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2011年1月13日木曜日

新婚旅行


昨年突然友だちのMちゃんから結婚するというおめでたいニュースが届いた。お相手は同じ会社の同郷の方だという。新婚旅行の候補はタイかバリだというので、強力にバリを推したら、本当に来てくれた。


こうなると俄然張り切る私である。とっておきのドライバーさんを手配し、ケチャやレゴン、お気に入りスポットなどへご案内した。二人ともとても楽しんでくれたようで、うれしい。


雨期なのに不思議とお天気にも恵まれた。きっとバリの神様たちが二人の門出を祝福してくれているに違いない。Mちゃん、Sさん、末永くお幸せに!

2010年12月24日金曜日

Selamat Hari Natal!(メリークリスマス!)

オイル漬けチーズ(チェコ代表Dくん)と納豆(日本代表Mさん)の仁義なき戦い


そもそもどうしてそういう話になったのか思い出せないのだが、あるときチェコ人同業者(旅する翻訳者)Dくんと話をしているうちに、自分の国にはどれだけ外国人には理解できない珍妙な食べ物があるかという変なお国自慢になった。日本の珍味代表として私は納豆を挙げ、この腐った豆がいかに臭く、そのねばねばした食感がいかに気持ち悪く、しかしそれが日本人にとっていかに美味いものであるかを力説した。これを受けてDくんは、チェコにはオイル漬けにしたチーズというものがあり、その食感はスライムのようにどろりとしていて、それがいかにビールに欠かせないものであるかを力説した。これは是非東西珍味対決をして、互いの国の珍味が食べられなかった方を負けとしようではないかということになった。


ウブドにはありがたいことに日本人で納豆を作っている方がいて、簡単に手に入れることができる。しかしチェコのチーズはどうするかというところで話がストップしていたのだが、折良くチェコからやってくるDくんの友だちに持ってきてもらうことができた。


チェコからやってきたそのチーズはチェコ製カマンベールといったところ。それをオイルにいろいろなスパイス(にんにく、玉ねぎ、月桂樹の葉、黒胡椒、唐辛子など)を入れたものの中に漬け込むこと1週間。決戦はクリスマスイブと決まった。


決戦の心強い味方は、日本人のヨガの先生でお料理上手のMさんとそのボーイフレンドで納豆と梅干しをこよなく愛する不思議なカナダ人JMくん。場所を提供していただくばかりか、Mさんが納豆パスタとサラダを作ってくれることになった。言い出しっぺのくせにまったく労力を提供していない私は、ちょっと奮発して白ワインを買っていくことにした。


決戦のゴングが鳴った。持参の容器からドロドロとチーズを器に分けるDくん。あれ?すごくおいしそうじゃん!と3人の視線が集まる。試食開始。おいしい!!!黒パンとワインによく合う。3人ともすっかり気に入ってしまい、完食。


次に納豆パスタ。3人の視線を受けながら試食するDくん。「うーん、奇妙な味だけど、きっと慣れると思う。でも唇がねばねばして、しゃべりづらい」と言いながら、こちらも完食。おぬし、なかなかやるな。


というわけで、勝負は引き分け。


最後に何とJMくんお手製生チョコレートケーキが登場。カカオの豆をローストして、つぶして、そこにココナツオイルとパームシュガーと、あと何だったっけな?を入れて作るのだそうだ。チョコレートが自分で作れるなんて!!これが感動的においしくて、私のテンションは一気に上がった。お代わりまでして、お腹いっぱいのクリスマスディナーとなった。

2010年8月22日日曜日

フローレス島旅行記:Lさんのこと

ここでLさんのことを書いておかなければならない。


Lさんは2年前ジョグジャカルタのインドネシア語学校に2週間ほど通ったとき私の先生の一人だった。実際授業を受けたのは2度くらいなのだが、教え方が上手で、工夫があって、とても印象に残った。昨年ジョグジャを再訪したとき再会して、旅人なのだということが分かった。そのときLさんはちょうどスマトラ島の旅から帰ってきたところだったのだ。


欧米や日本のような先進国で旅人であることはもはや大変なことではない。ある種確立されたルートであり、情報も豊富だ。けれどもインドネシアのような経済力が弱く、保守的な国で、女性が一人旅をすることは、相当気骨のいることなのではないかと思う。


