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2011年8月18日木曜日

プレボン


7月末からシンガポール行きや、懐かしい友だちの来訪が相次ぎ、長らく更新をお休みしていましたが、今朝福島のMちゃんが2週間の滞在を終えて帰っていきました。折しも今日のウブドは盛大なプレボン(王族の火葬の儀式)一色。ということで、心機一転、更新を再開したいと思います(過去に遡って更新したりしますが、悪しからず)。


まずはプレボンのレポートから。

今まで経験した中では最も盛大なプレボン。

1ヶ月くらい前から、ウブド王宮の脇の道では、巨大な、それはそれは立派な黒い牛の張り子と、バデと呼ばれる9層もの高さの塔(高さ24メートル、重さ10トン!)の建設(と呼ぶにふさわしい規模なのである)が進んでいた。


当日の今日は朝から交通規制が敷かれ(混雑に巻き込まれないため、空港に向かうMちゃんは随分と早く出なければならなかった)、巨大な張り子と塔が電線に引っかからないよう1日停電になる。学校も早朝だけでおしまいになる。


美しく着飾った遺族の女性たち(たぶん)


ウブド王宮から火葬場までの1kmほどの葬列行進はお昼過ぎにスタートする。沿道には人だかり。物売りも稼ぎ時とばかりに朝から大勢やってくる。楽隊や、故人の遺品(と思われる)を運ぶ婦人たちや、お輿に載せられた稚児や、槍をもった戦士たちに先導されて、あの巨大な黒い牛の張り子と塔が姿を現す様は壮観である。その巨大な構造物を男衆が気勢を上げて担ぎ、200メートル置きぐらいに次のグループに交代する。


楽隊の先導


戦士


お輿に載せられた稚児


張り子と塔がその偉容を現す


暑さと疲れで火葬場まで行く気力が無く、張り子と塔を見送ったら早々に退散した。


雲を突く9層のバデ

2010年8月15日日曜日

リハーサル


ガムランの先生に教えてもらって、由緒ある歌舞団の、8月末に予定されている特別な舞台の練習を見に行った。
久しぶりに気持ちよく晴れた、爽やかな日曜の夕方。風が心地いい。
私は衣装を着けた本番よりも、お稽古を見るのが好きだ。
それは多分、バリ舞踊は様式美の極致なので、衣装を着けて踊っているとまるで人形でも見るように、それはそういうものとさらっと流れてしまうのが、普段着だと、私たちと同じ生身の人間である踊り手が、体を制御して型に自分をはめこんでいく美しさが透けて見えるからだと思う。
そのディシプリンに魅了される。
アシンメトリーな型の美しさ。妖艶な目の動き、首の動き。
トランスセクシュアルなのもバリ舞踏のユニークさだ。男が女を踊り、女が男を踊る。
バリはやっぱりすごい、と見直す瞬間だ。

2009年10月17日土曜日

Classic Films of Bali

プログラム

1930年代のバリと言えば、ヴァルター・シュピースを始め数々の西洋人芸術家や人類学者などがこの島に魅せられてやって来た時代であり、そういった人々の手による調査記録や論文、著作も数多い。そういった著作や写真を通じて、少し昔のバリの様子を興味深く知ったり、この島の音楽や舞踊に魅せられる著者たちの(特にヴァルター・シュピースとコリン・マックフィーの)「気持ち」に深く共感したりしている私にとって、1930年代のバリというのは(ちょうど1950年代のリオ・デ・ジャネイロのように)一種の憧憬をかきたてるテーマなのだが、その時代の貴重な映像記録を集めた映写会が4夜連続であった。フランスのLa Cinémathèque de la Danse, Paris(パリ舞踏映像図書館といったところだろうか)という機関の好企画で、在インドネシアフランス大使館が後援し、アマンダリホテルが20周年記念行事の一環として協賛したようだ。ウブド郊外クデワタンの美しい渓谷を見下ろす神社のホールで、地元のバリ人の人たちを招いて無料で行われた。さすがはアマンダリ、太っ腹である。

