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2010年12月5日日曜日

アンコールワット旅行記 その9:長い長い帰路

いけてるシエムリアップ空港



朝6時15分にホテルを出て空港に向かう。


シエムリアップ空港の出発待ちホールはかなりいけていることに驚いた。こじんまりとしているがきれいで、工房を見学したArtisans d’AngkorとSenteurs d’Angkorのショップや、書店などが入っており、カフェではほんとうにおいしいクロワッサンやコーヒーがいただける。値段は少し高目だが、街のどのカフェで飲んだラテよりおいしかった!WiFiも無料で使える。デンパサール空港も見習ってほしいものだ。


長い長いクアラルンプールでの待ち時間


クアラルンプール行きのフライトは8時半。2時間ほどで現地時間11時半にクアラルンプールに到着。入国審査を受け、荷物を受け取って出たのは12時半くらい。これからが長い。


バリ行きのフライトは18時半。16時半にチェックインするとして、待ち時間が4時間ほどある。クアラルンプール市街地までは空港からバスで1時間なのだが、渋滞すると2時間かかることもあるため、街に出るには中途半端である。そこで空港周辺で過ごすことにした。


まずエア・アジアのカウンターに行き、18時半のフライトの荷物をもう預かってもらえるか聞いてみると、予想に反してあっさりOKだった。7時間前からOKなのだそうだ。助かった。これで身軽にふらふらできる。


クアラルンプールの空港はLCCT(格安航空会社専用ターミナル)とKLIA(伝統系航空会社のターミナル)とあって、シャトルバス(有料)で15分くらい離れている。私がいるのはLCCTの方だが、4時間過ごせるようなものは何もない。KLIAはメインの空港なのだからLCCTよりは立派なのだろうと思い、シャトルバスで行ってみることにした。


ところが、である。30分に一本しかない有料シャトルバスに乗ってわざわざKLIAまで行ってみたところ、LCCTよりも閑散としていて、もっと何にもない!衝撃である。ビルを隈無く回って見つけた収穫と言えば、30分10リンギット(300円くらい)のマッサージチェアだけ。これは疲れた体を休めるには良かった。マッサージチェアが終わってしまうと、他に何もすることはない。1時間ほどですごすごとLCCTに戻った。


さてどうしよう。お茶でも飲もうかと思い、インド料理屋でマサラティーを頼む。なんでか知らないが、英語で頼んだのに、マレー語で返された。マレー語とインドネシア語はほとんど同じなので、私もマレー語で返した。この店員さんは私を何人だと思っているのだろう。シエムリアップの貸し自転車でもそうだったが、色が黒いせいか、最近とんと日本人に見られなくなった。


マサラティーを飲んでしまうと、もうどうにも時間がつぶせなくなった。前回の出国審査のときの長蛇の列を思い出し、3時間前にゲート入りしてしまうことにした。


ところが余裕を持って行ったときほど出国審査はあっさり通ってしまい、搭乗ゲートでまるまる3時間ある。仕方がないので、デューティーフリーショップのチョコレート、お酒、化粧品、ドラッグストアの商品をひとつひとつつぶさに眺め、ボディショップの試供品を両腕のあらゆる箇所で試し、どうにかこうにか時間をつぶした。


ようやく搭乗時間が来た。搭乗してみると今までの私のエア・アジア搭乗歴で初めてというくらい空いていて、私の隣2席が空席である。ラッキーである。隣2席の肘掛けを上げてしまえば、足が伸ばせる。今回は初めて機内食も買ってみたら、これが意外とおいしかった。そんなこんなで3時間を過ごし、21時半頃到着。入国審査を抜け、荷物を受け取り、頼んでおいたタクシーでウブドの家に着いたのは23時過ぎ。朝6時過ぎにホテルを出発しているから、時差を考慮しても実質16時間ほどかかっている。いやはや長い帰路であった。

2010年11月29日月曜日

アンコールワット旅行記 その3:出発


朝6時のフライトに乗るため、2時起きで3時に空港に向かう。デンパサール空港は観光地のくせにまったくいけてない。もともと何もない上に、早朝のことで店も開いていない。長椅子でしばらく横になって搭乗までの時間を過ごす。


クアラルンプールには定刻通り9時過ぎの到着。バリと時差はない。翌朝の早朝出発に備えて空港近くに予約した宿に荷物だけ預け、バスで街に出る。


2年ぶりのクアラルンプール。本当は前回気に入ったイスラム美術館に行きたかったのだが、行きかけてから月曜日は閉館日だということに気づいた。それでチャイナタウンに行き先を変え、懐かしい町並みを歩いた。


クアラルンプールはあまり変わっていない。2年前にあった店が2年前にあった場所にある。定宿にしていた安宿もそのまま。軒先の床屋もそのまま。エッグタルトのおいしい店も、海南チキンライスの店も、中国寺院も、ヒンドゥー寺院も、そのままにあった。


