2010年9月29日水曜日

続・ADLS大騒動

愛しのニューモデム


6月に日本から帰ってきてから念願のADSL導入に踏み切ったときの一騒動についてはすでに詳しく書いた。それから3ヶ月以上、接続が不安定ながらも何とか使い続けてきたのだが、ここに来てまた一騒動持ち上がった。約1週間でようやく解決を見たのだが、その経緯を詳しくご紹介したい。


9/23(木)

朝からインターネットがつながらなくなった。モデムの「リンク」と「データ」のランプが消えている。そもそも設置してから今までの間、接続はずっと不安定だった。数十分おきに「リンク」と「データ」のランプが消え、数分すると戻ってくる。さらに1日に1時間くらい消えたままのことがある。ひどいときだと半日くらい消えたままのこともあった。この日は仕事も入っていなかったので、しばらく様子を見ようと思って放っておいた。が、午後遅くなっても一向に復活の兆しが見えない。そこで管理人さんに相談し、カスタマーセンターに電話してもらった。調べてコールバックするというお決まりの返答である。待つしかない。

夜仕事の連絡が入り、大雨の中、街のインターネットカフェまでメールをチェックしに行く。


9/24(金)

朝管理人さんがテレコムに再度連絡を入れてくれたらしく「エンジニアがもうこちらに向かっている」と言うが、待てど暮らせど来ない。そば屋の出前のようである。仕事でインターネットを使わなければならないので、管理人さんにテレコムが来たら電話してくれるよう頼み、WiFiカフェに行く。

夕方、管理人さんとテレコムの技術者で電話線をチェックし、風でからまっていた電話線を直すが、インターネットの接続は回復しない。結局この日は仕事が立て込んでいて、大雨の中、4回街のネットカフェに行くはめになった。


9/25(土)

朝テレコムのカスタマーセンターに再度電話を入れてみる。自動応答メッセージで英語対応のオペレータを選択するが、出た男性はインドネシア語であった。私の乏しいインドネシア語で状況を説明すると、私の件は今処理中で、センターからネットワークの修理をするから、エンジニアは来ない、できるだけ早く処理するから、とにかく待つように、とのお決まりの返答である。

たまたまこの日、管理人さんの友だちでコンピュータやインターネットにすごく詳しいEさんが管理人さんのところに遊びに来たついでに、私の問題を調べてくれた。モデムをリセットして、設定をし直してみるのだが、設定の保存ができない。どうやらモデムに問題があるのではないかということになり、試しに管理人さんのモデムを借りてつないでみると、なんとつながったのである。Eさんは、週末の間はこのまま管理人さんのモデムを使い、月曜日に再度テレコムに連絡を入れて、モデムが本当に使えないのかどうか確認してもらったらどうか、と言う。それでは管理人さんがインターネットを使えないので、と遠慮したが、管理人さんもそんなにインターネットを使わないから大丈夫と快諾してくれたので、ご厚意に甘えることにした。


9/26(日)

一日管理人さんのモデムを借りたまま仕事をしてみて、接続が安定していることに驚いた。私はそれまで接続が不安定なのは電話線がパラレルなせいだとばかり思っていたが、こうなってみるとモデムに問題があったと思わざるを得ない。

そもそも私のモデムは最初からいわくつきであった。テレコムとADSLの契約をするときに、テレコムからモデムを買うか、自分で用意するか、どちらにするかと聞かれた。テレコムのモデムはベーシックなやつで12万ルピア(約1,200円)だが保証がつかないとのことである。保証がつかないというのが気になるが、ちゃんと使えるんですよね、と聞くと、使えるということだし、実際、私の周りでテレコムのADSLを使っている人はみなテレコム提供のモデムを使っていて問題がないようなので、それを買うことにしたのだった。

ところが設置早々接続ができなくなった。設置のときのエンジニアがつかまらず、別のエンジニアに来てもらうと、設定が消えてしまう、モデムに問題があるのではないかと言う。さんざん待たされた挙げ句だったのでつい感情的になり、「モデムはテレコムで買ったものだ。それじゃテレコムは不良品を売ったということか」と食ってかかり、「それは自分の担当ではない。文句があるならカスタマーセンターへ言え」と言うエンジニアと言い争いになって、話は物別れに終わった。その後、設置のときのエンジニアがようやくつかまり、再設定して言うには、モデムには問題がないとのことなのである。何を信じて良いのやら分からず、今までだましだまし使ってきたという事情があった。

