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2010年8月28日土曜日

フローレス島旅行記:後記


かくして10日間のフローレス島への旅は終わった。


バリに比べて観光インフラが整備されていないフローレスは、同じお金を出して得られる快適さがバリよりもぐんと落ちる。毛布をかけて寝るくらい寒い夜にバケツ一杯のお湯でお風呂を済ませたり、ローカルバスでギュウギュウ詰めになっておしりと膝の痛みに7時間耐えたりするのは、もう20代のバックパッカーではない私にはちょっと修行のようだった。


けれどもやっぱり旅は楽しい。フローレスの旅のハイライトであるコモドドラゴンもクリムトゥも見られたし、意外にまったく期待していなかったバジャワがとても気に入った。人がみんな親切なのと、温泉があるのがいい。土地と自分との相性は行ってみなければ分からないので、それが旅の醍醐味だ。


9割方の人の名前がワヤンかカデ/マデかコマン/ニョマンかクトゥットというヒンドゥー教の島バリから、キリスト教徒の多いフローレス島に飛ぶと、一転して人の名前がステファン、ジョゼフ、ヴィンセント、ペドロなどになるのも新鮮な驚きだった。ンガダ人の伝統村ベナ村のしめやかなお葬式で聞いた賛美歌の幻想的な美しさも心に残った。キリスト教布教活動の功罪はともかくとして、文化の融合の様子を見るのは興味深い。


10日ぶりにウブドに帰ってくると、神々しいくらい晴れていて美しい。ウブドの快適さがまた一層ありがたく感じられる。早速おいしいカプチーノを飲みに行った。

フローレス島旅行記:Day 10 エンデからバリへ

飛行機より眼下の島々を望む

朝4時半に起き、荷造りを済ませ、ビスケットをかじって、5時半に宿を出る。宿の前に待機していたオジェのお兄さんに空港まで行ってもらう。


空港につくとカウンターはまだ空いていない。しばらく待ってカウンターが開いたものの、ネットで購入した私のEチケットの扱いに慣れていないのか、手続きに随分待たされる。ようやく搭乗券が発行され、荷物を預けて、空港税を払い、隣の待合室へ。


定刻より少し遅れて飛行機が到着し、搭乗する。


陸路で何時間もかかった道のりも飛行機だとあっという間だ。眼下に眺めるフローレス島はほとんどが無人地帯のようだ。


ラブハンバジョを経由し、バリへ向かう。


眼下に見える島々を眺めながら、これがスンバワ島のはず、これがロンボク島ならあれがリンジャニ山に違いない、あれがギリ三島のはず、などと頭の中で地図と対照して楽しむ。


定刻より少し遅れてデンパサール空港に到着。少し待って荷物をピックアップしたら、国内線なので入管もなく、すぐに出られる。出迎えを頼んでいたドライバーのJの姿を見つけ、お腹が空いたよ、まずなんか食べていい?と頼んで、空港内の安い食堂に連れて行ってもらった。ここが意外に安くておいしかった。今度空港でお腹が空いたらあそこで食べようと決心して、ウブドへの帰路についた。

2010年8月27日金曜日

フローレス島旅行記:Day 9 エンデでの一日

イカットを織る

エンデという街の名前は「モモ」を書いたミヒャエル・エンデを思わせる。実際のエンデの街はシュールでも特に童話的でもないけれど、港があって、坂がちで、こじんまりとして、静かで、かわいらしい。


昨日やるべきことはやってしまったので、今日は特にすることもない。明日は朝早い飛行機でバリに帰るので、旅の最後の一日を特に何もせずのんびり過ごすのも悪くないと思った。


朝まず部屋替えのことをものすごく無愛想な宿の女主人に聞いてみると、お昼頃にならないとどの部屋が空くか分からないという。まあそれならお昼に帰ってきて様子を聞くか、帰って来られなければあと一晩だけなので今の部屋でもいいかと思った。


小さな丸いパンひとつと紅茶だけのわびしい朝食を済ませ、翌日の下見を兼ねて空港まで歩いてみる。10分もかからずに到着した。そこからオジェのおじさんに声をかけて、Lさんに教えてもらったインドネシア初代大統領の家まで連れて行ってもらった。お金を払おうとすると、おじさん、いらないと言って走り去ろうとする。そういうわけにはいかないよ、おじさんだってご飯食べなきゃならないでしょ、と引き止め、5,000ルピア渡した。しかし2,000おつりね、と言うのも忘れなかった。


さてインドネシア初代大統領の家はこじんまりとして、彼に何か思い入れがあるわけでもない私には特におもしろいものもない。早々に見終わり、近くのイカット博物館に行ってみた。こちらは各地のイカットが展示されていて、楽しい。上品なおばあさんが実際にイカットを織っているところも見られる。うちの父方の祖母が昔機織りをする人で、部屋には織機や糸巻きがあったのを覚えている。それを思い出して懐かしくなった。近くに軍隊の施設があって、迷彩服のおじさんたちが暇なのか何人か私と一緒に機織りのところにたむろしている。私が立ち去ろうとすると、隣にももう一件博物館があるよと案内してくれた。


何の博物館だろうと言ってみると、入口に大きな水槽が2つあって、大蛇が2匹入っている。柔和な笑みをたたえた館長さんが出迎えてくれて、この蛇はどこから来たのですがと聞くと、山の方だと言う。何を食べるのですかと聞くと、鶏だと言って、一羽持ってきましょうか、と言うので、ぎょっとして逃げた。館内には貝殻とかイルカの骨とかが展示してある。聞いてみると館長さんは実はカトリックの神父さんで、孤児院の子どもたちのための養育費稼ぎとして、その私設博物館を運営しているそうだ。そのうちホルマリン漬けのひよこなど出し始めるので、もう結構です!と言って、わずかな寄付金を払って辞去した。


博物館を出て、港の方まで行ってみる。昨日の夜も食べていないし、朝ご飯もわびしかったのでお腹が空いて、食堂に入った。残念ながら余りおいしくなかったが、値段は安かった。


それから市場をぶらぶらしていたら疲れたのと雲行きが怪しくなってきたので、いったん宿に戻ることにした。まだ高校生くらいではないかと思われるオジェのお兄さんをつかまえて、宿に戻った。


宿に戻り女主人に部屋の空き状況を聞いてみると、私が狙っていた部屋は空かないという。他に談話室から離れた部屋はないかと聞くと、2階に60,000の部屋があると言われた。見てみると今の部屋より狭いが、明るくてプライバシーがあって気に入ったので、そちらに移ることに決めた。


