エンデという街の名前は「モモ」を書いたミヒャエル・エンデを思わせる。実際のエンデの街はシュールでも特に童話的でもないけれど、港があって、坂がちで、こじんまりとして、静かで、かわいらしい。
昨日やるべきことはやってしまったので、今日は特にすることもない。明日は朝早い飛行機でバリに帰るので、旅の最後の一日を特に何もせずのんびり過ごすのも悪くないと思った。
朝まず部屋替えのことをものすごく無愛想な宿の女主人に聞いてみると、お昼頃にならないとどの部屋が空くか分からないという。まあそれならお昼に帰ってきて様子を聞くか、帰って来られなければあと一晩だけなので今の部屋でもいいかと思った。
小さな丸いパンひとつと紅茶だけのわびしい朝食を済ませ、翌日の下見を兼ねて空港まで歩いてみる。10分もかからずに到着した。そこからオジェのおじさんに声をかけて、Lさんに教えてもらったインドネシア初代大統領の家まで連れて行ってもらった。お金を払おうとすると、おじさん、いらないと言って走り去ろうとする。そういうわけにはいかないよ、おじさんだってご飯食べなきゃならないでしょ、と引き止め、5,000ルピア渡した。しかし2,000おつりね、と言うのも忘れなかった。
さてインドネシア初代大統領の家はこじんまりとして、彼に何か思い入れがあるわけでもない私には特におもしろいものもない。早々に見終わり、近くのイカット博物館に行ってみた。こちらは各地のイカットが展示されていて、楽しい。上品なおばあさんが実際にイカットを織っているところも見られる。うちの父方の祖母が昔機織りをする人で、部屋には織機や糸巻きがあったのを覚えている。それを思い出して懐かしくなった。近くに軍隊の施設があって、迷彩服のおじさんたちが暇なのか何人か私と一緒に機織りのところにたむろしている。私が立ち去ろうとすると、隣にももう一件博物館があるよと案内してくれた。
何の博物館だろうと言ってみると、入口に大きな水槽が2つあって、大蛇が2匹入っている。柔和な笑みをたたえた館長さんが出迎えてくれて、この蛇はどこから来たのですがと聞くと、山の方だと言う。何を食べるのですかと聞くと、鶏だと言って、一羽持ってきましょうか、と言うので、ぎょっとして逃げた。館内には貝殻とかイルカの骨とかが展示してある。聞いてみると館長さんは実はカトリックの神父さんで、孤児院の子どもたちのための養育費稼ぎとして、その私設博物館を運営しているそうだ。そのうちホルマリン漬けのひよこなど出し始めるので、もう結構です!と言って、わずかな寄付金を払って辞去した。
博物館を出て、港の方まで行ってみる。昨日の夜も食べていないし、朝ご飯もわびしかったのでお腹が空いて、食堂に入った。残念ながら余りおいしくなかったが、値段は安かった。
それから市場をぶらぶらしていたら疲れたのと雲行きが怪しくなってきたので、いったん宿に戻ることにした。まだ高校生くらいではないかと思われるオジェのお兄さんをつかまえて、宿に戻った。
宿に戻り女主人に部屋の空き状況を聞いてみると、私が狙っていた部屋は空かないという。他に談話室から離れた部屋はないかと聞くと、2階に60,000の部屋があると言われた。見てみると今の部屋より狭いが、明るくてプライバシーがあって気に入ったので、そちらに移ることに決めた。
荷物を移し、水浴したらさっぱりした。そのうちDくんがモニから到着した。Dくんは騒音が気にならないというので、私がいた部屋に入ることになった。この部屋、談話室に面していることと扇風機のききが弱いこと以外は、広々としてお勧めなのである。Dくんにペルニ社事務所や銀行の位置を説明し、私は部屋に引っ込んで昼寝した。
2時頃目覚めてそろそろビーチにでも行ってみるかと支度していると、ちょうどDくんも街から帰ってきた。船のチケットを取ってきたというので見せてもらう。1,000人乗りくらいのなかなか大きな船らしく、夜はバンドの演奏もあったりするらしい。私はかつて3ヶ月世界一周の船旅をしたことがあるので、大体船上生活の想像はつく。ペルニ社の船は数年前に沈んだことがあるんだよ、とか、何かお母さんに言い残しておくことはないとか、いろいろ脅してからかった。
そのうち偶然Nさんも部屋から出てきたので、3人で街を散策することにした。
私は猛烈にお腹が空いていたので、まず食堂に行くことにして、宿の前に待機していたオジェのおじさんにおいしい食堂の場所を教えてもらった。ふつうオジェのおじさんは「あるけど遠いよ。オジェに乗っていきな」とか言うものなのに、そのおじさんは「近くにあるよ。歩いて行けるよ」と教えてくれたのでありがたい。ぶらぶらと歩いているうちにおじさんに教えてもらった食堂の名前を忘れてしまったのだが、おいしそうな食堂があったので入った。食べたかったガドガド(野菜を茹でてピーナツソースをかけたもの)があったので大満足である。DくんとNさんはバクソ(魚のつみれが入ったスープに麺が入ったもの)を食べたが、ベジタリアンのNさんは魚のつみれがおいしくなかったらしく、つみれを全部Dくんにあげてしまった。つみれの入らないバクソなんて、ハンバーグの入っていないハンバーガーみたいなものである。
腹ごしらえがすんでさらに歩いて行くと、食品店があったので入る。Nさんは翌日のバスの旅に備えてスナックを仕込み、私は朝早くのフライトなので朝ご飯代わりのビスケットを買い込む。Dくんは私がDくんのためにペルニ社の情報収集をしてあげたことをいつまでも恩着せがましく言うので、口封じにアイスを買ってくれた。これで二度と言うなということらしい。
さらに歩いて行くと、子どもたちが体育館で空手の練習をしているところに出くわした。見学させてもらうと、それは少林寺拳法だった。どうやらフローレス島では武道が大人気らしい。とても親切な男の先生がいろいろ説明してくれ、今度来たらホテルでなく家に泊まりなさいねと言ってくれた。
程なくビーチにたどり着いた。沈んでいく夕日を見ながら、なかなかいい旅の締めくくり方だと思った。浜でサッカーをしていた高校生くらいの男の子たちに話しかけられ、おしゃべりしていて、Lさんに聞いていたナイトマーケットのことを聞くと、連れて行ってあげるよ、ということになった。どうやら彼らの帰り道だったらしい。彼らに先導されながら夜道を歩く。家に着いた子が一人、二人と帰って行く。最後の一人と別れてからまもなく、ナイトマーケットに到着した。が、どうも期待していたような屋台が並ぶようなものではなく、野菜、果物、衣類の店が並んだものに過ぎなかったので、早々に退散して、オジェを拾って宿に帰った。
Nさんは翌朝のバスで西へ向かい、Dくんは9月1日の乗船までエンデに残り、私は翌朝の飛行機でバリに戻る。宿のロビーでお別れして、めいめいの部屋に戻った。
水浴して、さっさと床についたが、2階は2階で盛りのついた猫たちの声とトタン屋根を駆け回る音が騒々しいのだった。