ちなみに管理人さんのモデムはテレコムから無料で提供されたもので(私が契約したときはモデムの無料提供というのはなかった)、私のとはメーカーが違う。無料のモデムの方が性能が良くて、12万ルピア払った私のモデムがだめとはどういうことなのだろう。

いずれにしても元のモデムを使い続ける気にはならない。モデムを買い直すしかないと決心する。


9/27(月)

午後ようやくテレコムのエンジニアが二人来る(これが今思い返してみると、前回言い争ったエンジニアだった!)。モデムを友だちのと交換したらつながった、モデムに問題があると思うから、モデムを買い直すしかないと思うがどうか、と聞くと、そうせよと言う。それで二人はすることもなく帰って行った。

管理人さんが来て、Eさんが今デンパサールにいて、ついでに私のモデムを買いに行ってあげてもいいと言っているという。ありがたい申し出である。性能が十分でそれほど高くないやつをお願いした。


9/28(火)

Eさんが買ってきてくれたモデムは25万ルピア(約2,500円)だった。40万ルピア(約4,000円)くらいだろうと聞いていたので、思ったより安くて助かった!

夕方Eさんが設定に来てくれる。今後問題があったときのために、自分でも設定の仕方を覚えることにして、Eさんの隣でメモを取った。設定はスムーズに済み、ようやく管理人さんにモデムをお返しすることができた。Eさんにモデム代に足代を上乗せしたお金を渡し、管理人さんとEさんの両方にお礼のお菓子を渡し、大感謝して別れた。Eさんはレストランで働いているそうだが、テレコムよりずっと頼りになる。


以来、接続は以前よりずっと安定していて、快適である。ダウンロードに何時間もかかるソフトウェアのアップデートはやはり失敗したが、それ以外は今のところ問題ない。インターネットランプが赤になったことが2度ほどあったが、リセットしたら復活した。今までの3ヶ月はいったい何だったんだろうと思うくらいだ。そう思うと、接続できなくなったことでモデムを交換するに至って、かえって良かったのかもしれない。最初のモデム代12万ルピアは悔しいが、トラブルがあったことで設定の仕方も覚えたし、モデムを替えただけでこんなに接続が安定するなんて、本当に目から鱗であった。

2010年9月28日火曜日

携帯電話、蘇生する


昨日から急に携帯電話の充電ができなくなり、今朝ついにバッテリーが尽きて起動できなくなってしまった。

ノマド生活を始めるのに備えて2年半前に購入したサムソンのGSMトライバンド携帯である。


今までの経験から言うと、携帯というのは大抵2年を過ぎたあたりからバッテリーが劣化してきて、段々充電の頻度が多くなってくる。しまいには携帯の用を成さないほどになり、新しいバッテリーを買うより新しい携帯端末を買った方が安いので、機種変更する、というのが今までのパターンだった。

それで今回もつい、新しい携帯を買わなければいけないと思い込んでしまった。


どうせならスマートフォンにしようかとか、近々シンガポールに行くのでそちらで買った方がいいだろうかとか、いろいろ考えたが、こうやって携帯がダウンしてみると、そんな悠長なことを言っていられないくらい当面の生活にものすごく支障を来す。数日後に迫ったシンガポール行きのためのドライバーさんとの連絡とか、約束している友だちとの連絡とか、ロジスティクス上の問題が多々発生する。そして社交上の問題もいろいろ発生しそうである。そこでとりあえず街の携帯ショップを物色してみることにした。


歌舞で有名なプリアタン村の大通りには携帯ショップが軒を連ねている。まず正規代理店ぽいノキアのショップに行って聞いてみると、いちばん安いので25万ルピア(約2500円)。トライバンドになると70万ルピア(約7000円)は下らないと言う。


そこでふと思った。私のサムソン携帯はシンプルだが、トライバンドで、カラーで、音が良くて、優れものである。よくよく考えてみたら、問題はバッテリーであって、本体に問題はないのではなかろうか。まずバッテリーを探してみよう。そもそも物はできるだけ長く大事に使いたい。しかも携帯には希少金属が使われているという話を前に聞いたことがある。


そこで方針変更をし、今度はバッテリーを置いていそうな店に行ってみた。親切な店員のお兄さんにたずねると、バッテリーを見るや、「これは問題なさそうですよ」と言う。電極のようなものを刺して調べてくれたところ、バッテリーは生きているが、充電器の方がだめらしいということがわかった。充電器の値段は6万ルピア(約600円)ほどだと言う。なんだ、それなら携帯を買い換えるより全然安い!残念ながらその店には同じ型の充電器のストックがなく、注文すれば3日くらいで届くと思うが、とりあえず他の店で聞いてみたらどうかと言われた。