荷物を移し、水浴したらさっぱりした。そのうちDくんがモニから到着した。Dくんは騒音が気にならないというので、私がいた部屋に入ることになった。この部屋、談話室に面していることと扇風機のききが弱いこと以外は、広々としてお勧めなのである。Dくんにペルニ社事務所や銀行の位置を説明し、私は部屋に引っ込んで昼寝した。


2時頃目覚めてそろそろビーチにでも行ってみるかと支度していると、ちょうどDくんも街から帰ってきた。船のチケットを取ってきたというので見せてもらう。1,000人乗りくらいのなかなか大きな船らしく、夜はバンドの演奏もあったりするらしい。私はかつて3ヶ月世界一周の船旅をしたことがあるので、大体船上生活の想像はつく。ペルニ社の船は数年前に沈んだことがあるんだよ、とか、何かお母さんに言い残しておくことはないとか、いろいろ脅してからかった。


そのうち偶然Nさんも部屋から出てきたので、3人で街を散策することにした。


私は猛烈にお腹が空いていたので、まず食堂に行くことにして、宿の前に待機していたオジェのおじさんにおいしい食堂の場所を教えてもらった。ふつうオジェのおじさんは「あるけど遠いよ。オジェに乗っていきな」とか言うものなのに、そのおじさんは「近くにあるよ。歩いて行けるよ」と教えてくれたのでありがたい。ぶらぶらと歩いているうちにおじさんに教えてもらった食堂の名前を忘れてしまったのだが、おいしそうな食堂があったので入った。食べたかったガドガド(野菜を茹でてピーナツソースをかけたもの)があったので大満足である。DくんとNさんはバクソ(魚のつみれが入ったスープに麺が入ったもの)を食べたが、ベジタリアンのNさんは魚のつみれがおいしくなかったらしく、つみれを全部Dくんにあげてしまった。つみれの入らないバクソなんて、ハンバーグの入っていないハンバーガーみたいなものである。


腹ごしらえがすんでさらに歩いて行くと、食品店があったので入る。Nさんは翌日のバスの旅に備えてスナックを仕込み、私は朝早くのフライトなので朝ご飯代わりのビスケットを買い込む。Dくんは私がDくんのためにペルニ社の情報収集をしてあげたことをいつまでも恩着せがましく言うので、口封じにアイスを買ってくれた。これで二度と言うなということらしい。


さらに歩いて行くと、子どもたちが体育館で空手の練習をしているところに出くわした。見学させてもらうと、それは少林寺拳法だった。どうやらフローレス島では武道が大人気らしい。とても親切な男の先生がいろいろ説明してくれ、今度来たらホテルでなく家に泊まりなさいねと言ってくれた。


程なくビーチにたどり着いた。沈んでいく夕日を見ながら、なかなかいい旅の締めくくり方だと思った。浜でサッカーをしていた高校生くらいの男の子たちに話しかけられ、おしゃべりしていて、Lさんに聞いていたナイトマーケットのことを聞くと、連れて行ってあげるよ、ということになった。どうやら彼らの帰り道だったらしい。彼らに先導されながら夜道を歩く。家に着いた子が一人、二人と帰って行く。最後の一人と別れてからまもなく、ナイトマーケットに到着した。が、どうも期待していたような屋台が並ぶようなものではなく、野菜、果物、衣類の店が並んだものに過ぎなかったので、早々に退散して、オジェを拾って宿に帰った。


Nさんは翌朝のバスで西へ向かい、Dくんは9月1日の乗船までエンデに残り、私は翌朝の飛行機でバリに戻る。宿のロビーでお別れして、めいめいの部屋に戻った。


水浴して、さっさと床についたが、2階は2階で盛りのついた猫たちの声とトタン屋根を駆け回る音が騒々しいのだった。

2010年8月26日木曜日

フローレス島旅行記:Day 8 日の出のクリムトゥ、そしてエンデへ

日の出のクリムトゥ

朝4時半にオジェで宿を出発する。クリムトゥは日中は雲がかかって見えないことが多いため、日の出のときに見るのが慣例となっている。まだ暗い山道をバイクでぐんぐん登っていく。途中管理棟で入山料22,000ルピアを払い、山頂手前の駐車場まで行く。そこでバイクを下り、後は暗い山道を山頂まで20分ほど歩いて登る。


日が昇る前の山頂は冷える。重ね着をして30分ほど待つと日が出てきて、乳白色がかった緑色の湖が姿を現した。その奥には濃い緑色の湖、反対側には真っ黒の湖がある。色は鉱物の含有量のよるもので、時と共に変化するのだそうだ。


手前は乳白色がかった緑、右奥は深い緑


黒い湖


さて私にはLさんに頼まれてきた大事なミッションがあった。それは山頂でお茶を売っているアフマッドおじさんにお礼を言うこと。Lさんはアフマッドおじさんに大変親切にしてもらい、その道案内のおかげで迷うことなく里にたどり着くことができ、大変感謝しているのだそうだ。しつこいくらいLさんに頼まれてきたので、忘れるわけにはいかない。売り子のおじさんに聞いてみると、今日はアフマッドさんは来ていないと言う。事情を話すと、それじゃ自分が連れて行くからアフマッドさんの家に行くかとか、これから電話して山頂まで来てもらうか、とかいろいろ申し出てくれる。まさかお休みのところをわざわざ山頂まで来ていただくわけにはいかないので、今度会ったらどうぞよろしく伝えてください、とだけお願いした。この売り子のおじさんたち、夜も明けないうちから寒い山頂に登り、一杯5,000ルピアでお茶やコーヒーを売って、一体どのくらいの収入になるのだろうとしみじみしてしまう。


しばらくするとたちまち雲が涌き出て湖が覆われてしまった。一瞬にしてこの違い。山の天気は本当に変わりやすい。やっぱり日の出前に来て良かった。


数分でたちまち雲がかかり真っ白に


DくんとNさんと3人で山を下り始める。帰りは温泉や滝があるという里を経由して歩いて帰るつもりだった。が、どうやら聞いてみると温泉はだいぶ遠そうだ。お腹も空いていたので、温泉は端折って、滝だけ見て帰ることにした。ところが道を聞き聞き行ったのに、どこで間違えたのか、藪をかき分けて細い道を辿っていくと、川で行き止まってしまった。川の向こうに道が続いているようなので、ぐらぐらする石をつたって川を渡った。ちょっとした冒険である。これは迷ったかと一瞬不安になったが、程なく車道に上がる道が見えてきてホッとした。ふたを開けてみると滝はモニの集落のすぐ近くだったので、モニから行った方が早かったようだ。けれどもこういうハプニングは思い返してみると楽しいものだ。