しかもこの人は小柄で華奢なのである。体重なんて37キロしかない。バックパックを背負ったらつぶれそうだ。一体この体のどこにあんなパワーが潜んでいるのだろう。


今回の旅では以前から関心を持っていたスンバ島の文盲の村につてを頼って3週間住み込み、無報酬でインドネシア語の読み書きとインドネシアの地理を教えたそうだ。もちろん旅費も食費もすべて自費である。ひとりの子がたどたどしいインドネシア語で書いた「わたしはおおきくなったらけいさつかんになりたいです。すいぎゅうをぬすむどろぼうをつかまえたいからです」という作文に感動した、と話してくれた。ジョグジャの子どもがそんなことを考えているだろうか、と。


惜しまれつつスンバ島を後にしたLさんは、フローレス東端の伝統的な捕鯨が行われるラマレラ村に向かった。到着2日目に地元の漁師に頼んで一緒に船に乗せてもらい、12時間を船上で過ごし、捕鯨を目撃した。それは言葉にならないような体験で、あまりに夢中だったので、船酔いさえ忘れてしまったそうだ。鯨はそんなに簡単に捕れるものではない。その前にはフランスの撮影クルーが2ヶ月住み込んで撮影を試みたが、一頭も捕れなかったそうである。漁民たちは漁に向かう前にまず自分の心を清めるそうだ。邪な心があると漁は成功しない。そうして捕れた鯨は村人の間で均等に分配されるという。深い哲学と高いモラルを持つ人たちだとLさんは語った。


ラマレラの後、Lさんはフローレス島を西進し、モニでクリムトゥに登り、エンデに移動し、エンデからバスに乗ってルーテンに来た。ルーテンで旧友Eさんや私と合流した後、ラブハンバジョに向かい、そこから飛行機でスラバヤへ飛び、電車でジョグジャへ帰って行った。つまりラブハンバジョからスタートしてモニまで東進する私とは逆のコースを辿ったわけだ。


Lさんはジョグジャのインドネシア語学校ではパートタイムで教えている。なぜフルタイムにならないの、と聞いたら、旅がしたいからだそうだ。次はどこへ行くのだろう。

2010年8月16日月曜日

Pくんのこと


今週木曜からフローレス島へ行くので、フローレス出身の友だちPくんに話を聞きにサヌールまで行ってきた。

Pくんのことはいつか書きたいと思っていた。
サヌールの海辺に小屋を構え、ウィンドサーフィン機材のレンタル業やツアーガイドなどを営んでいる。サヌールにふらりと散歩に行ったときに、浜辺で知り合った。オープンマインドで、人生をエンジョイすることがモットーで、実は努力家で、誠実で、すごくいいやつである。以来、海が見たくなってふらりとサヌールへ行くと、たまにPくんの店に寄って茶飲み話をする。英語が上手で、片言の日本語も話し、ドイツ語も少しできるらしい。

Pくんについて、私の大好きなエピソードがある。
Pくんはフローレス島からやってきて、バリ島の観光専門学校で勉強していた。あるとき両親からの仕送りが遅れ、家賃を滞納したため、下宿から追い出されてしまった。仕方なくビーチで寝起きし、3日くらい水しか飲んでいなかったそうだ。
そんなとき、通りを歩いていると、日本人の初老のご夫婦が向こうから歩いてくる。そのご夫婦の持っていたバッグを後ろから来た男がひったくって逃げてきた。Pくんは無我夢中で男に必殺キックを食らわせ、バッグを取り戻した。バッグの中にはご夫婦が銀行で下ろしたばかりの多額の現金が入っていたそうだ。ご夫婦は大変感謝して、その夜食事に招待してくれた。家はどこかと聞かれたPくん、まさかビーチですとは言えず、デンパサールに住んでいると答えたそうだ。
その夜、レストランで(実は3日ぶりの)食事をごちそうになり、別れ際にご夫婦に封筒を渡された。中には相当な額の現金が入っていたそうだ。Pくんは遠慮したが、ご夫婦はがんとして譲らなかった。それでPくんはありがたくそのお金を頂戴した。
そのお金でPくんはアパートを借り、バイクを買い、ガイド業を始めることができたそうなのである。
その後Pくんはご夫婦の招待で日本にも遊びに行っている。そのせいかPくんは大の日本食ファンだ。

