2009年10月5日月曜日

ポトン・ギギ(削歯儀礼)見学記

エジプトの王様のような削歯中のMくん

数々の儀式や祝祭に彩られたバリの人々の生活を常々興味深く観察させてもらっている私だが、オダランや火葬のようなオープンな儀式はよく見学する機会があっても、結婚式などの通過儀礼的なものとなるとやはり個人的なつてがないと難しい。そんな折、日本の某国際協力団体で働いている友人Hちゃんが受け容れている留学生の中に、バリ人のMくんという人がいて、近々ポトン・ギギ(削歯儀礼)のために一時帰国する予定であると聞き及び、図々しくも見学させてもらえないだろうかとHちゃんを通じてお願いしたところ、快諾していただいたのが数ヶ月前のことであった。

ポトン・ギギとは、バリ人が生まれてから死ぬまでの間に必ず行わなければいけない重要な通過儀礼のひとつで、上の前歯6本を(象徴的に)やすりで削る。その意味するところは、ヒンドゥーの教義的には人間の中にある6つの敵(強欲や怒りなどの好ましくない性質)を減じるためだそうだが、民俗学的な見地から言えば、バリ人は獣のような性質を忌み嫌うため、尖った歯=獣のような歯を平らにすることで洗練された一人前の人間になる、という意味合いもあるらしい。本来は結婚前までに済ませておくのが理想だが、非常にお金がかかるため、大抵は親族でいっぺんに他の儀式と併せて行うことが多いという。もしポトン・ギギを行う前に亡くなった場合は、埋葬前に行うというから、そのくらい大切な儀式なのだ。

こんな素敵な招待状をいただいた
弟さんの結婚式と一緒に行われるという

かくして当日がやって来た。バリ式の正装をして、バイクで1時間ほど南に下った海辺の街サヌールに向けて出発する。吉日であるらしく、あちこちで様々な儀式が行われており、通行止めのため道を大きく迂回しなければないところもありあせったが、無事時間通りに会場に到着することができた。

一頃は海辺のリゾートとして脚光を浴びたサヌールだが、今は隣のクタや最近注目のスミニャック、新たに開発されたヌサドゥアなどにお株を奪われ、少し寂れた熱海のような、でもそれはそれでしっとり落ち着いた風情がある。
1930年代にウブド近郊のサヤン村に居を定めたカナダ人音楽家コリン・マクフィーが、名著「A House in Bali」の中で、南の漁村クタに足を延ばしたときの印象をこう語っている。
『サヤン村はどんより曇っている日があまりに多く、人々の表情もいくぶん堅くて鈍重な印象だった。平野部の住人は性格的にもだいぶ違っていて、開放的で明るかった。市場で車を降りるやいなやその違いは一目瞭然で、陽除け幕の下はまるでピサロの絵にでてくる午後のように朗らかだった。』(邦題『熱帯の旅人』—大竹昭子・訳)
この描写がよく分かる。ウブドの人たちが鈍重だとは思わないけれど、陽光溢れる海辺の街は明るくて、人々もより開放的に見える。

会場の雰囲気

受付で記名し、お祝儀を渡し、飲み物とスナックをもらって中に入る。会場では特に何か式次第や案内があるわけでもなく、儀式は儀式で勝手に進行し、集ったお客さんたちはそれぞれお喋りに興じている。しばらく手持ちぶさたに座っていたが、奥の一角で何か行われそうなのでそちらへ行ってみると、まさにポトン・ギギが始まろうとしていた。

寝台にのぼるMくんの弟さん
今日の結婚式の新郎でもある

寝台にポトン・ギギを受ける人が寝かされ、司祭の手により削歯が行われる。その周りを親類縁者の人たちが取り囲み、何やら歌をうたったりしてしている。手元の資料(”Bali Sekala & Niskala” Fred B. Eiseman, Jr.著)によると、削歯中の人は象徴的に一度「殺されて」おり、非常に脆弱な状態にあるので、近しい人たちが近くにいて守るのだそうだ。

削歯中、周りを囲んでサポートする親類縁者の人たち

削歯が終わり寝台を降りるとき、何か草のようなものを踏む

会場では常に賑やかに音楽が奏でられている

プダンド(最高司祭)

一連の主立った儀式が終了する頃ちょうどお昼になり、バイキング形式で好きなものを取ってお昼をいただく。

ごちそう

うかうかご飯を食べている間にも、傍らで粛々と儀式は進行しているのであった。

今日ポトン・ギギを受けた4人の皆さん

削歯の後もまだ、様々な手順が進む
左の二人が結婚式の新郎新婦

聖水を浴びたり、黒い鳥におでこをつつかせたり
耳に何やら糸のようなものをかけたり
何かの植物を頭に巻いたり…

その儀式が終わると、人々が会場から出て行くので、ポトン・ギギはこれでお終いで、休憩をはさんで結婚式なのかな、と思ってそのまま座っていたら、Mくんがやってきて、「これで終わりです」と言う。「え、結婚式はいつやったんですか!?」と聞いたら、どうやら同時並行で行われていたらしいのである。すっかり見損なってしまった。

神々しい光が差し込む神棚

Mくんとは初対面だったのだが、Hちゃんの言葉通り、「超真面目な好青年」であった。お隣ジャワ島ジョグジャカルタの某有名大学のコンピュータエンジニアリング部講師の身分で、現在は日本の某有名大学に留学中という超優秀な理系の人でありながら、一時帰国して伝統的な儀式をきちんとこなす。「留学が終わったらまたジョグジャに?」と聞く私に、「はい。でもここが私のホームタウンです」と答えたMくんのバリ人としての揺るぎのないアイデンティティがとてもまぶしく見えた。

儀式が終わって弟さんと談笑するMくん