上映された作品を一覧すると、
第1夜:
- 「ヴァルター・シュピースの生涯」(1986) H. Hulscher
- 「バリ」(1933) Rolf de Maré
第2夜:
- 「悪霊の島」(1933) ヴィクトル・ヴォン・プレッセン&ヴァルター・シュピース
第3夜:
- 「バリのトランスと舞踊」(1938) マーガレット・ミード&グレゴリー・ベイトソン
- 「レゴン—処女たちの島」(1935) Henry de la Falaise
第4夜:
- 「楽園の異邦人」(2007) Agnès Montenay
- 「コリン・マックフィー アジア音楽の魅惑」(1985) Michael Blackwood
(注:邦題は便宜上筆者がつけたもの)

もちろん私は全夜通い詰めたが、非常に充実した楽しい4夜であった。

特に、Rolf de Maréという人が撮った「バリ」(1933)という30分ほどの無声記録映像は、様々な様式の舞踊を記録したものだが、その中に有名な天才舞踏家マリオが子どもに稽古をつけている場面が収められていて、これは本当に鳥肌ものだった。この有名な舞踏家については、写真や文章で目にする機会はあったものの(それだけでも息を呑むほど美しかったが)、実際に動いている映像を見るのは初めてだったのだ。その体の線や動きの美しさ、子どもに稽古を付けていくときの、操り人形師と操り人形のような独特な空気感、すべてがただただ美しくて、見入った。会場もこの場面は喝采であった。

また「コリン・マックフィー アジア音楽の魅惑」(1985)では、当時このカナダ人音楽家の運転手を務め、バリの音楽調査の水先案内人となったクンダン(太鼓)の名手で、実は私のガムランの先生の師匠でもあった故マデ・ルバ師のインタビュー映像などもあり、個人的には大感激だった。

ちょっとおもしろかったのは地元バリの人たちのノリのいい反応で、恋物語で若い二人が思いを寄せる場面なんかはやんややんやと冷やかしが飛ぶし、1930年代の胸を露わにした女性たちとか当時の習俗などは、外国人の私たちの目から見るとそれほど現代と違っていると思わないのだが、今のバリの子どもたちから見るとおかしいらしく、ゲラゲラ笑っていた。

余談だが、このイベントはまったく街中で宣伝を見かけなかった。私がなぜ知ったかというと、たまたまいつも行くヨガスタジオの受付に、たまたま無造作に置かれていた新聞の切れ端のようなものを目にして、メモを取らせてもらい、アマンダリまで問い合わせに行ったのだ。これを運命でなくして何と呼ぶ?

会場からの眺め

2009年10月14日水曜日

ガルンガンがやって来た


ガルンガンがやって来た。日本の元日によく似て、空は晴れ渡り、家々は門松のようなペンジョールで美しく飾られ、午前中は静謐な雰囲気が漂う。

そして午後になると獅子舞のようなバロンが繰り出し、門付けをしてまわる。




2009年10月13日火曜日

ラワール


ガルンガンがやって来る。ガルンガンというのは文字通り日本の盆と正月を合わせたような行事で、前日の今日は皆さん準備で忙しい。各家庭の前にペンジョールという竹ののぼりが立てられ、街中ペンジョールのアーチできれいである。

そんなお祭りのごちそうと言えばラワール。肉をたたいていろんな香辛料と生血を混ぜ合わせたものだ。これを作るのは男衆の仕事である。昼間近所から聞こえてきた豚の断末魔の声は、ラワールになるためにつぶされる豚の声だったのだろう。

今朝ガムランの先生が、作りたてのラワールをわざわざ届けてくださった。つぶされた豚たちに感謝しながら、おいしくいただいた。

2009年10月5日月曜日

ポトン・ギギ(削歯儀礼)見学記

エジプトの王様のような削歯中のMくん

数々の儀式や祝祭に彩られたバリの人々の生活を常々興味深く観察させてもらっている私だが、オダランや火葬のようなオープンな儀式はよく見学する機会があっても、結婚式などの通過儀礼的なものとなるとやはり個人的なつてがないと難しい。そんな折、日本の某国際協力団体で働いている友人Hちゃんが受け容れている留学生の中に、バリ人のMくんという人がいて、近々ポトン・ギギ(削歯儀礼)のために一時帰国する予定であると聞き及び、図々しくも見学させてもらえないだろうかとHちゃんを通じてお願いしたところ、快諾していただいたのが数ヶ月前のことであった。