さて、そんなPくん、日本人のお嫁さんを募集しています。
年齢30前後で、頭が良くて、和食が上手で、家族を大切にする人。
生涯で一度しか結婚したくないので、ベストな人を選びたいとか。
我こそはと思う方、私までご一報ください。
売り切れの際はご容赦ください。

2009年10月5日月曜日

ポトン・ギギ(削歯儀礼)見学記

エジプトの王様のような削歯中のMくん

数々の儀式や祝祭に彩られたバリの人々の生活を常々興味深く観察させてもらっている私だが、オダランや火葬のようなオープンな儀式はよく見学する機会があっても、結婚式などの通過儀礼的なものとなるとやはり個人的なつてがないと難しい。そんな折、日本の某国際協力団体で働いている友人Hちゃんが受け容れている留学生の中に、バリ人のMくんという人がいて、近々ポトン・ギギ(削歯儀礼)のために一時帰国する予定であると聞き及び、図々しくも見学させてもらえないだろうかとHちゃんを通じてお願いしたところ、快諾していただいたのが数ヶ月前のことであった。

ポトン・ギギとは、バリ人が生まれてから死ぬまでの間に必ず行わなければいけない重要な通過儀礼のひとつで、上の前歯6本を(象徴的に)やすりで削る。その意味するところは、ヒンドゥーの教義的には人間の中にある6つの敵(強欲や怒りなどの好ましくない性質)を減じるためだそうだが、民俗学的な見地から言えば、バリ人は獣のような性質を忌み嫌うため、尖った歯=獣のような歯を平らにすることで洗練された一人前の人間になる、という意味合いもあるらしい。本来は結婚前までに済ませておくのが理想だが、非常にお金がかかるため、大抵は親族でいっぺんに他の儀式と併せて行うことが多いという。もしポトン・ギギを行う前に亡くなった場合は、埋葬前に行うというから、そのくらい大切な儀式なのだ。

こんな素敵な招待状をいただいた
弟さんの結婚式と一緒に行われるという

かくして当日がやって来た。バリ式の正装をして、バイクで1時間ほど南に下った海辺の街サヌールに向けて出発する。吉日であるらしく、あちこちで様々な儀式が行われており、通行止めのため道を大きく迂回しなければないところもありあせったが、無事時間通りに会場に到着することができた。

一頃は海辺のリゾートとして脚光を浴びたサヌールだが、今は隣のクタや最近注目のスミニャック、新たに開発されたヌサドゥアなどにお株を奪われ、少し寂れた熱海のような、でもそれはそれでしっとり落ち着いた風情がある。
1930年代にウブド近郊のサヤン村に居を定めたカナダ人音楽家コリン・マクフィーが、名著「A House in Bali」の中で、南の漁村クタに足を延ばしたときの印象をこう語っている。
『サヤン村はどんより曇っている日があまりに多く、人々の表情もいくぶん堅くて鈍重な印象だった。平野部の住人は性格的にもだいぶ違っていて、開放的で明るかった。市場で車を降りるやいなやその違いは一目瞭然で、陽除け幕の下はまるでピサロの絵にでてくる午後のように朗らかだった。』(邦題『熱帯の旅人』—大竹昭子・訳)
この描写がよく分かる。ウブドの人たちが鈍重だとは思わないけれど、陽光溢れる海辺の街は明るくて、人々もより開放的に見える。

会場の雰囲気

受付で記名し、お祝儀を渡し、飲み物とスナックをもらって中に入る。会場では特に何か式次第や案内があるわけでもなく、儀式は儀式で勝手に進行し、集ったお客さんたちはそれぞれお喋りに興じている。しばらく手持ちぶさたに座っていたが、奥の一角で何か行われそうなのでそちらへ行ってみると、まさにポトン・ギギが始まろうとしていた。

寝台にのぼるMくんの弟さん
今日の結婚式の新郎でもある

寝台にポトン・ギギを受ける人が寝かされ、司祭の手により削歯が行われる。その周りを親類縁者の人たちが取り囲み、何やら歌をうたったりしてしている。手元の資料(”Bali Sekala & Niskala” Fred B. Eiseman, Jr.著)によると、削歯中の人は象徴的に一度「殺されて」おり、非常に脆弱な状態にあるので、近しい人たちが近くにいて守るのだそうだ。

