2009年1月22日木曜日

ただいま

実を言うと一時帰国が決まったときから、すでにバリが恋しくてしょうがなかった。空港に着いて、ガムランの音色が聞こえると、私の脳リズムはバリ時間へと巻き戻った。ウブドへ向かう道で漆黒の闇と静けさに包まれると、ああ、帰ってきた、と嬉しさがこみ上げてくる。街が見え始めて、「嬉しいなあ」としみじみ言ったら、ドライバーのJが「ウブドへお帰り」と言ってくれた。

2009年1月21日水曜日

シンガポール


インドネシアのビザの切替のためにシンガポールを経由する。シンガポールはとにかく「財」を感じる街だ。道で地図を広げていると必ず誰かが助けてくれる親切さと、中国系の人たち特有のアグレッシブさを併せ持つ。タイ、ラオス、マレーシア、バリと、強い感情を表に出すことを嫌う穏やかな文化の中で暮らしてきた身に、そのアグレッシブさは応える。一度はビザエージェントの余りに無礼な態度に、公衆電話で大喧嘩した。


まあでも悪いことばかりでもない。シンガポールは物価が高いので、久々にドミトリーに泊まったら、同室の旅人たちと知り合えて楽しかった。シンガポールはアジア各地への中継地点なので、いろんな人々が集まる。仕事を辞めて今までとまったく違うことがしたかったから、という理由でネパールにボランティアに行くスイス人のNさん。これから10ヶ月間東南アジアとオセアニアを旅するというアメリカ人のAさん。3ヶ月の予定で東南アジアをまわるというイギリス人のRさん。一晩の宿を共にし、連絡先を交換し合い、良い旅をと言って別れていく。最近はドミトリーで気を遣うのが面倒くさくて、すっかりシングルルーム派になっていたので、この感覚を忘れていたなあと思う。また少しドミトリーに戻ってみようかな。

2009年1月20日火曜日

さよならニッポン


夜明け前の高速バスで成田へ向かう。寒い中、両親が見送ってくれた。

2009年1月18日日曜日

怒濤の一日

仕事がようやく片付いて、束の間の上京を果たす。

お土産を買うのに朝っぱらからつきあってもらったMGちゃん。「切手」と「切符」を言い間違うのはこの方です。

居酒屋でMGちゃん(左)、Lちゃん(中)、MRちゃん(右)と。ぶり大根とかほっけの開きとか、居酒屋メニューを堪能する。日本語の堪能振りに舌を巻く アメリカ人翻訳家のLちゃんは、最近念願の猫を飼い始めてとても幸せだそうだ。私に水晶をくれた宮崎出身のMRちゃんはフルマラソンを走るスプリンターで ある。

大尊敬するブラジル音楽系ギタリスト、Aさんのライブをキャッチ。東京で恋しいもののひとつはこの方のギターです。

最後はMHちゃんと朝まで語り明かした。素晴らしいマッサージ師であるMHちゃんは、鍼灸学校で治療家としての勉強を深め、昨年国家試験に合格して晴れて 鍼灸師となった。治療の道に進む前はクライマーで、ネイチャーガイドで、トライアスロンもこなしてしまうという、この美貌からは想像できない過去を持つ。

2009年1月17日土曜日

姪たちに再会


お手紙をくれた姪たちが遊びに来る。ついこの間まで赤ちゃんだったのに、もう中1と中3である。ちょっと見ない間に子どもはどんどん大きくなる。ついに身長も超されてしまった。

上の子は高校受験真っ最中だけれど、拍子抜けするくらい明るい。二人とも学校が超楽しいのだそうだ。学歴や成績なんて社会に出ればあんまり関係ない。明るくて楽しいのがいちばんだ、と心底思うよ、おばさんは。

2009年1月14日水曜日

赤城下ろし


群馬県の実家に帰省する。東京の寒さは意外と大したことないと思ったが、群馬は本当に寒い。「赤城下ろし」と言って、雪をかぶった山から冷たい風が吹き下ろすので、骨身に染みる。空気がとても乾燥していて、肌の水分がどんどん奪われていく。じわじわと冬を迎えたのでなく、熱帯から一夜にして真冬の世界に降り立った私はショック状態である。

けれども寒さもたまにはいいものだ。背筋がしゃんと伸びるような気がする。ニュージーランドに住んでいた頃、ネイピアという街で、とてもチャーミングな目上の女性と冬の散歩を楽しんだことがある。「私はこの冬の空気がとても好きなの。気持ちがしゃんと引き締まるでしょう」と言った彼女の言葉がようやく分かる年になった。

2009年1月12日月曜日

Back in Tokyo


仕事の関係で急遽一時帰国することになった。

かれこれ1年、東南アジアの熱帯圏で暮らしてきたというのに、いきなり真冬の日本へ。成田到着直前「現地の気温はマイナス1℃」というアナウンスに耳を疑った。実に30℃近い気温差である。

