は表面的なもので、ヒンドゥー教は生まれたときからずっと生活とともにあったものだから、捨てるなんてありえないのだと彼らは答えた。外国に行ったとしても部屋の中でお祈りをするし、死ぬときはバリで死にたい、それはきっと生まれたときに胎盤を玄関先に埋めるせいだろうね、といたずらっぽく笑った。ただ外国の人たちはバリを楽しみに来るけど、自分たちはたくさん働かなくちゃならないので、あんまりバリを楽しむことができないのがちょっと残念だけど、とも。

そんなことを話しているうちに、男の子たちの踊りの稽古が始まった。小学校低学年くらいの男の子たちがバリス(戦士の舞)の稽古を受ける。稽古が始まるまでは日本の小学生と同じように遊び回っている男の子たちが、稽古が始まると「バリ人」になる。それは日本の男の子たちが放課後にサッカーや野球のクラブに行くように、自然なことのようだ。

美術館を後にして、いくつかの用事を済ませ、帰路につくと、交通規制がかかっている。オダラン(神社の創立記念祭礼)の行列だ。バリではウパチャラ(宗教祭礼)があると何をおいてもそれが最優先になり、止められた方も大人しく待つ。悪態をついたり、クラクションを鳴らす無粋な人はいない。規制が解除されるといつものように、モーターバイクや車が忙しく通りすぎていく。それは伝統と現代が交錯する不思議な瞬間だ。そんなバリに私はやられっぱなしだ。

オダランの行列

2008年11月20日木曜日

滝を見に行く

PMSで絶不調である。滝を見に行ったら、少し心が落ち着いた。

トゥグヌンガン滝

ガムラン工房見学

「バリの京都」スマラプラ

ウパチャラに遭遇

2008年11月18日火曜日

前衛


先週ウパチャラ(宗教儀礼)のため中止で観られなかったNの公演をようやく観ることが出来た。これがものすごくおもしろかった。ガムランの演奏も踊り子もすべて質が高く、グループ主催者Dのソロはさすがのオーラを放ち、最後の男性の踊り手によるコンテンポラリーなダンスは、観客を楽しませながら、古典と現代を融合し、新しいものを創り出そうという息吹を感じさせた。豊かな伝統を大切にしながら、伝統に安住しない。ウブドの芸能は今も生み出され続けている。

2008年11月17日月曜日

長い長い病院の一日


11月の初め頃からあった左目の鈍痛が消えない。鈍痛と言っても目を固くつむると左目のまぶたに鈍い痛みを感じる程度なので、日常生活に支障があるわけではないのだが、2年前にレーシック(角膜屈折矯正手術)を受けているので、心配になった。それで思い切ってクタにある大きな病院へ行くことにした。

いつも贔屓にしているドライバーのJは忙しいということなので、「この人をJだと思ってくれ」というJお墨付きのNくんを紹介してもらい、朝9時半頃、クタのB病院へ向かう。

この病院には眼科がないので、まず一般医の診察を受け、一般医が専門医の受診を推薦した場合には、外部から眼科医を呼ぶ、という手順になっていた。まだ若くきりりとかっこいい女医さんの診察によると、特に異常は見られないのだが、違和感がある以上、やはり専門医で診てもらった方が安心だろう、ということになり、私もそれを希望していたので、眼科の先生のアポを取ってもらうことになった。

ところが、眼科医の先生のアポは夕方5時半しか取れず、しかもB病院には眼科の設備がないので、デンパサールにある眼科医のクリニックまで行く必要があるという。この時点で朝の11時半くらいである。

仕方なく、たまたまお兄さんが近くに住んでいるというドライバーのNくんにはお兄さん宅で待機してもらい、私は夕方まで近くのショッピングモールで時間を潰すことになった。