そのうち雨が降り出し、セントラルマーケットへ駆け込む。しばらくぶらぶらした後、雨が止んだのを見計らって早々に空港近くのホテルに退散した。

2008年7月27日日曜日

プールのある暮らし

ボルネオ島コタキナバルの私の家には何とプールがあった。

海まで徒歩15分の立地でなぜプールが要るのかと思われるかも知れない。

意外なことに、コタキナバルのビーチは砂を巻いてしまう地形なのか、水が泥色で美しくないのである。そして誰も泳いでいないのだ。ボートで30分も沖に出れば国立公園に指定されている海域があって、お花畑のような海でスノーケリングが楽しめると言うのに。

そんなわけで、私のプールのある生活は快適そのものであった。本当はかなり予算オーバーなのだが、あまりの快適さに1ヶ月近く滞在した。

2008年7月16日水曜日

マブール島の子どもたち






マブール島の子どもたちは写真が大好き。カメラを向けるとそこら中から集まってきてポーズを取る。

海が遊び場


公園も遊園地もいらない。目の前の海が遊び場。

2008年7月15日火曜日

Sipadan Dream

(写真がありません。想像してお読み下さい)

ダイバー垂涎の地、シパダン島を潜った。自然保護区になっているシパダン島は、現在上陸が制限されており、宿泊することはできない。従って近くのマブール島か、大陸側のセンポルナからボートでアクセスする。スクーバのライセンスは随分昔に取ったものの、船酔いと波酔いの酷い私は重い機材をつけるのがつらく、もっぱらスノーケリング専門で来た。今回もスクーバダイバーたちを尻目にスノーケリングで参加する。

シパダンのすごさはその特異な地形にある。ビーチから10 mもいかないうちに、いきなり600 mのドロップオフ。ウミガメが優雅に泳ぎ回り、お花畑のようなサンゴ、神様が色と形の実験をしたかのような様々な魚たち、サメ… それはまるで夢のような世界である。

一度、呼吸するために海面に浮上した大きなウミガメの側にそっと近づいた。そして「おじゃましないから、ついていってもいいですか?」と心で念じアイコンタクトしてみた。するとウミガメは「私について来なさい」と目で言い(と私は信じている)、私を数々の美しいスポットに案内してくれたのである。そう、まさに竜宮城である。このウミガメと私のランデブーは15分くらい続いたような気がする。でももしかすると15年間の出来事だったかも知れない。

その後、他のウミガメにも出会ったが、私の姿に気付くとビューッと逃げてしまったりする。その気になればウミガメは相当速く泳げるのだ。それを思うと、やはりあのウミガメはゆっくり泳いで私を案内してくれたに違いないという確信が、益々強まるのである。

2008年7月14日月曜日

マブール島

マレーシア、ボルネオ島センポルナ沖にあるマブール島を訪れた。人々は水上集落に暮らし、私の宿も水上にあった。

宿への入口

部屋の前がこの景色

雨の後こんな虹が出た!

2008年7月11日金曜日

ジャングル・リバー・クルーズ

ボルネオ島キナバタンガン川でのジャングル・リバー・クルーズに参加した。





テングザルに遭遇。ちょこんと腰掛け、人間みたいな仕草をするのが可笑しい。

サルの群れに遭遇

2008年6月17日火曜日

ティオマン島の夕日

ティオマン島を去る前の日、友人たちと夕日を眺める。

ティオマン島の子どもたち

いつも上半身裸で元気に走り回っていた子どもたち。

2008年6月16日月曜日

サンドフライの恐怖

島の反対側のJuara Beachへ、ジャングルを2時間ほどトレッキングして行った。そこで1泊すると、翌朝妙に全身が痒い。背中には無数の刺され跡。地元の人曰く、サンドフライの仕業らしい。Juaraはサンドフライで有名だと言う。サンドフライというのは浜にいるごまつぶ大の虫なのだが、小さいから蚊のような羽音もせず、気付かないうちに血を吸われている。これに刺されると猛烈に痒く、しかもその痒みがなかなか引かない。夜は痒くて眠れず、気が狂いそうになる。結局私はKLで医者に駆け込み、痒みが引くまで1ヶ月かかった。

2008年6月14日土曜日

海辺のオフィス

マレーシア、ティオマン島で泊まった海辺の簡素なバンガローには机がなかったので、宿のご主人に相談して、ビーチの木陰のテーブルに延長ケーブルを引いてもらい、どんなオフィスよりも素敵な海辺のオフィスができあがった。

2008年6月11日水曜日

同業者

Dは旅の途中で初めて出会った同業者(写真左)。チェコ人の彼は、英語からチェコ語へ、小説の翻訳をしている。まだ若いのに売れっ子で、1年先まで契約が入っていると言う。うらやましい話!日本にとても興味がある彼は、よく私を質問攻めにした。私は「ほらDのどうして?ママ、どうして?がまた始まった〜」とよくからかった。

マラッカ暮らし


マラッカはとても居心地のいい街だった。ゲストハウスの1階には、朝暗いうちから開いてお昼前には閉まってしまうおいしい飲茶の店が入っていて、朝6時くらいから近所の常連さんたちが、世間話をしながらゆっくり朝食をとる。私もそこで、気のいい店員さんたちと言葉を交わしながら朝食をとるのが、毎日の楽しみだった。