ポトン・ギギとは、バリ人が生まれてから死ぬまでの間に必ず行わなければいけない重要な通過儀礼のひとつで、上の前歯6本を(象徴的に)やすりで削る。その意味するところは、ヒンドゥーの教義的には人間の中にある6つの敵(強欲や怒りなどの好ましくない性質)を減じるためだそうだが、民俗学的な見地から言えば、バリ人は獣のような性質を忌み嫌うため、尖った歯=獣のような歯を平らにすることで洗練された一人前の人間になる、という意味合いもあるらしい。本来は結婚前までに済ませておくのが理想だが、非常にお金がかかるため、大抵は親族でいっぺんに他の儀式と併せて行うことが多いという。もしポトン・ギギを行う前に亡くなった場合は、埋葬前に行うというから、そのくらい大切な儀式なのだ。

こんな素敵な招待状をいただいた
弟さんの結婚式と一緒に行われるという

かくして当日がやって来た。バリ式の正装をして、バイクで1時間ほど南に下った海辺の街サヌールに向けて出発する。吉日であるらしく、あちこちで様々な儀式が行われており、通行止めのため道を大きく迂回しなければないところもありあせったが、無事時間通りに会場に到着することができた。

一頃は海辺のリゾートとして脚光を浴びたサヌールだが、今は隣のクタや最近注目のスミニャック、新たに開発されたヌサドゥアなどにお株を奪われ、少し寂れた熱海のような、でもそれはそれでしっとり落ち着いた風情がある。
1930年代にウブド近郊のサヤン村に居を定めたカナダ人音楽家コリン・マクフィーが、名著「A House in Bali」の中で、南の漁村クタに足を延ばしたときの印象をこう語っている。
『サヤン村はどんより曇っている日があまりに多く、人々の表情もいくぶん堅くて鈍重な印象だった。平野部の住人は性格的にもだいぶ違っていて、開放的で明るかった。市場で車を降りるやいなやその違いは一目瞭然で、陽除け幕の下はまるでピサロの絵にでてくる午後のように朗らかだった。』(邦題『熱帯の旅人』—大竹昭子・訳)
この描写がよく分かる。ウブドの人たちが鈍重だとは思わないけれど、陽光溢れる海辺の街は明るくて、人々もより開放的に見える。

会場の雰囲気

受付で記名し、お祝儀を渡し、飲み物とスナックをもらって中に入る。会場では特に何か式次第や案内があるわけでもなく、儀式は儀式で勝手に進行し、集ったお客さんたちはそれぞれお喋りに興じている。しばらく手持ちぶさたに座っていたが、奥の一角で何か行われそうなのでそちらへ行ってみると、まさにポトン・ギギが始まろうとしていた。

寝台にのぼるMくんの弟さん
今日の結婚式の新郎でもある

寝台にポトン・ギギを受ける人が寝かされ、司祭の手により削歯が行われる。その周りを親類縁者の人たちが取り囲み、何やら歌をうたったりしてしている。手元の資料(”Bali Sekala & Niskala” Fred B. Eiseman, Jr.著)によると、削歯中の人は象徴的に一度「殺されて」おり、非常に脆弱な状態にあるので、近しい人たちが近くにいて守るのだそうだ。

削歯中、周りを囲んでサポートする親類縁者の人たち

削歯が終わり寝台を降りるとき、何か草のようなものを踏む

会場では常に賑やかに音楽が奏でられている

プダンド(最高司祭)