こういう展開になるとは予想していなかったため、時間を潰すグッズを何も持ってきていない。しょうがないので、食堂でゆっくりお昼ご飯を食べ、お店をぶらぶら冷やかし、ドーナツ屋でコーヒーを飲み、置いてあった新聞を隅から隅まで読み、ちょうど今日お誕生日のジョグジャのNさんにおめでとう電話をかけて、ハッピーバースデーを歌った。

ようやく眼科医のアポの時間になり、クリニックの待合室で更に1時間くらい待たされた挙げ句、ようやく診察とあいなった。年配のおっとしりした女医さんに診察してもらった結果、やはり異常はなく、レーシックの跡もとてもきれいで、手術したなんて分からないくらいだそうだ。目の違和感はほこりによるアレルギーかも知れないし、疲れ目によるものかも知れない、とのことである。これで一安心だ。この時点で夜7時くらいである。

ここからがまだ長かった。いったんクタのB病院へ戻り、保険書類の手続きをし、眼科医の先生に処方してもらった薬を受け取ることになっていたが、その薬は外部から取り寄せなければならないので、30分くらい待たなければならないと言う。ようやく薬を受け取り、書類にサインをして、這々の体でウブドに帰り着いたのは夜の9時半。実に12時間の長い長い病院の一日だった。

2008年11月16日日曜日

グル(導師)を探して

ワークショップ修了証

先日、美術館主催のガムランワークショップを受けた。この美術館ではバリ文化を深く理解するための様々なワークショップが開講されていて、ガムランや舞踏、料理の他にも、「バリのヒンドゥー教」、「バリの歴史」、「バリの伝統建築」、「ヒンドゥー教占星術と数秘学」なんていうのもあって、どれもとてもおもしろそうだ。値段は少し高いのだが、前日に申し込めば受講生が一人でも開講してくれるというので、まずはガムランを受けてみることにした。

というのも、私はガムランの奏法を習いたいというよりも、一体ガムランとはどういう楽器から構成されていて、音階はどうなっていて、拍子はどうなっていて、楽曲はどう構成されていて…、要は、ガムランて一体どうなってるの?一体どういう仕組であんなに美しい音楽になるの?とまあ、そういういうことがまず知りたかったのである。ワークショップのリーフレットには「このワークショップでは、ガムランの歴史、村落的文脈におけるガムランの役割について学び、熟練奏者によるデモンストレーション演奏を見学します。各参加者は実際に楽器を演奏し、短い楽曲を学ぶ機会があります。」とあったので、私のニーズにぴったりだと思ったのである。

ところが蓋を開けてみたら、2時間のワークショップは講義の類はまったくなく、奏法のお稽古に終始したのであった。

しかし、これが結果的にとても良かったのである。ピアノでもギターでも、楽譜を見ながら弾くことに慣れている私にとって、先生と一対一で向き合って、先生の叩いたフレーズをひたすら真似して覚えるしかない、というこのお稽古は、とても新鮮だった。そして何より、私の下手な演奏に、先生がモザイクのようにからんでくると、美しい旋律が流れだし、うっとりしてしまうのである。

結局、音階だの楽器の構成だのについては分からずじまいだったが、習うより慣れろということなのかも知れない。何よりあの気持ちよさは、講義などでは味わえないものだったろう。

そのときの先生の元へ、週に一度お稽古に通わせてもらえることになった。グル(導師)と出会うことができて、とてもうれしい。

2008年11月15日土曜日

タイムカプセル


1991年から92年まで、ブラジル南部リオ・グランデ・ド・スル州の州都、ポルトアレグレという街に住んでいた。大学時代にブラジル音楽と運命的な邂逅をし、卒業式の翌日に日本語教師としてブラジルへ旅立ったのである。私にとっては初めての外国であり、今もブラジルは私にとって第二の故郷、特別な場所であり続けている。