村の子どもたち


10時半くらいに宿に帰り着き、朝ご飯のバナナパンケーキを食べる。もうモニでの目的は果たしたし、モニは宿もご飯も高いので、今日中にエンデに移動できるものならしたいなあと思い、宿のお兄さんにエンデまでの交通手段を相談したら、乗り合いタクシーがあり、30,000ルピアで行ってくれるという。今からでも行けるかと聞いたら、大丈夫だというので、急遽手配してもらい、エンデに向かうことにする。Dくんは隣にここより安い宿を見つけたのでそちらに移ってモニにもう一泊するという。Nさんは私と一緒にエンデに行くことになった。


バナナパンケーキを片付け、荷物をまとめ、宿の女主人に急遽チェックアウトする旨を告げ、宿代を払う。11時半には乗り合いタクシーが来た。乗客はマウメレからの乗客一人とNさんと私の3人だけなので、快適である。モニからエンデまでは2時間ほどの道のりなのだが、途中ところどころで工事をしていて、何度もストップしなければならない。私たちは先を急ぐわけでもないからいいが、用事がある人はいらいらするだろうなあと同情する。


さて2時頃エンデに到着し、当たりをつけていた宿に空き室を確認する。Nさんと私の分2室を押さえて、タクシーに支払いを済ませる。エンデは何も観光資源がないせいか物価が安い。浴室・扇風機付きの部屋で55,000、シャワー付きで60,000である。温水はもちろんないが、海辺の街エンデは暑いので、へっちゃらである。Nさんはインドネシア式の浴室(水桶に水をためて手桶で体に水をかける)がだめで、シャワーがほしいというので、私は喜んで55,000の部屋を取った。


水浴と洗濯を済ませ、昼食と情報収集に出ることにする。宿の人に聞いたら観光案内所があるということなので、2 kmほどの道のりを歩いて行ってみた。意外に立派な観光地図をもらい、安くておいしい食堂とインドネシア国営船会社ペル二社事務所の場所、オジェは3,000ルピアであることを教えてもらった。職員の女の人がわざわざ隣の食堂まで案内してくれた。まずは腹ごしらえ。お茶込みで10,000ルピアほどだったから安い。


それからすぐ近くのペル二社事務所へ。実はヌサ・トゥンガラ行きを考え始めたとき、ペル二社の船情報を収集すべく、バリのブノア港に行ってみたが、ペルニ社の事務所はもう営業時間を過ぎて閉まっており、旅行会社で聞いてみたりしたのだが、一向に情報がつかめない。ウェブサイトがあるというので見てみたら最終更新が2006年で終わっている。そのうち時間的な制限が出てきて私は飛行機で行くことにしたのだが、Dくんに船の存在を教えてあげたら興味津々だったので、Dくんのために運航スケジュールやら値段やらを調べてあげることにしたのだった。というと親切そうに聞こえるが、まるで雲をつかむようだったペルニ社の存在をこの目で確認したかったというのが本音である。果たして、ようやく私はペルニ社が実在することをこの目で確認した。運航スケジュールによれば、9月1日にエンデを出て、3日にバリのブノアに着く便がある。値段を聞いてみると、一番安いエコノミーで28万ルピアほど。これは予想外に安い。早速Dくんにメールで教えてあげたら大乗り気で、翌日モニからエンデに来ることになった。


ミッションを果たし、大満足で散策していたら、オジェのおじさんに声をかけられた。雑貨屋で買い物をして、宿まで戻ったらいくらかと聞いたら8,000だという。3,000を2回としても6,000でしょ、と言ったら遠いからとか、ガソリン代がとか言う。私はバリでバイクに乗っているので、ガソリン代は1リットル6,000ルピアであることを知っている。それを言ったら、分かった分かったということで6,000で話がついた。ふたを開けてみたら雑貨屋は全然遠くなく、宿に戻る道の途中にあったので3,000でも良かったくらいなのだが、交渉済みなので仕方ない。交渉もゲームみたいなものである。


その夜は疲れてご飯に出る気力もなく、早々にベッドに入った。が、部屋が談話室に面しているため、人の話し声でなかなか寝付かれない。翌日は部屋を変えてもらおうと決心した。

2010年8月25日水曜日

フローレス島旅行記:Day 7 バジャワからモニへ

5時起きで荷物をパッキングし、6時半にローカルバスで出発する。荷物は屋根の上に積まれ、狭い車内はギュウギュウ詰め。ドアは閉まらず、冷たいバジャワの朝の空気がびゅうびゅう入ってきて寒い。日が高くなると温かくなったが、ギュウギュウ詰めの車内でおしりもひざも痛い。モニまで7時間、耐えられるだろうか。


途中どうにもトイレに行きたくなって、どこかへ停車した折に降りてトイレを探す。運良くそこはキリスト教関係の建物で、シスターたちが乗車するために停車したらしい。清潔なトイレを借りることができてほっとした。


10時半くらいに一度昼食休憩があり、パダン料理の店に寄った。モニは何でも高いと聞いていたので、早めのお昼をそこで済ませることにした。パダン料理は作り置きのいろいろな料理が並べてあって、ほしいものを取ってもらうが、ひとつひとつ値段が書いてあるわけではないので、うっかりするととても高くなる。会計までドキドキしたが、意外に安くて、お茶込みで14,000ルピアほどだった。


お昼休憩が終わって、またギュウギュウの車内に戻り、出発する。途中の山道で一度タイヤのひとつがパンクしたが、スタッフの人たちは慣れているらしくテキパキとタイヤ交換が行われ、予定通り2時頃にはモニに到着した。


バスの停車したところがちょうど泊まろうと思っていた宿の真下だったので、空き室があるか聞いてみたところ、空き室はあるのだが、蚊帳付きのベッドと浴室だけで棚も机もフックも何もない本当に寝るためだけの部屋なのに15万ルピアと高い。が、他を探し回る気力もないし、おそらくそれがここの相場なのだろうと判断し、そこに泊まることにした。さすがのDくんも疲れていたらしく、その晩はおとなしくそこに泊まることにした。