一連の主立った儀式が終了する頃ちょうどお昼になり、バイキング形式で好きなものを取ってお昼をいただく。

ごちそう

うかうかご飯を食べている間にも、傍らで粛々と儀式は進行しているのであった。

今日ポトン・ギギを受けた4人の皆さん

削歯の後もまだ、様々な手順が進む
左の二人が結婚式の新郎新婦

聖水を浴びたり、黒い鳥におでこをつつかせたり
耳に何やら糸のようなものをかけたり
何かの植物を頭に巻いたり…

その儀式が終わると、人々が会場から出て行くので、ポトン・ギギはこれでお終いで、休憩をはさんで結婚式なのかな、と思ってそのまま座っていたら、Mくんがやってきて、「これで終わりです」と言う。「え、結婚式はいつやったんですか!?」と聞いたら、どうやら同時並行で行われていたらしいのである。すっかり見損なってしまった。

神々しい光が差し込む神棚

Mくんとは初対面だったのだが、Hちゃんの言葉通り、「超真面目な好青年」であった。お隣ジャワ島ジョグジャカルタの某有名大学のコンピュータエンジニアリング部講師の身分で、現在は日本の某有名大学に留学中という超優秀な理系の人でありながら、一時帰国して伝統的な儀式をきちんとこなす。「留学が終わったらまたジョグジャに?」と聞く私に、「はい。でもここが私のホームタウンです」と答えたMくんのバリ人としての揺るぎのないアイデンティティがとてもまぶしく見えた。

儀式が終わって弟さんと談笑するMくん

2009年10月3日土曜日

プリアタン村のオダラン


歌舞が盛んなことで有名なプリアタン村のとある神社のオダランが6日間に渡って繰り広げられた。さすがはプリアタン。外庭に1組、内庭に2組の種類の異なるガムランが常時配置され、内庭ではワヤン・クリッ(影絵芝居)にグンデル・ワヤン(ワヤン・クリッの伴奏に使われるガムラン)、数々の踊りが奉納され、外庭ではトペン(仮面劇)が上演され、華やかなこと!

プログラム満載

お清めを受ける踊り子たち

外庭のガムラン この中に私の先生がいる

ワヤン・クリッ+グンデル・ワヤン

神社の境内に所狭しと並ぶお供え物は
終わったら持って帰ってみんなで食べる

満月の空にプダンド(司祭)の鳴らす鐘の音が響き渡り
静粛な祈りの場が訪れる

2009年9月27日日曜日

踊りの稽古


ガムランの先生が楽器を直しに行くというので、くっついて行った。先生が工房で交渉をしている間、ふらふら近所を散歩していたら、村の集会所に女の子たちが集まってこれから踊りの稽古が始まろうとしているところに出くわした。のぞいていたら、外国人が珍しいのか、女の子たちが全部こちらに押し寄せてきてしまった。

「どこから来たの?」
「誰と来たの?」
「名前は何ていうの?」
「これからどこに行くの?」
中には日本語を習っているという子もいて、「ハジメマシテ、ドゾヨロシク」

稽古が始まる前に先生が戻ってきてしまったので、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたが、振り返るともう稽古が始まっていて、さきほどの無邪気な女の子たちがあの色っぽいS字の型を作っているのだった。

2009年9月6日日曜日

ンガベン(火葬の儀)の準備

通りかかったバンジャール(地域共同体)の集会場に
可愛く並ぶ張り子たち

今はバリ暦(太陰暦)でいう第二の月に入っており、この月はンガベン(火葬の儀)がよく行われる月だそうだ。なるほど近所ではこのところ、遺体を入れて燃やすのに使われる黒い牛の張り子を作る光景が見られた。ンガベンは大変お金がかかるので、亡くなってすぐ行えるのは王族とかお金持ちだけで、庶民はいったん遺体を埋めて、お金が貯まってから合同で行うそうだ。亡くなってから火葬の儀を行うまでに5年かかることもあるらしい。うちの近所の合同葬は明後日行われる。

2009年9月1日火曜日

ジョグジャ再訪 その2

ソロに沈む夕日

去年ジョグジャに滞在していたとき行きそびれたソロへ。日本の皆さんには「ブンガワン・ソロ(ソロ河)」でお馴染みのソロである。

見事なバティック博物館を見学し、飲茶をたらふく食べた。

バティックの製作工程

Happy birthday to me! Iさんが抹茶ケーキを焼いてくださった。
さてろうそく2本の意味するものは!?