そのポルトアレグレでお世話になった大恩人のS先生が日本に一時帰国されるという連絡が、当時の日本語学校の同僚で今は日本に住んでいる日系2世のYちゃんから入った。ちょうどYちゃんとS先生が会う時間帯を狙って、国際電話をかけた。私は一度97〜8年にポルトアレグレに里帰りしているから、約10年振りになる。今年80歳になられる先生のお元気そうな声がとても懐かしく、嬉しかった。

そして先生がおっしゃるには、私が1ヶ月下宿させていただいたお部屋をこの間整理していたら、何やら箱が出てきて、それは私のものだったそうである。律儀に取っておいてくださっているというので、どうぞ捨ててください、と申し上げたが、10年前の私が知らない間にその箱の中で眠っていたのかと思うと、何だか不思議な気持ちになる。

遠出の実践(タバナン)

昨日の練習で自信をつけたので、今度はもう少し複雑なルートにチャレンジすることにした。目的地はタバナン。ウブドの西、戦前に活躍した舞踏家マリオの出身地で、美しい棚田の風景で知られ、夕日の名所で観光コースには必ず入っているタナ・ロット寺院のあるところである。

まずはもうひとつの観光名所、タマン・アユン寺院を目指す。が、やはり一筋縄では行かなかった。何人もの人に道を聞き、最後に迷い込んだ村では、神様に豊作を祈る田んぼの儀式に出くわした。実際には名所旧跡の類よりも、こういう思いがけない出来事が一番楽しいのだけれど。

とは言え、ようやくタマン・アユン寺院へ到着。今度はタバナンの町を目指す。これもまた一筋縄では行かず、多くの人に道を聞きながらようやく到着。マリオを記念して建てられたという劇場へ行ってみたが、今は使われていないようで、大分荒れていたのが残念だった。

それから最終目的地タナ・ロット寺院を目指す。これもまた、途中何度も人に道を聞きながらようやく到着。日本にいる頃、海が見たくなるとよく行っていた、江ノ島の岩屋の辺りを思い出した。

さて、帰りがあるのであまりうかうかしていられない。雷もゴロゴロ鳴り出した。急いで帰路につくが、これがまた輪をかけて一筋縄では行かなかった。結局途中で雨が降り出し、ぐっしょり濡れながら何人の人に道を聞いたかもう思い出せないくらいである。が、どうにかこうにかウブドに戻ってくることができた。見慣れた道に出たときのあの嬉しさよ!

家に帰り着き、子守のKさんに、タナ・ロットに行ってきたけど、何回も道に迷ってたくさんの人に道を聞いたよ、と言ったら、Kさんに「経験は最高の教師である」と英語で返された。Kさんはなかなかインテリである。

途中で道を教えてくれたたくさんの皆さん、本当にありがとうございました!

迷い込んだ村では豊作を祈る儀式が進行中

タマン・アユン寺院

舞踏家マリオの記念劇場

夕日の名所 タナ・ロット寺院

タナ・ロットのもうひとつの寺院

2008年11月14日金曜日

遠出の練習

ペーパードライバーの私がモーターバイクに乗り始めた当初は、道路に出るのが怖くてしょうがなかった。今も毎回どうか事故を起こしませんようにと念じながら乗っているが、さすがにウブド市内はどうにか慣れてきた。徐々に行動範囲を広げられるように、遠出の練習をすることにした。

ウブドから南下して木彫りの村マス、バトゥアンスタイルの絵画(細密画)で有名なバトゥアンへ、そこから東へ向かい、ブラバトゥ、竹・籐家具の村ボナを経由して、県庁所在地ギャニャールへ、そこから北上し、かつてのバンリ王国の中心地バンリ、そしてバリ政府から「観光村」に指定され、古い時代のバリの村の様子を残しているパンリブラン村で終点。あとは一路ウブドへ戻った。バンリ辺りから雨が降り出し、一時は土砂降りの中を走る羽目になったが、これで少し自信がついた。