荷物を置いて一休みし、散策に出かけることにする。同じバスで着いたアメリカ人の女の子にも声をかけ、3人で散策に出た。


モニはフローレス島観光名所、3色の湖クリムトゥへの登山口となる山間の小さな村である。宿が何軒かある以外には畑が広がるだけののどかな村だ。散歩していたら、本屋と看板の出た建物を見つけた。入ってみると、旅人たちが置いていったらしい各国語の中古の本を売っている。池波正太郎の文庫本が1冊あったが、5万ルピアと高い。飲み物も売っていたので、一杯5,000ルピアの庭で採れたコーヒーというのを頼んで、休憩にする。


ニューヨーカーのNさんはロースクールを出て、ある法律事務所に就職が決まったのだが、不景気のため実際の就業まで1年ほど待たなければならず、その間低額だが給料が出ているのだという。これは願ってもないチャンスと旅に出たそうだ。インドネシアからスタートして、アジアをまわり、インド、中東、アフリカ、ヨーロッパとまわる予定とのことである。


日も傾いてきたので、寒くなる前に水浴できるよう宿に戻る。


夕食はLさんお勧めの近くのレストランで食べようと思ったが開いていなかったので、仕方なく宿のレストランでとることにする。周りに何もないせいか混雑しており、待てど暮らせど注文したものが出てこない。1時間近く待たされて、ようやく夕食にありついた。


翌朝のクリムトゥまでの足を確保すべく、宿の女主人と交渉する。大人数でないとベモ(乗り合いバス)は出ないとのことで、オジェ(インドネシアで一般的なバイクタクシー)を一人35,000ルピアで予約した。


夜は相当寒いだろうと覚悟したが、私の部屋には温かい掛け布団が備えてあって快適に眠れた。

2010年8月24日火曜日

フローレス島旅行記:Day 6 バジャワでの一日

ソア村の温泉

朝起きるといいお天気なので、さっそく洗濯した。


Dくんもバジャワに残ることにしたが、もっと安い宿を探すことにしたそうなので、私がDくんの15万の部屋に移ることにした。


ソア村温泉への行き方を宿の管理人さんに相談すると、ベモ(乗り合いバス)の運転手さんに交渉してくれることになった。管理人さんとベモの乗り場まで行ってベモを止めると、その運転手さんがちょうど管理人さんの親戚筋で、温泉まで往復4万ルピアで行ってくれることになった。温泉で2時間ほど過ごし、午後1時にピックアップしてもらうことになった。


地元の人たちと言葉を交わしながらベモに揺られるのは楽しく、昨日は暗くて見えなかった窓の外の景色を眺めるのも楽しい。バジャワの人たちはとてもフレンドリーで親切だ。


1時間ほどでソア村温泉に到着する。午前中の温泉は空いていて、ほんとうに気持ちがいい。この温泉のために1週間バジャワに滞在してもいいくらいだ。バジャワに残ることにしてほんとうに良かった、としみじみ思った。今日はいろいろなところに入ってみようと思って、昨日は行かなかった川の方にも行ってみた。急流の方に入ってみたらこれが大間違い。ものすごい水流に流されて止まることができず、どんどん下流の方に押し流されてしまった。押し流されている間に岩に膝をぶつけたりして、青あざができてしまった。水の力はすごい。もっと水量があったらおぼれていたかも知れないと思うとぞっとする。ティモール島のクーパンから来たグループがいて、ちょっとこっぱずかしかったが、こっぱずかしいくらいで済んで良かった。


この急流でどんどん流された


あっという間に2時間が経ち、約束通り1時にベモの運転手さんがピックアップしてくれた。帰り道、雄大なウォロボボル山の景色に感動していたら、わざわざ眺めのいいスポットに止まってくれた。この辺りの家は庭先にキリスト教式のお墓があるのが印象的だった。


ウォロボボル山の勇姿


庭先にキリスト教式のお墓


2時頃宿に戻ったときにはとてもお腹が空いていて、荷物を置いて早速昼食に出かける。昨日行ったレストランがなかなかおいしかったのでまたそこに行こうと思い、道を聞き聞き歩いて行くと、それは結構街の外れなのだった。


お昼を済ませ、ぶらぶら街まで戻ろうと思ったら、レストランの隣に観光案内所があった。何気なくのぞいてみたら、案内所のお兄さんに翌日のモニまでのバスのチケットを売っていると案内された。トップシーズンで結構混むとのことなので、Dくんにメールをし、2枚買うことにする。するとお兄さんはチケットの手持ちがないので、家まで取りに行ってくると言って行ってしまった。その間に、朝宿で会ったウクライナ人のRくんが偶然やってきて、自分は翌日車をチャーターして、イカットで有名な伝統村や、エンデ近くのビーチなどに寄りながらモニまで行くつもりなので、同乗者を探しているのだがどうかと誘われる。しかし一人25万ルピアとかなり高いので、どうしたものかとDくんにメールしたら、Dくんも観光案内所にやってきた。協議した結果、Rくんには悪いがやはりお断りして、ローカルバスで行くことに決めた。それでローカルバスのチケットを買おうとしたら、どうやらDくん曰く、私の宿の管理人さんが、もう私たちのためにチケットを買ったようなことを言っていたという。確かに管理人さんに明日のモニ行きのことは相談したけれど、チケットを買っておいてくれるとまでは聞いていなかったので、確認の電話をいれると、やはりもう買ってあるそうである。危うく余分なチケットを買うところだった。


一件落着し、そのままDくんと散策に出かける。途中ふらりと教会に立ち寄ったら、小学生の女の子たちがヒップホップな感じのダンスをしている。みんなかなりリズム感がいい。カナダ人アイドル、ジャスティン・ビーバーの「ベイビー」に合わせて、どうやら自分たちで考えたらしい振り付けを披露してくれた。


リズム感のいいバジャワの女の子たち


その後も女の子たちは私たちについてどこまでも歩いてくるのだが、日も暮れてきたので、お家に帰りなさいねと言って別れた。


女の子たちに囲まれるDくん


宿に戻る途中、ジャワ料理のワルンを見つけて夕食にする。安くてとてもおいしかった。


Dくんと別れ、自分の宿に戻った。今夜も寒く、バケツ一杯のお湯でお風呂をし、毛布を2枚かけて寝た。

2010年8月23日月曜日

フローレス島旅行記:Day 5 ルーテンからバジャワへ

車窓からの景色

朝7時にルーテンを出発する。途中別のホテルからオランダ人の若いカップルをピックアップし、4人での道行きとなった。いい車で快適だが、とにかくカーブの多い山道で、車酔いしやすい私にはちょっとつらい。ドライバーはサービス精神たっぷりで、ところどころ撮影スポットに止まってくれる。