次の店をあたってみたところ、やはりなく、隣の店に聞いてみるよう言われた。隣の店で聞いてみたところ、またその隣の店に聞いてみるよう言われた。こうして4軒目まで来た。ここでも親切な店員のお兄さんが微妙に違う充電器を次々と試してみてくれるが、携帯は一向に反応しない。まるでシンデレラのガラスの靴みたいである。バリではサムソンはあまり流通していないのでやっぱり同じ型の充電器を見つけるのは難しいんだろうか、それとも本体の方がだめなんだろうか、と半ば諦めかけてきた頃、ふいに携帯が反応して充電を始めた。そのときのうれしさと言ったら!まるで心臓マッサージで止まった心臓が動き出し、大切な人が息を吹き返したみたいである。その充電器を5万ルピア(約500円)で購入し、トラブルは一気に解決したのであった。


携帯が蘇生したことと同じくらい感動したのは、携帯ショップのお兄さんたちの職人気質な対応であった。いくつもの充電器を箱から出しては試し、試してはしまい、ようやく携帯が反応したときの得意そうなお兄さんの顔を忘れることができない。バリ人、やるじゃん!


今私の携帯は死の淵をさまよって生還したとは思えないくらい、元気に復活している。

2010年9月27日月曜日

ATM事件の顛末

今日の黄昏


次から次へといろんなことがあるものだと自分でも感心するのだが、こんなことがあった。


先日、Rさんに会いにチャンディダサへ向かう前に現金を調達していこうと、ウブドのコンビニ内に設置してあるATMで現金を引き出そうとした。私はいつも日本の銀行の国際キャッシュカードを使って、日本の銀行口座から直接現地通貨で現金を引き出している。その日は50万ルピア(約5千円)を引き出そうとしたら、取り出し口のところで紙幣が詰まって出てこない。無理矢理出せるだけ引っ張り出してみたが、数えたところ35万ルピアしかなかった。コンビニの店員に助けを求めたが、「私は分からない」とのこと(今更驚かないが、そういうときのマニュアルはないらしい)。緊急時の連絡先が書いていないかATMの機械を探してみたが、書いていない。店員に聞いたら、銀行の番号を教えてくれたので、そちらにかけてみたが繋がらない。繋がらない、と店員に言うと、日曜日だから、とのこと(金融機関の緊急時連絡先なので24時間365日繋がるはずなどというのは先進国の人間の思い込みらしい)。困った。一度この場を立ち去ったら、どうやって私が嘘を言っていないことが証明できるのか。唯一の証人はその店員である。私は必死に頼んだ。どうか月曜日の朝、銀行に電話して、起きたことを説明してほしい。そして銀行から私に電話をくれるように言ってほしい。私からも銀行に電話するが、あなたが唯一の証人だから、と念を押し、私は自分の名前と電話番号を書いて、その若い女店員に渡した。


チャンディダサに着いて、Rさん初めアシュラムの宿泊客の皆さんにこの話をすると、みな一様に同情してくれた。月曜日の朝、皆さんに応援されながら銀行に電話してみたが、繋がらない。実は前の日に知らない番号からの着信記録があった。もしやと思い、そちらに電話してみると、それは件のコンビニからだった。曰く、前日にすでに銀行の人がATMをチェックしに来たらしい。私は銀行に直接出向いて、請求しなければならない、とのことである。とりあえず対応されていることが分かって一安心した。


さてウブドに戻り、翌朝一番で指定の銀行の窓口に出向いた。状況を話すと、美しいカスタマーサービスの女性曰く、私はまず日本の自分の銀行にクレームを出し、それを受けて日本の銀行がインドネシアの銀行にクレームを出し、申し立てが認められればインドネシアの銀行から日本の銀行に送金され、そしてようやく日本の銀行から私の口座に返金されるという。でも少なくとも、銀行側は問題のATMを調べて、余剰の15万ルピアが中にあることは確認されているんですか、と聞くと、されていると言うが、彼女が本当に私の質問を理解して答えているのか、今ひとつ確信が持てない。