最初に立ち寄った美術館の庭

道を聞いたバトゥアンの食堂の人たち

パンリプラン村で終点

2008年11月13日木曜日

子犬、現る


数日前の朝、車庫からモーターバイクを出そうと思ったら、何か見慣れないものが下にある。見遣るとそれは子犬だった。子守のKさんに、誰かが飼ってるのかと聞くと、数日前にひとりでやって来たのだと言う。こいつは可愛い顔をしてなかなか気が強く、私がモーターバイクを動かそうとすると、ウ〜とうなって威嚇する。終いには、すみませんけど、ちょっとそこどいていただけますか、と丁重にお願いしたら、渋々重い腰を上げてくれた。

2008年11月12日水曜日

再びpernama(満月)

神社にお参りするときは、こんなに小さな子でもきちんと正装をする

またpernama(満月)が巡ってきた。tilem(暗月)とpernama(満月)の日にバリの人々が神社にお参りするという話は以前書いたが、月の満ち欠けのリズムを感じながら暮らすという感覚はとても自然でいいものだ。夜の闇が闇のまま残っているバリ島では、満月の夜の明るさをはっきりと感じることができる。

2008年11月11日火曜日

ガムランとジャズの夜


Nという新進気鋭のグループのレゴン(宮廷舞踏)の公演を観に行くつもりで出かけたら、ウパチャラ(宗教儀礼)のため公演中止だったので、もうひとつ観たかったSというグループの公演を観に行ったら、これがとても良かった(これについてはまた別の機会に詳しく書きたいと思う)。

終演後、今度は友だちのDさんと合流すべく、ジャズのライブが行われているカフェに行ってみると、Dさんの姿が見えない。Dさんの友だちだというカフェのオーナーに聞いてみると、今日はまだ来ていないという。ちょうど携帯のバッテリーが切れていて連絡を取ることもできず、そのまま一人で残ることにした。結局Dさんは現れなかったのだが、そのお陰でカフェのオーナーのCさんや、そのお友だちのPさんとも知り合えたし、ライブ自体もかなり良くて、瓢箪から駒の一夜だった。

2008年11月10日月曜日

雨の境界線


バリ島と東隣のロンボク島はたった35 kmしか離れていないのに、そこを境界にアジア系とオーストラリア系の動植物の生態系がはっきり分かれているそうで、この境界線を発見者の名にちなんでウォーレス線という。

なぜこんな話を引き合いに出すかと言えば、私は今日、雨の境界線を発見したのである。ウブド中心部にあるヨガスタジオで夕方のクラスを受け、終わる頃には雷がゴロゴロ鳴り出した。これは降り出すなと急いで家に戻る途中、ある線を境に、手前は道が乾いているのに、向こう側は濡れている。家に戻って子守のKさんに、雨降った?と聞くと、たくさん降ったよ、と言う。え?街の中心部は全然降ってなかったよ、と言って二人で驚いた。

そう言えば以前も、私の家は土砂降りで、外にある私のバスルームがプールのようになったことがあったのだが、その日実家からウブドの中心部を通って戻ってきたKさんは、ウブドの中心部は道が乾いていたのに、家のすぐ近くから濡れていてびっくりした、と言ったことがあった。

私の住むT地区は街の中心部より山側にあって、中心部から来ると上り坂になるのだが、そうは言っても、モーターバイクで5分ほどの距離なのである。どうも坂を上りきった辺りに、その境界線はあるらしい。

2008年11月9日日曜日

未来の踊り子たち

ウブドの王宮では週に2回、子どもたちの踊りの稽古が行われている。稽古着を付けたまだあどけない少女たちは、稽古が始まるまでビニール袋に入った色つきの水(熱い物でも冷たい物でも、液状のものでも固形でも、何でもビニール袋に入れる文化は東南アジア共通のようだ)をチューチュー吸ったり、友だちと駆け回って遊んだりしているのだが、稽古が始まると先生の動きに合わせて、懸命に舞い始める。この中からどれだけの踊り子たちが巣立っていくのだろう。