途中、車の前に飛び出してきたバイクにドライバーがなにやら悪態をついた。インドネシア語は分からなくても今のはみんな分かるよね、と同乗者みんなで笑った。「今、なんて言ったの?」とドライバーに聞いてみると、「Telur bodoh!」と言ったという。日本語に訳せば、「ばか卵!」なんだか可愛らしい悪態である。それから各国語の悪態についてみんなでひとしきり盛り上がった。


道中ドライバーから、午後バジャワ近郊のツアーをして、明日次の目的地モニまで行くのはどうかという提案があった。午後のツアーは伝統村を訪ね、温泉のある村に行くもので一人75,000ルピア、明日モニまでが一人15万ルピアだという。4人で話し合った結果、午後のツアーだけやりたいということになり、ドライバーに交渉した結果OKということになった。

ドライバーにバジャワの宿情報を聞いたら、私がもともと泊まろうと思っていた宿を勧めてくれ、電話で確認を取ってくれた。15万の部屋が2つと20万の部屋が1つ空いているという。オランダ人カップルはOKとのことだし、午後のツアーが控えていて宿探しに時間をかけたくないので、私が犠牲的精神を発揮して20万の高い部屋を取ることにして、そのまま予約を入れてもらった。Dくんは一連の話を聞いて納得していたのかと思ったら、「なんで勝手に予約入れるの」とどうやら不満だったらしい。彼は現地についてから宿を探す派で、予算も10万以下なので、15万は高いのだ。けれどつたないインドネシア語をフル回転してみんなのために一連の交渉をしていたのは私だし、午後のツアーも控えているし、ドライバーは自分の携帯でわざわざ予約を入れてくれたのだし、私は15万の部屋を譲ってあげたのだし、と内心ちょっとむっとする。いつも一人で旅をする私は、連れがいるとこういう不満や行き違いがあって喧嘩したりするんだろうなあ、とちょっと自分の心の動きがおもしろかった。もちろん連れがいる良さというのもやっぱりあるのだけれど。

お昼頃バジャワに到着し、予約したホテルにチェックインする。ふたを開けてみると、20万と15万の部屋にはほとんど違いがないのだった。あえて違いを探せば、15万の部屋は道路側で、バスルームが少し小さく、ベッドメイクがアメリカ式にシーツをたくしこんでいないことくらい。私はシーツをたくしこんだベッドは嫌いだし、バスルームが広くても意味がないし、道路側でもバジャワは静かな街なので問題ないのだった。なんのために私は5万も余計に払わなければならないのだろう。

さて荷物を置いて、ツアーに出発する。まずはレストランで昼食。そして最初の目的地である伝統村ベナ村に向かった。ベナ村までの道はかなりの悪路である。遠目に集落を見ると、なんとなく合掌造りの白川郷を思わせる。

ベナ村の全景

受付で5,000ルピアの寄進をし、村の中を見学する。広場を囲うように家が並んでいる。不思議な石の構造物がところどころにある。

不思議な石のモニュメント

家の壁にイエス・キリストやマリアの絵が飾ってあるところを見ると、キリスト教のようだ。伝統的な村にキリスト教が入っているのが不思議な感じがする。女の人たちはシリーという嗜好品(キンマと思われる)を噛み口の中が真っ赤だ。めいめいが織物を体にまとっている。

ベナ村の人々

大量の炊き出しをしているので、今日は何かあるのですかと聞くと、今朝亡くなった人があって、お葬式があるのだそうだ。

薪でご飯を炊く

やがて広場でお葬式が始まった。カラッと晴れた空の下で賑やかに行われる明るいバリのお葬式とは違って、しめやかなものだ。雨も降り出し、寂しさをかき立てる。やはりキリスト教式で、村人たちが西洋音階の美しい賛美歌を歌い出したときには、幻想的な美しさを感じた。

織物を身にまとい、賛美歌を歌う人々

Fさんという日本人旅行者に会った。たまたま通りかかったトラックに拾われて来たものの、帰る手段がないという。私たちのドライバーと交渉してみると、街まで5万とちょっと高い。しかし他に手段がないので困っていたら、ベナ村の人たちが「かわいそうだから、乗せていってあげて」と同情してくれ、ドライバーも値段を3万に下げてくれた。それでFさんも乗せて出発した。ベナ村の人たちのやさしさに感動した。

車の中で聞いてみるとFさん、僻地好きのようで、インドネシアを初めて旅したのはマルク諸島。今回はバリ島には目もくれずフローレス島に来て、このあとはスンバ島に行く予定とのことである。Fさんを街中のホテルに落とし、私たちは次の目的地ソア村の温泉へ向かう。

ソア村温泉に到着したのときはもう夕方だった。入口で入場料1万ルピアを払って中に入る。源泉から川に流れ込む温泉は場所によって温度が違い、好きな温度で入浴することができる。温泉好きの私にはたまらない。のんびりと完璧な温度のお湯に浸かりながら、バジャワにもう一泊して翌日またこの温泉に来ようと決めてしまった。

ソア村を出発したときはもう日が暮れかかり、ホテルに戻ったときはとっぷり日が暮れていた。ドライバーも宿に一泊して翌日マウメレに向かうことになり、またモニ行きを私たちに持ちかけてきた。私はバジャワに残ることに決め、Dくんは考えるという。オランダ人カップルはローカルバスでモニに向かうつもりだったが、空で走るよりもとドライバーが10万まで折れ、話がついた。ローカルバスでも9万するので、あの快適ないい車で10万ルピアはかなりのお値打ちである。

オランダ人カップルと連絡先を交換し、部屋に荷物を置いて一休みし、Dくんと散策に出た。スーパーでどんなものを売っているかチェックすると、意外にハイカラなものがいろいろ売っているのに驚いた。スーパーの女主人に近くにおいしい食堂があるかたずね、教えてもらったパダン料理の店へ行って、夕食を食べた。 食堂から宿に戻ろうとしたら道に迷ってしまった。バジャワの街は放射状になっていて、分かりづらいのである。道行く人に道を聞くと、みんなとても親切に教えてくれる。

宿に帰り着き、入浴用のお湯を頼む。ここでもバケツ半分のお湯に水を出して、バケツ一杯の水で入浴を済ませた。バジャワはルーテンよりもさらに寒い。やはり長袖に毛布で寝た。