2008年6月10日火曜日

ポルトガルの足跡02:マラッカ

マラッカはその海上交易上の地の利ゆえ、ポルトガル、オランダ、英国、日本の支配を次々に受けてきた。中国から南下してきた中国人男性と地元マレー系女性との結婚によりババ・ニョニャ文化という独特な折衷文化も生まれている。


そう、ポルトガルの足跡はここにもある。日本へキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルの遺骨は一時期ここに置かれていた。
覇権がポルトガルからオランダに移った後も、この地に残ったポルトガル系の人々の末裔が今もPortuguese Settlementというエリアに固まって暮らしている。毎年6月にはFesta de São Pedroというお祭りが開かれるという。このエリアに行ってみると確かに、ポルトガル風の造りの家が多く、ポルトガルっぽい顔と名前を持つ人が多いのであった。

2008年6月6日金曜日

Melaka Straits


これが「マラッカ海峡」。インドネシア、スマトラ島ドゥマイ行きの船が出ている。外の世界へ開かれた海は、いつも私の心を未知の世界へと掻き立てる。

2008年6月5日木曜日

マラッカ旅情



「マラッカ海峡」という言葉に旅情を掻き立てられるのはなぜだろう。果たしてマラッカは、白黒写真の似合う、フォトジェニックな街だった。

2008年5月30日金曜日

ジム・トンプソン マニア!(前編)

私はジム・トンプソン マニアである。2002年に初めてタイを訪れたとき、ガイドブックの片隅に載っていたこんな内容の文章に私の目は釘付けになった—ジム・トンプソンシルク商会はバンコクの高級シルクブランドだが、当主のジム・トンプソンは1967年休暇で訪れていたマレーシアのキャメロン・ハイランドで行方不明になったまま、今も行方が分かっていない—。そんなことってあるの!?果たして、そんなことはあったのである。

バンコクのジム・トンプソンシルク商会本店に足を運んでみると、”Jim Thompson – The Unsolved Mystery(ジム・トンプソン—解けない謎)”(William Warren著)という本が売られていた。私は早速購入し、夢中で読んだ。そこには、第二次大戦のときにCIAの前身、OSSの一員としてタイにやって来た若いアメリカ人建築家が、タイに魅せられてそのまま居着き、やがてタイシルクの可能性を見出して、廃れつつあったそれを国家産業にまで育て上げた経緯、彼が忽然と姿を消した「運命の日曜日」以降の混迷の捜査の様子、乱れ飛んだ様々な憶測が、克明に描かれていた。そして私は益々ジム・トンプソンに惹かれたのである。

なぜ自分がこの人にこんなに惹かれるのかと考えてみると、いまだに解けない謎という吸引力以外に、もうひとつ大きな理由があることに最近気付いた。私は、どうもこういう、「本国を遠く離れたエキゾチックな国の魅力に惹かれ、そこに居着いてしまう」エグザイルな人たちに惹かれるようだ。本国フランスを離れタヒチに居着いた画家のポール・ゴーギャンや、ドイツを離れバリに居着いて今のケチャの形を作ったウォルター・シュピースのように。J-WAVEのナビゲータ、ロバート・ハリスさんが自らの旅の経験を綴った「エグザイルズ」という本を、そう言えば、私は初めてバリに来た2001年に、ウブドの古本屋で見つけ、帰りの飛行機で夢中になって読んだ。ロバート・ハリスさんは当時、まさにウブドで、その名も「エグザイルズ」という店を共同経営していたようだ。

ジム・トンプソン マニア!(中編)





話が大分逸れたが、その本を読んで以来、一度行ってみたいと思っていたキャメロン・ハイランドに、ついに行ってきた。マレーシアの軽井沢とも言われる高原の避暑地キャメロン・ハイランドは、最近日本の退職者の海外長期滞在先としても人気が高い。紅茶の栽培で有名で、美しい茶畑が広がっている。

ジム・トンプソンが滞在していて散歩に行くと言ったまま姿を消した「月光荘」は、車通りから大分山の中に小道を登った行き止まりの高台にあって、周りは鬱蒼としたジャングルである。今は廃屋になっているが、往時のチャーミングさは今でも感じられる。軍隊でサバイバル訓練を積み、ジャングル歩きが趣味だったというジム・トンプソンが、確実にこの道を歩いたのだと思ったら、背筋がゾクッとした。地元のタクシーの運転手さんに「1967年に彼が失踪した後の大捜索のことを覚えていますか?」と聞いたら、「小さかったからねえ」と言われた。

ジム・トンプソン マニア!(後編)

キャメロン・ハイランドを訪れたことで、私のジム・トンプソン熱は再燃し、ちょうど日本から遊びに来る友だちに、実家に置いてあった原書と、この事件をモデルに書かれた松本清張の小説「熱い絹」を持ってきてもらった。この私のジム・トンプソン熱は幼なじみのRちゃんにも飛び火し、彼女も「熱い絹」と、図書館の書庫に眠っていた”Jim Thompson – The Unsolved Mystery”(William Warren著)の和訳本、「失踪―マラヤ山中に消えたタイ・シルク王」(吉川勇一 訳)を探し出して読んでいる。