目の動きにご注目。バリ舞踊の様式美の中でも私が痺れるもののひとつがこの独特な目の動きである。



2008年11月8日土曜日

バックパック、蘇る

私が今日したことの中で一番素晴らしいことはバックパックを洗ったことである。

思えば北海道から九州まで、香港からインドネシアまで、常に私と共に旅をしてきたこのバックパックは、さすがに使い込みすぎて最近はかなり汚れが目立ってきていたのだが、毎日使うもので代えがないのでなかなか洗うことができなかった。が、どうにも我慢ができなくなり、今朝、意を決して洗ったのである。

バケツに水をためて洗剤を入れ、丸ごと浸けてじゃぶじゃぶ洗い、たわしでゴシゴシこすって、すすいで天日干しにしたら、あれまあ、見違えるようにきれいになった。すっきりさっぱり。私はかなり気分がいい。こんなことならもっと早くやるんだった。

皆さんも何か行き詰まっているときは、何かをきれいにする、これ、オススメですよ。

2008年11月7日金曜日

旅先の洗濯事情


東南アジアの洗濯機の普及率は低い。旅人としての感想だから、具体的な数字の裏付けはないが、スーパーやドラッグストアの洗濯洗剤売場を見るとよく分かる。手洗い仕様の商品が大半を占めているのである。この辺は東南アジア市場に進出している花王のマーケティングの人などに話を聞いてみたらおもしろそうだ。

さて、旅先での洗濯はどうするか。旅人天国のタイなどはランドリーサービスが充実していて、kgいくらで洗濯してくれる。朝頼むと夕方にはできているという迅速さで料金も安い。ラオスも同様だった。物価のぐっと高いマレーシアではこのサービスを余り見かけず、私は手洗いするようになった。

さて、ここインドネシアにもランドリーサービスはあるようだが、私はもっぱら手洗いしている。理由は簡単で、マレーシアで手洗いする習慣がついてから、苦にならなくなったのである。日本にいたときは、洗濯と言えば洗濯機と相場が決まっていたので、手洗いなんて最初はやっぱりかったるかった。でも慣れると何てことはない。朝起きて天気がいいと、あ、洗濯しよう、と思う。

これはやっぱり、干せば乾く熱帯だからだろうと思う。最近は雨期入りしたので、なかなか一日ではすっきり乾かないけれども。

ジョグジャのインドネシア語学校に通っていたときは、寮から学校に向かう、下町の長屋街を縫うように抜ける近道で、長屋の人たちが軒先で洗濯をする光景を毎朝目にしていた。ここバリでも、人々が川で水浴したり洗濯したりしている光景は珍しくない。こういう光景に囲まれて暮らしていると、別に洗濯機なんていらないなーと素直に思うのである。

2008年11月6日木曜日

海へ

帰り道に見かけた睡蓮の花

ウブドは大好きだが、ときどき無性に海が見たくなる。ここ数日その衝動が襲ってきてどうしようかと思っていたら、渡りに船で、バリの家具や絵画を買い付けてカナダの業者に卸す事業をしているDさんが、仕事で海の近くに行くけど一緒に行くかい?と誘ってくれた。Dさんの仕事は割とすぐに済んでしまったので、海辺のレストランで昼食をとり、海岸をひたすら歩いた。クタの浜は全然好きじゃないが、それでもやっぱり海はいい。

2008年11月5日水曜日

家族の肖像


気のいいおばちゃんが切り盛りしているナシ・チャンプールが抜群においしい店でお昼を食べていたら、前の道を、荷台に正装した人々やらガムランの楽隊やらを満載したトラック(この光景も相当おかしかったのだが)が次々に通り過ぎていく。これは大きなウパチャラ(祭礼)に違いないと、後を追いかけてみたら、小さな村に出た。どうもその村の神社のウパチャラだったらしく、人々は三々五々帰路につくところで、うろうろ見物していたら、ものすごく大きなバンヤン樹のところで、村の人に声をかけられた。ウパチャラはちょうど終わったところで、夜からまたありますよ、良かったら家に寄っていきませんか、と誘ってくださった。では少しだけ、と寄らせていただくと、これがとてもいいご家族だった。