2010年8月22日日曜日

フローレス島旅行記:Lさんのこと

ここでLさんのことを書いておかなければならない。


Lさんは2年前ジョグジャカルタのインドネシア語学校に2週間ほど通ったとき私の先生の一人だった。実際授業を受けたのは2度くらいなのだが、教え方が上手で、工夫があって、とても印象に残った。昨年ジョグジャを再訪したとき再会して、旅人なのだということが分かった。そのときLさんはちょうどスマトラ島の旅から帰ってきたところだったのだ。


欧米や日本のような先進国で旅人であることはもはや大変なことではない。ある種確立されたルートであり、情報も豊富だ。けれどもインドネシアのような経済力が弱く、保守的な国で、女性が一人旅をすることは、相当気骨のいることなのではないかと思う。


しかもこの人は小柄で華奢なのである。体重なんて37キロしかない。バックパックを背負ったらつぶれそうだ。一体この体のどこにあんなパワーが潜んでいるのだろう。


今回の旅では以前から関心を持っていたスンバ島の文盲の村につてを頼って3週間住み込み、無報酬でインドネシア語の読み書きとインドネシアの地理を教えたそうだ。もちろん旅費も食費もすべて自費である。ひとりの子がたどたどしいインドネシア語で書いた「わたしはおおきくなったらけいさつかんになりたいです。すいぎゅうをぬすむどろぼうをつかまえたいからです」という作文に感動した、と話してくれた。ジョグジャの子どもがそんなことを考えているだろうか、と。


惜しまれつつスンバ島を後にしたLさんは、フローレス東端の伝統的な捕鯨が行われるラマレラ村に向かった。到着2日目に地元の漁師に頼んで一緒に船に乗せてもらい、12時間を船上で過ごし、捕鯨を目撃した。それは言葉にならないような体験で、あまりに夢中だったので、船酔いさえ忘れてしまったそうだ。鯨はそんなに簡単に捕れるものではない。その前にはフランスの撮影クルーが2ヶ月住み込んで撮影を試みたが、一頭も捕れなかったそうである。漁民たちは漁に向かう前にまず自分の心を清めるそうだ。邪な心があると漁は成功しない。そうして捕れた鯨は村人の間で均等に分配されるという。深い哲学と高いモラルを持つ人たちだとLさんは語った。


ラマレラの後、Lさんはフローレス島を西進し、モニでクリムトゥに登り、エンデに移動し、エンデからバスに乗ってルーテンに来た。ルーテンで旧友Eさんや私と合流した後、ラブハンバジョに向かい、そこから飛行機でスラバヤへ飛び、電車でジョグジャへ帰って行った。つまりラブハンバジョからスタートしてモニまで東進する私とは逆のコースを辿ったわけだ。


Lさんはジョグジャのインドネシア語学校ではパートタイムで教えている。なぜフルタイムにならないの、と聞いたら、旅がしたいからだそうだ。次はどこへ行くのだろう。

フローレス島旅行記:Day 4 ルーテンでの一日

Brand Review 朝起きると晴れている。宿の朝食はトーストとゆで卵とコーヒー。バリに比べると大分質素だが、どうやらこれがフローレス島の宿のスタンダードらしい。

宿の敷地の一角に集会所があって、日曜日のためかそこでキリスト教の一派の集会が行われていた。生バンドが入り、歌ったり踊ったりする。次から次へと人が来て、会場はいっぱいである。宿の主人もそこの信者らしい。

この宿の主人はなかなかのやり手らしく、敷地の一角を政府に貸し、政府系の建物が建っている。バリ島のサヌールにも家を持っているそうだ。


宿の主人にルーテン近郊の見所をたずねると、ホモ・フローレシエンシス(2003年に発見された小型のヒトの新種かと言われている生物)の発見された場所があるという。またDくんは誰かに蜂の巣のような水田が美しいところがあると聞いてそこに行きたいらしい。どうやって行けるかと聞いたら、レンタバイクが一日60,000だという。問題はレンタバイクはマニュアルしかなく、私もDくんもオートマチックしか乗ったことがないことだった。操作の仕方を教わってみたが、ギアチェンジはなんとかなりそうなものの、ブレーキがオートマチックの場合ハンドルにあるのに対し、マニュアルは足で操作する。これは慣れるのに時間がかかりそうだし、いきなり人を乗せて知らない道を走るのは危険すぎる。とりあえずLさんからの連絡を待って考えようということになり、連絡があるまでまた散策に出ることにした。


ところがカテドラルに着いた頃雨が降り出し、雨足は強まるばかり。しばらく雨宿りし、雨足が弱まったのを見計らって前進するのだが、またすぐ雨足が強まり、どこかの軒下で雨宿り。


そうこうしているうちにLさんから連絡が入った。Lさんはジョグジャカルタの大学時代の親友Eさんがこの街に住んでおり、その親類筋のドライバーさんを頼んでルーテン近郊のツアーをするのはどうかと提案してくれた。3カ所回って一人120,000ルピアは安くはないが、雨の中慣れないマニュアルバイクに乗るのは無理だし、街もあらかた見てしまったし、雨の中宿でじっとしていてもしょうがないので、しぶるDくんを説得して、Lさんのプランに乗ることにした。


小雨を見計らって宿まで戻り、出かける準備をする。

しばらくして、Lさんと親友のEさんとご主人のCさんを乗せた車がやってきた。Lさんは今晩は私の部屋に泊まることになったので、荷物を私の部屋に置き、出発する。


まずは街中の食堂で昼食。それからホモ・フローレシエンシスが発見されたリアンブアの洞窟へ。かなり大きな洞窟で、今も発掘作業が進められている。実際の骨はジャカルタで研究が進められているそうで、残念ながら見ることができない。現地ガイドの話によると、見つかった骨と同じDNAを持つ人が村に現存しているそうで、背の高い人もいれば低い人もいるそうだ。

次にパイを等分に切ったような形状の水田が見られるエリアへ。高台から見るとその形状がよく分かる。住民の間で均等に土地を配分するために考えられた形状なのだそうだ。とても人の良い農家のおじさんが案内してくれた。



最後に、Eさんの親戚が住む伝統村へ。大きな家が2棟あり、各氏族を代表する一家族ずつが共同生活をしているのだそうだ。今日はお葬式の準備で残念ながら中を拝見することができなかったが、とても興味深いシステムだった。