削歯中、周りを囲んでサポートする親類縁者の人たち

削歯が終わり寝台を降りるとき、何か草のようなものを踏む

会場では常に賑やかに音楽が奏でられている

プダンド(最高司祭)

一連の主立った儀式が終了する頃ちょうどお昼になり、バイキング形式で好きなものを取ってお昼をいただく。

ごちそう

うかうかご飯を食べている間にも、傍らで粛々と儀式は進行しているのであった。

今日ポトン・ギギを受けた4人の皆さん

削歯の後もまだ、様々な手順が進む
左の二人が結婚式の新郎新婦

聖水を浴びたり、黒い鳥におでこをつつかせたり
耳に何やら糸のようなものをかけたり
何かの植物を頭に巻いたり…

その儀式が終わると、人々が会場から出て行くので、ポトン・ギギはこれでお終いで、休憩をはさんで結婚式なのかな、と思ってそのまま座っていたら、Mくんがやってきて、「これで終わりです」と言う。「え、結婚式はいつやったんですか!?」と聞いたら、どうやら同時並行で行われていたらしいのである。すっかり見損なってしまった。

神々しい光が差し込む神棚

Mくんとは初対面だったのだが、Hちゃんの言葉通り、「超真面目な好青年」であった。お隣ジャワ島ジョグジャカルタの某有名大学のコンピュータエンジニアリング部講師の身分で、現在は日本の某有名大学に留学中という超優秀な理系の人でありながら、一時帰国して伝統的な儀式をきちんとこなす。「留学が終わったらまたジョグジャに?」と聞く私に、「はい。でもここが私のホームタウンです」と答えたMくんのバリ人としての揺るぎのないアイデンティティがとてもまぶしく見えた。

儀式が終わって弟さんと談笑するMくん

2009年9月27日日曜日

踊りの稽古


ガムランの先生が楽器を直しに行くというので、くっついて行った。先生が工房で交渉をしている間、ふらふら近所を散歩していたら、村の集会所に女の子たちが集まってこれから踊りの稽古が始まろうとしているところに出くわした。のぞいていたら、外国人が珍しいのか、女の子たちが全部こちらに押し寄せてきてしまった。

「どこから来たの?」
「誰と来たの?」
「名前は何ていうの?」
「これからどこに行くの?」
中には日本語を習っているという子もいて、「ハジメマシテ、ドゾヨロシク」

稽古が始まる前に先生が戻ってきてしまったので、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたが、振り返るともう稽古が始まっていて、さきほどの無邪気な女の子たちがあの色っぽいS字の型を作っているのだった。

2009年9月2日水曜日

ジョグジャ再訪 その3

泥棒市で Nさん

今年の2月にバリで再会を果たしたフランス系カナダ人の友人Aくんは、その後私の紹介でジョグジャのIさんの宿に泊めていただいたのだが、ドライバーのNさんと妙に気が合って、まるで兄弟のようにつるんでいたとIさんは言う。なんでもメガネマニアのAくんを連れて、Nさんは街中のメガネ屋をまわってくれたらしい。黒いNさんと白いAくんがバイクに二人乗りで、メランコリックなジョグジャの街を走る場面を思い描くと、まるで映画のような叙情がある。
Aくんについてはこちら:
http://nomadmorenacokelat.blogspot.com/2009/02/blog-post.html

そのときAくんがメガネを買ったという泥棒市に連れて行ってもらった。なぜ泥棒市かと言えば、盗品まで売っているかららしい。しょうもないものから、骨董品の類まで本当に何でも売っている。

2009年8月31日月曜日

ジョグジャ再訪 その1

MKちゃん 昭和30年代の東京のようなジョグジャの下町で

偶然まる1年振りにジャワ島ジョグジャカルタを再訪することになった。世界遺産ボロブドゥール、プランバナンを擁するジョグジャは、バリの前に1ヶ月滞在した街である。そのとき知り合った母校の20年後輩で大学の夏休みを利用して再訪していたMKちゃん、お世話になった宿のIさん、ドライバーのNさんと楽しい再会を果たした。

天然のMKちゃん曰く、前世はハエだそうだ。なぜかと言えばカエルが異常に怖いからで、そんなMKちゃんが厳しい就職氷河期を乗り切れるように願を掛けてカエルを食べたという。私は残念ながらそのときご相伴にあずかれなかったのだが、代わりにコブラを一緒に食べた。MKちゃん、ガマ汁+コブラ汁パワーでがんばれ!