しかも二晩まともに寝ていない。飛行機は夜の便で機中泊だったし、出発前夜のウブドはものすごい雷雨が一晩中続いて、ほとんど一睡もできなかった。

そんなどろどろの状態で早朝に到着し、そのまま丸一日のミーティングに突入する。

更に、その後大学時代の先輩のバンドのライブにまで行ってしまった。

気絶寸前の疲労状態だったが、極度な疲労時には不思議とテンションが高くなるものである。何より、懐かしい旧友たちとの再会をしょっぱなから果たし、嬉しい一夜。

2009年1月8日木曜日

人違い


夕方気晴らしにカフェに行くと、向かいのサッカー場で中高生くらいの男の子たちのサッカーの大会が開かれており、人だかりができている。見るとはなしに見ていると、通りがかりの西洋人のおじいさんが立ち止まり、遠近両用眼鏡越しにこちらをじっと見ている。はてどこかで会った人だろうか、と私もまじまじ見つめ返してみたが、心当たりがない。するとおじいさん、

「ブレンダさん、じゃないですよね?」

どうやらただの人違いだったようだ。

2009年1月7日水曜日

Pagerwesi


先日のサラスワティから儀式が目白押しである。今日はPagerwesiという日だそうだ。

私のバリ学教科書によれば、ウク暦の1サイクル(210日)の最後の日がWatugunungと言って、これが先日の所謂サラスワティの日である。そしてウク暦の新しいサイクルの最初の4日間は特別に宗教的な日であり、4日目の今日、Pagerwesiがその頂点だという。Pagerwesiとは「鉄の柵」という言葉に由来し、邪悪な力から身を守るために我が身を囲う、という意味があるらしい。Pagerwesiはまた、太古の善と悪の戦いを祝う日でもあると言う。

夕方ちょうど激しい雨が降ってきた頃、あの血湧き肉躍るパーカッションの響きが聞こえてきた。慌てて外に飛び出してみると、ウパチャラ(宗教儀礼)の行列が家の前を通り過ぎていく。Pagerwesiの行事だったのか、それとも普通のオダラン(神社の創立記念祭)だったのかは分からない。雨にぐっしょり濡れて、傘を差す人たちもいれば、大きな葉っぱを、まるでコロボックルのように、傘代わりに差している人たちもいる。雨が降ろうが、槍が降ろうが、バリの人たちはウパチャラを催行する。こういうときに限って私は写真を取り損なってしまうので、私の部屋の神棚に供えられた、Pagerwesiの特別なお供え物の写真でご容赦ください。

2009年1月3日土曜日

サラスワティ


今日はサラスワティの日である。サラスワティというのは知識の女神で、彼女に捧げられたこの日には、本やロンタル椰子の古文書に供物が捧げられる、と手元の資料にある。

朝、子守のKさんがやって来て、「リエ、今日は本を集めて供物を捧げるからね」と宣言された。午後やるよ、というので楽しみにしていたのに、午前中外出しているうちにその儀式はさっさと済んでしまったらしく、帰ったら机の上に本が積み上げられて、供物が捧げられていた。Kさんは忙しいのである。

そんなわけで、今日は街中至る所でウパチャラ(宗教儀礼)が行われていて、私もガムランの先生の住む地区のウパチャラに参加させてもらった。美しい衣装を着けた踊り手たちの舞踏の奉納もあり、その様子もお届けしたかったが、先生に「あと15分でおいで!」と急かされバタバタで出かけたので、カメラを忘れてしまった。そんなわけで、私の乱雑な机の上の写真でご容赦ください。

2009年1月2日金曜日

大失態


新年早々やってしまった。

ガムランの先生に、浜でウパチャラ(宗教儀礼)があるからおいでと誘っていただいていたのだが、先生と私の間には大きな言葉の壁がある。私のインドネシア語の理解が覚束ないせいで、細かい情報がいまひとつ分からないのである。

今日は、ウパチャラは2時からと思った私は、地図を便りに浜まで辿り着いたはいいが、まだ余り人が集まっていない。まあこんなものだろうと思ってぶらぶら散歩していたら、小一時間ほどしてどうやら人が集まり儀式が始まった様子。儀式を遠目に見学しながら、儀式の後音楽や踊りがあるのかなと思っていたら、どうやらそうではないらしい。儀式が終わったら皆さんさっさと引き上げてしまった。先生にも会えず、まあ仕方ないかと思い、夕方帰宅した。

午後2時の浜辺 まだ誰もいない

儀式が始まった

海への捧げ物?

皆さん、さっさと引き上げる

人満載のウパチャラシャトルバス

夜、携帯電話のバッテリーが切れたので、家で充電したままご飯を食べに出て戻ってみると、先生からメールが入っている。何と、音楽や踊りは夜また別途行われたらしいのである。

もう大ショックである。おぼろ月夜の浜辺でガムランと舞踏…それはどんなに幻想的で美しい光景だったろう。そんな貴重な機会を逃してしまうなんて、ああ、私のバカ、バカ…と臍を噛んだ。

臥薪嘗胆。今年はインドネシア語の勉強に身を入れろという教訓ですね。

2009年1月1日木曜日

明けましておめでとうございます

今朝は久し振りに気持ちよく晴れて、日本の元日の朝のようだと喜んでいたのも束の間、午後から曇りだし、夕立が来た。

ウブドの街は年末から観光客で混み出し、日中は渋滞がすごい。自転車や徒歩で散策する日本人の方々の姿もよく見かける。

私も8年前はその中の一人だった。今は人の非日常を自分の日常の中に見ている。この視点の変化はなかなかおもしろい。

そして私は極めて日常的な一日を送った。いつもと違うことと言えば、お昼に生姜焼き定食を奮発したくらいかな。

2009年の幕開け。皆様、今年もどうぞよろしくお願いします。