そういうわけで日本の銀行へ電話をかけなければならなくなった。まともに国際電話をしていたら、請求金額の15万ルピア(約1500円)なんてすぐに飛んでしまうので、スカイプクレジットを使って電話をかけた。私の部屋のインターネットが不安定なため、通話の途中で切れてしまい、またあの自動応答のメニューから入り直し、今度は別の人が出て、一から説明し直しということをやらなければならなかったが、どうにかクレームの手続きを終えた。請求手続きに入るが、返金までには2〜3週間かかる、もし問題があって返金ができない場合は電話する、とのことである。さすが日本企業、頼もしい。


どうなることかと思っていたが、先程口座を確認してみたら、24日付けできちんと返金されていた。事件が起きたのが12日だから、2週間弱での解決となった。さすが日本企業。ああ、日本人で良かった。

2010年9月13日月曜日

海辺のアシュラム


2年前ジョグジャカルタのインドネシア語学校で知り合ったオランダ人写真家のRさんに再会するため、バリ島東部のチャンディ・ダサまで一泊二日の旅をした。


Rさんは4分の1ジャワ人の血を引いている。インドネシアは300年にわたってオランダの植民地だったので、オランダにはインドネシアとつながりを持つ人が多い。Rさんの場合、お母さん方のお祖母さんがジャワ人である。Rさんのお姉さんが生まれるまで一家はジャワで暮らしていたが、インドネシアにおける日本の勢力が強まるにつれ、身の危険が大きくなり、追い立てられるようにオランダに出国した。だからRさんはオランダで生まれた。けれどもRさんは自分のルーツを求めて、年に一度ジャワにやってきては、写真を撮るというプロジェクトをライフワークにしている。今年初めに半分ジャワ人の血を引くお母さんが亡くなり、今年はその遺灰を埋めるためにお父さんと一緒にジャワにやってきた。一足先にお父さんがオランダに帰った後、Rさんはジャワで自分のプロジェクトを続行した。そして最後の一週間だけバリのチャンディ・ダサで過ごすというので、会いに行ってきたのである。


清浄な空気が流れるアシュラムの敷地


海辺のバンガロー


Rさんが泊まっている海辺のアシュラムを訪ねた。15人の子どもたちがそこで寝起きしながら学校に通ったり働いたりしていて、敷地内には宿泊施設や幼稚園もある。宿泊施設はアシュラムの資金を稼ぐためのもののようで、宿泊客は特にアシュラムの活動に参加するわけではない。ただ朝昼夜と手作りの食事が提供され、宿泊客全員でいただくのが普通の宿泊施設とは違うところだ。海辺に立つバンガローのひとつに私も泊まることになった。


私の部屋


荷物を下ろして、宿泊客のフランス人女性のMさんと3人でお茶を飲みながらおしゃべりする。ウブドとは異質な時間が流れていく。夕方、目の前の浜でRさんと貝拾いをした。貝を拾い集めているとすっかり童心に返る。貝の独創的な形や色を眺めていると、自然の驚異にただ感心してしまう。この宇宙とはかくも完璧なものなのだと思わずにはいられない。必要なものはすべて揃っている。造形の遊びさえ。


夕方の光の色が大好きな写真家Joel Meyerowitzが撮した

Cape Codの写真を思わせた

夕食の時間が来て、他の宿泊客とも顔を合わせた。Rさん、Mさん以外に、オランダ人の女性、ニュージーランド人の男性との5人の食事となった。みなさんいい人たちで、話がはずむ。


宿泊客みんなで食事をいただく


夕食が済んで部屋に戻る道すがら空を見上げると、きれいな三日月とたくさんの星が出ている。夜は波の音を聴きながら熟睡…と言いたいところだが、打ち寄せる波の音というよりコンクリートにぶつかる波の轟音と振動で、あまりよく眠れなかった。


翌朝は宿の男の子の案内でRさんと近くの丘に登った。頂上からは椰子の木の森と海が見渡せて気持ちがいい。


丘の上から海を望む


椰子の木の森


宿に戻って朝食を済ませ、RさんとMさんと3人で、バイクで20分ほどの白砂の浜に出かけた。透明な水に体を浸すのが気持ちいい。


宿の昼食に間に合うように戻り、また皆さんと一緒にシンプルでとてもおいしいご飯をいただいた。泳いだのとお腹がいっぱいになったのとで眠くなり、少しだけ昼寝をしてから、帰り支度をした。Rさん初め皆さんに別れを告げて、ウブドへの帰路についた。


海への扉
頭の中にサティの「彼の眼鏡」という曲が流れた