2009年8月27日木曜日

オダランでコントを観る


名うてのガムラン楽団を擁する隣村の神社でオダランが行われていると聞いて、夜出掛けてみた。

オダランというのは神社の創立記念日で、人々は正装しお供え物を持って家族揃ってお祈りに行くのだが、村祭りのような側面もあって、祈りを捧げる厳粛な場のすぐ外で、神々と人々の両方を楽しませるのであろう、娯楽性の高い芸能演目が奉納・上演されたりする。この聖と俗が自然に隣り合わせる感じがとてもいい。

そしてこの日の演目は、吉本かと思うようなコントなのだった。ドラッグクイーンばりに女装した二人の踊り手と、仮面をつけた二人の男性が、ガムランを伴奏に舞踏と歌を交えたコントを繰り広げ、老若男女問わず会場をドッと沸かせている。バリ語なので話の中味はさっぱり分からないが、絶妙な間や仕草や笑う人々を見ているだけで楽しくなってくる。

夜も11時をまわり、まだまだ続きそうなコントと一向に人の減らない会場に後ろ髪を引かれながら、そっと神社を後にした。

2009年7月27日月曜日

夜の熱帯魚たち


ウブドでは毎晩7~9の芸能定期公演が行われていて、宵闇が迫る頃には街灯にチケット売りたちが溢れ、正装したガムラン演奏者のおじさんやら、上半身裸で黒白の市松模様の腰布を撒いたケチャのおじさんやら、シータ姫やら、神猿ハノマンやら、バリスの踊り手やらが、衣装をつけたまま普通にバイクや徒歩で会場に向かう姿が風物詩となっている。私の敬愛するガムランの先生もこうした定期公演を行う様々なグループに属しているが、今度また新たなグループが結成され、そちらにも加わることになったそうだ。定期公演を間近に控えたその新グループの練習におじゃました。

会場は私が最も好きなサラスワティ王宮。蓮の池がとても美しい。サラスワティは日本で言うところの吉祥天女。弁天様だ。

普段着の踊り手たちとガムラン演奏者のおじさんたちがなんとなく集まって、なんとなく練習が始まる。私はこういう光景を見るのが大好きで、いつまでも飽きることがない。夜の海を泳ぎ回る熱帯魚を見ているような幻想的な時間だった。

2009年7月19日日曜日

王子様!


ビザの関係で1泊2日のシンガポール行。

と言っても仕事の締め切りと重なり、ほとんど宿かスターバックスにこもって仕事をしていたので、バンコクに続いてシンガポールのサルサシーンをチェックするという野望は果たせず、近所に食事に出る以外ほとんど散策もできなかったのだが、それでもバリでは余り食べられない中華の炒飯(ナシゴレンではなく)や、インド料理が気軽に食べられるのがうれしい。

さて、そんな短い散策の間に、こんなショーウィンドウを見つけてしまった。

思わず「王子様!」と叫びたくなるこのきらびやかな衣装。リトル・インディアにはこんな洋服屋が軒を連ねている。写真ではちょっと見えづらいが、先がくるっと上にカールしたキラキラの靴なども置いてある。インドの方々はどういうときにこういうお召し物をお召しになるのか…おとぎ話のようなショーウィンドウに私の目は釘付けなのだった。

2009年7月16日木曜日

オダランの行列


家の前を通ったオダランの行列。お揃いの衣装を身につけ、頭に供物を載せて運ぶ女性たちの艶やかなこと。

2009年7月11日土曜日

アートフェスティバル閉幕


州都デンパサールで1ヶ月にわたって繰り広げられたアートフェスティバルが今日閉幕した。バトゥアン村のチュニックさんという、80歳過ぎて今なお現役という人間国宝のような踊り手を筆頭に三世代によって踊られる「ジョゲッ・ピンギタン」という古典舞踏を見に足を運んだ。

会場の風景