3カ所回って宿に戻ったときはとっぷり日が暮れていた。3カ所を車で巡りながら、バイクで来なくて本当に良かったと思った。というのも道がガタガタの悪路だったり、ヘアピンカーブの狭い山道だったりして、しかも雨が降っている。慣れないマニュアルで走っていたらかなり危険だったろう。それに地元のEさん・Cさんの案内のお陰で、ちょっとイタリア語のような響きを持つ現地の言葉を聞くこともできたし、いろいろな意味で豊かな経験ができた。


さてツアーから宿に戻り、Eさん・Cさんご夫婦と別れて、LさんとDくんと3人で夕食を食べに行った。日曜の夜のせいか大方の店はもう閉まっていて、数少ない開いている食堂に入る。アヤム・ゴレン(鶏肉を揚げたもの)を頼んだら、ものすごく小さくてものすごく高いのにびっくりした。どうやらフローレスでは鶏は高いらしい。


Lさんは翌日もルーテンに残り、親友Eさんとの5年ぶりの再会を楽しむことにしたという。


Dくんと私は次の街バジャワに行くことにした。宿の主人に交通手段を相談すると、ローカルバスだと60,000ルピアだが、朝早く出発場所まで行って席を確保しなければならないし、バジャワの街外れの道路で下ろされてしまって、街中までは行ってくれないそうだ。同じ宿にマウメレに戻るドライバーが泊まっており、バジャワまで一人75,000ルピアで行ってくれるという。街外れから街までベモに乗れば5,000かかるので差は10,000になる。それで席が確保されて、融通が利いて、宿まで行ってくれるなら私はこっちを取る。私はもう20代のバックパッカーではないので、差が10,000ならば快適さを取るのだと主張して、Dくんを負かした。ドライバーと商談は成立し、出発は朝の7時ということになった。


夜中、どこかの部屋から大音量の音楽が聞こえてきて、大迷惑。朝方まで騒ぎは続き、おかげでほとんど眠れないまま一夜が明けた。

2010年8月21日土曜日

フローレス島旅行記:Day 3 ラブハンバジョからルーテンへ

車窓からの眺め

私の宿はレストランも併設しているので、きっと朝食はおいしいのだろうと期待いっぱいに朝7時過ぎに食堂に下りていったら、なんとびっくり。パンとマーガリンとジャムとコーヒーと紅茶が置いてあるだけのセルフサービスなのである。トースターもない。バリだったら安宿でもパンケーキかジャッフル(ホットサンドイッチ)に、フルーツのプレート、コーヒーか紅茶がつく。これだったらボトルの水の方が良かったとがっかりしてしまった。チェックアウト後、せめておいしいコーヒーでもとオーガニックレストランに行ってカプチーノを頼んでみたが、これが残念ながらカプチーノにはほど遠い、インスタントっぽい味なのだった。

9時に集合場所へ。
バンのような車に地元の人たちと乗り込み、カーブのきつい山道を走る。

昼過ぎにルーテンへ到着すると、ちょうど雨。街中で下ろされ、右も左も分からないまま宿探しする。最初の宿は満室で、次の宿に空室を見つけた。いちばん安い浴室なしの100,000ルピアの部屋にした。

部屋の電源コンセントに誰かがいたずら書きしたらしい

部屋に荷物を下ろすと、Lさんからメールが入った。朝エンデ発のバスに乗り、夕方4時頃ルーテンに到着する予定、ルーテンに浴室付きで50,000の宿を見つけたので予約しようと思うが、私の分も取った方がいいか、ただ見ていないので清潔かどうか分からない、とある。私はちょうど宿にチェックインしたところで、部屋にベッドが2つあるので、宿代を浮かしたかったら一緒にどうぞ、と返信するが、通信状況が悪いのか返信がない。

とりあえず宿の隣の食堂で腹ごしらえして、街を散策することにした。

ルーテンは高原の街で、ちょうど日本の軽井沢のように湿気がなく涼しくさらっとして心地よい。道が広々として、政府系や銀行の建物がやたら大きくて立派である。クリスチャンが多いらしく、教会が多い。大きなカテドラルもある。小学校の校庭で子どもたちが空手の練習をしている光景に出くわした。

夕方、そろそろLさんが到着する頃かと宿に戻って連絡を待つが、なかなか連絡がない。こちらから電話してみると、いったんは繋がったのだが、その後切れてしまってもう繋がらない。電波の状況が悪いか、バッテリー切れだろうか。

ようやく6時くらいに到着したと連絡があった。どうやら渋滞で到着が大幅に遅れ、携帯のバッテリー切れで私のメッセージが届かず、別の宿を取ってしまったらしい。聞いてみると私の宿の近くだったので、中間地点でようやく再会を果たし、夕食を食べに行った。

中華の店で夕食を食べながら、Lさんの冒険譚を聞き、翌日の再会を約束して別れた。

蒸し暑かったラブハンバジョから一転して、山間部のルーテンは寒い。共同の浴室には水しかないが、頼むとバケツ半分にお湯を入れてもってきてくれる。それを水で薄めて適度な温度にし、お風呂にする。限られた量なので工夫が必要だ。

夜は寒くて長袖に毛布をかぶって寝た。

2010年8月20日金曜日

フローレス島旅行記:Day 2 コモドドラゴンに遭遇


Brand Review

朝7時に集合場所へ。ツアーの参加者は6人。Dくんと私と、フランス人の女子医学生2人と、フランス人のカップルである。


小さなモーターボートに2時間ほど揺られ、リンチャ島に到着。到着早々に、船着き場のすぐ横に寝そべっているコモドドラゴンに遭遇した。管理棟で受付をし、コモド国立公園の入場料190,000ルピアを払い、ガイド付き1時間のトレッキングコースに出る。歩き始めてすぐ、休憩所周辺に群がっているコモドドラゴンたちに遭遇した。食べ物の匂いのせいで集まってくるようだ。日中はのんびりしているようだが、過去20年に人が2人襲われているという話を聞いているので、ちょっと動くとびくっとしてしまう。



高校生のようにあどけないガイドの男の子の説明を聞きながら、乾燥した荒々しい雰囲気のリンチャ島のトレッキングコースを歩く。コモドドラゴンはオスで最大体長3mに達する。大きな図体の割に足が速く、時速18kmで走ることができる。唾液に数多くの細菌が含まれている。水牛など大型の動物を捕食するが、まず噛みついて細菌が体にまわって死ぬのを2〜3週間待ち、5 km先のものを嗅ぎ分けるという強力な嗅覚で獲物の死臭を嗅ぎ分け、戻ってきて食べるそうだ。共食いをし、母親が子どもを食べることもあるそうで、そのためコモドドラゴンの子どもは食べられないように木の上で生活する。生まれた瞬間から必死のサバイバルが始まるなんて、なんて大変なんだろう!