2008年11月4日火曜日

gnome


作者のお兄さん

よくお昼を食べに行く食堂の向かいの神棚のところに、奇妙な石の彫像が置いてある。前々からあれは何だろうと思っていたら、先日作者に遭遇した。何のことはない、食堂の並びの店のお兄さんだった。西洋で言うgnome、バリでは庭の守り神のようなものらしい。

これに限らず、ヒンドゥー教のグラフィックセンスはサイケデリックでグロテスクで、抜群におもしろい。

2008年11月3日月曜日

病院へ行く

私は1月に日本を発ってから、一国一病院というくらい、食あたりやら虫刺されやらで病院のお世話になってきた。インドネシアに入ってからはとんとお世話になることもなく胃が慣れたのかなと思っていたら、来た。昨日の朝、ナンカ(ジャックフルーツ)を食べた後から何だか胃が痛い。夕方、コーヒーとブラウニーを食べた後から本格的に胃の痛みが強くなってきた。

そして今朝起きたら左目が痛い。どうもここのところ目が痒く、アレルギーだろうかと思っていたのだが、今朝からは目を閉じると左目に鈍痛がある。これはまずい、ととうとう病院に行くことにした。

ドクターに症状を話し、薬を処方してもらう。これで少し様子を見て改善しなかったら、大きな街の病院まで行かないといけないなあ、とちょっと憂鬱である。

ナンカ(ジャックフルーツ) 後でバリ人の友だちに聞いたのだが、食べたらたくさん水を飲まないとお腹が痛くなるそうだ。早く言ってよ。

2008年11月2日日曜日

仮面・操り人形美術館


先日たまたま立ち寄った情報センターで、郊外に「仮面・操り人形美術館」があって、今月末までインドネシアの仮面と操り人形の展示が行われていることを知り、行ってみることにした。美術館と言ってもガイドブックにも載っていないし、ずいぶんのどかな村の一画にある。どうも私設美術館のようだが、すごいコレクションだった。一体どんな人がオーナーなのだろう。

2008年11月1日土曜日

雨のドライブ


先日見たガムランと踊りの練習風景をもう一度見たくて、同じ曜日の同じ時間帯に同じ場所に行ってみることにした。玄関先で会った子守のKさんやお隣のイブには、照れくさいので、ちょっと散歩してきます、と言って出たのだが、残念ながら練習はやっていなかった。今にも雨の降り出しそうな空模様だったので、そのまま帰ればいいようなものだが、「散歩してきます」と言って出てきた手前、すぐ戻ったのでは恰好がつかない。それで、本でも読むつもりで、美しい睡蓮の池が眺められるカフェに入った。が、近くに団体の観光客がいてうるさくて長居する気になれない。あまりおいしくないカプチーノをさっさと飲んで、出てきてしまった。仕方なく以前から一度探検してみようと思っていた小道に入り、散歩していたら、ぽつぽつ雨が降り出した。いよいよ帰ろうとバイクで走り始めたのだが、よせばいいのに遠回りの道に入ってしまう。

私にはどうもこういうところがある。雨は間違いなく本降りになる、さっさと近道で家に帰るべきだ、と理性では分かっているのに、わざわざ遠回りの道を選んでしまう。果たして途中から雨は本降りになり、私はバックパックにレインカバーをかけ、雨合羽を着て、濡れながら走ることになった。

ところがこれが楽しいドライブだったのである。いつも美しい田園風景だが、雨に濡れそぼってまた違った表情を見せている。雨でなければ見られない情景だ。

ぐっしょり濡れて帰り着き、少ししたら雨は土砂降りになった。