私は大満足だったが、Dくんは「なんだ、この程度だったらマラッカの街中にいるよ。もっと大きいのが見たかった。なんでコモドドラゴンがこんなに有名なのか分からない」と興ざめなことを言う。Dくんと私はマラッカのバックパッカー宿で知り合った。私もマラッカには3週間ほどいた。確かに水路を大きなワニのようなものが泳いでいるのは見たが、あまりちゃんと姿を見たことがない。調べてみると、確かにマラッカには大型のトカゲがいるようだ。体長2メートルに達するのもあるようだが、家畜や人間を襲ったりすることはないおとなしい性質のようで、ルックスだってコモドドラゴンのように怪獣チックではない。しかしDくんにとってはどうやら大きさだけが問題らしい。それじゃまるでイリオモテヤマネコを見て、なんだこんな猫なら町中にいるよというのと同じなんじゃないのかなあ、とどうも釈然としない。



1時間のトレッキングを終えてボートに戻り、スノーケリングのため次の島に向かう。1時間ほどで島に到着し、ご飯と揚げた魚の昼食をいただき、めいめいにスノーケリングを楽しむ。


そしてまた1時間ほどボートに揺られてバジョに戻り、解散となったのであった。


翌日はLさんと合流するため、隣のルーテンという街に移動することに決めた。交通手段を探すと、60,000ルピアの乗合タクシーがいちばん安かったので、予約した。出発は朝の9時。ルーテンには3時間半ほどで着くという。


夜は地元のパダン料理の食堂で安くておいしい魚を食べた。

2010年8月19日木曜日

フローレス島旅行記:Day 1 バリからラブハンバジョへ


バリから飛行機で一路フローレス島西端のラブハンバジョへ。世界最大のトカゲ、コモドオオトカゲが生息することで知られるコモド島とリンチャ島の起点となる街で、近郊の海はダイブスポットとしても有名だ。小屋が一棟あるだけの小さな空港に降り立ち、群がってくるタクシーのドライバーの一人と値段交渉をして、予約していた安宿に向かう。

トップシーズンのせいか、宿はどこも高い。しかも競争の激しいバリ島に比べると値段に対する質はかなり落ちる。バリと違って一年中観光客が来るわけではないので、稼ぎ時に稼げるだけ稼いでおくということなのだろう。私の宿は蚊帳付きのベッドと洋服ダンスと扇風機と水シャワー付き浴室という簡素なものだが、175,000ルピアもする。この設備でウブドなら80,000くらいだ。しかも設計が変で、浴室の電気のスイッチは背伸びしなければ届かないところにあるし、シャワーのレバーは椅子に乗らなければ届かないところにある。一体何を考えて作ったのだろう。

チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いて、Dくんと合流すべく近くのオーガニックWiFiレストラン(というものがあるのが驚きだった)に向かう。Dくんは一足先にロンボク島から24時間かけてバスとフェリーを乗り継いで来ていた。安い宿を探し回って、ようやく100,000ルピアのところを見つけたが、スタッフが感じが悪く、朝食のパンケーキは信じられないほどまずいのだそうだ。

このオーガニックレストランは少々高いがとてもおいしい。昼食に食べたフィッシュ&チップスはかなり心に残るおいしさだった。

Dくんはフローレス島についてほとんど情報を持たないまま来てしまい、とりあえずコモドドラゴンと3色の湖クリムトゥは見たいということである。日程も大体一致するので、じゃあ一緒に動こうよということになった。

街中の教会

仕事中のDくんと別れて、散策に出た。とても暑い。ラブハンバジョの街はクリスチャンとムスリムが半々くらいのようだ。出会う人々の名前がステファンとかジョゼフとかヴィンセントとかなのにフローレスを感じる。

翌日のコモドドラゴンツアー情報を求めて、いくつかのエージェントを当たってみた。歩き疲れて店の軒先にすわっていたら、おじさんに宿に空き室あるけどどうかと声をかけられた。今夜の宿はもう決まってるけど、いちおう見るだけ見せてもらうことにした。結局部屋は気に入らなかったが、明日コモド見に行かないかと聞かれた。いくらかと聞いたら、リンチャ島+スノーケリング+昼食付きで130,000ルピアだという。これは今まで聞いた中でいちばん安い。早速Dくんに知らせると、Dくんもそれは安いと言う。早速予約を入れた。出発は翌朝7時である。

帰り道にスノーケリング用の3点セットをレンタルした。宿に戻り、翌日の朝食を6時半にできないか聞くと、7時からしかできないという。それなら朝食を今作ってくれないかと聞くと、それもできないという。コモドツアーやダイビングツアーがメインの観光地で、早朝出発はよくあることだというのに、この融通の利かなさはどういうことだろう。朝食の代わりに水のボトルを出すというので、それをもらうことにして、朝食代わりのクラッカーを買いに行った。

夕食はまたオーガニックレストランで、Dくんお勧めのサンドイッチを食べた。自家製らしいパンがすごくおいしい。

宿に戻り、翌日に備えて早く寝る。夜になっても気温があまり下がらず、寝苦しい。

フローレス島旅行記:前記


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バリ島以東に広がるヌサ・トゥンガラ諸島(ロンボク島、スンバワ島、フローレス島、スンバ島、ティモール島を含む大小1,000の島々を指す)には前々から行ってみたいと思っていた。決行しようかと計画を立てていた折、ジョグジャカルタのインドネシア語学校で私の先生の一人だったLさんから突然携帯メールが入った。なんとスンバ島にいるという。その後フローレス島東端の伝統的な鯨漁で有名な僻村ラマレラに向かうというではないか。なんというタイミング。


ブラジルとポルトガル語をこよなく愛する私は、大航海時代のポルトガルの足跡を辿ることに興味があって、マカオにもマラッカにも行った。同じ意味でフローレス島に興味があった。フローレスとはポルトガル語で花々を意味する。その響きにも心惹かれた。


本当はじっくり各島々を巡りたいところだが、時間と予算の制限もあり、今回はLさんとの合流に主眼を置いて、このフローレス島に的を絞ることにした。さらにちょうどロンボク島を旅行中だった同業者(旅する翻訳者)のチェコ人Dくんにフローレス行きのことを話したら、彼も合流することになった。