コブラの唐揚げ 弾力があってイカのよう

2週間の滞在を終えて日本へ帰って行くMKちゃんを見送り、下町にあるIさんの宿に戻ると、屋根の間にきれいな月が出ていた。

ジョグジャの下町に上る月

2009年7月24日金曜日

Kさん・Mちゃん母娘来訪


田園都市線たまプラーザにある、とある外人ハウスに6年と3ヶ月住んだ。そう言うとよくびっくりされる。普通、人は外人ハウスに6年3ヶ月住んだりはしないものだからだ。

また外人ハウスに住んでいた、と言うとよく「外人ハウスって何?日本人も住めるの?」と聞かれる。その質問にお答えすると、外人ハウスというのは長期滞在の外国人を主な対象とした下宿屋のようなもので、普通の賃貸物件と違って契約に保証人もいらないし、デポジットを払うだけで敷金・礼金・不動産仲介手数料もいらない。また最低限の家具は揃っているので、すぐに住み始められるというものである。また日本人も住めるかどうかは経営者の方針次第である。

なぜそういうところに住んだのかというと、私はいつも外に出たいと思っていたので、敷金・礼金・不動産仲介手数料にも家具にもしばられたくなかったからだ。またなぜそこに6年3ヶ月も住んだかと言えば、居心地が良かったからである。何より窓からの景色が気に入っていた。そのことについては以前このブログでも書いたので、ここでは繰り返さない。
http://nomadmorenacokelat.blogspot.com/2008/09/blog-post_25.html

そしてなぜそこを出たのか、と言えば、居心地が良すぎたからだ。私は外に出るためにそこに住み始めたし、そこは誰もが通り過ぎていくべき場所だったから、そのままいつまでも居続けることはできなかった。会社員生活を辞めて、ノマドになると決めたとき、私はその場所も「卒業」することにした。

6年3ヶ月と言えば小学校1年生が中学校1年生になってしまう年月である。それは私の一時代だったので、部屋を出る朝はいろんな思いが込み上げてきて、管理人さんの奥さんに抱きついて大泣きしたものだ。

その時私に抱きつかれたのがこの方である。私が住み始めた頃はまだ小学生だったのにもう高校2年生になってしまった娘さんと遊びに来てくれた。卒業してもおつきあいは続く。ほんとうにありがたいことだ。人生はつくづく人との出会いだと実感する。

2009年5月20日水曜日

タイ再訪 その3:友人Mとの再会


イタリア人のMとは去年チェンマイで知り合った。旧市街の北門近くにモダンジャズのライブを聴かせる店があった。そこは随分とカジュアルで寛容な店で、ミュージックチャージも取らなければ、飲み物も注文せずにただ見ていても一向にとがめられたりしなかったので、毎晩人で溢れていた。日替わりのバンドはチェンマイ在住西洋人、タイ人、日本人ギタリストHくんなどから成る混成チームで、演奏レベルも高かった。チェンマイを去る直前になって通うようになり、楽しい旅人たちともいろいろ知り合った。Mはそのうちのひとりだった。もっと早く来ていたらよかったと随分後悔したものだ。

Mはもう15年旅をしているという生粋の旅人だ。職業はコック。お金がなくなると働いてお金を作り、貯まったらまた旅を続ける。自然体でオープン、何でも自分で体験し、自分なりの哲学を持っている。無頼さと温かさが同居し、イタリアにいるマンマ(お母さん)からは何と毎日電話がかかってくる!

約1年振りに再会するMは、ヘビースモーカーのベジタリアンから、ノンスモーカーのノンベジタリアンになっていた。インドネシア、スラウェシ島沖の離れ小島で釣りの面白さに目覚め、釣り三昧の毎日。それで魚を食べるようになったのだという。とてもチャーミングなタイ人の彼女と一緒に暮らす小さなアパートで、手料理をふるまってくれた。イタリアのマンマが送ってくれたパルメサンチーズとトマトとバジルをオリーブオイルと胡椒で味付けただけのシンプルなおつまみ、鯖のマリネ、イカのリゾット、青菜の炒め物をタイビールでいただく。おいしい!

2009年5月14日木曜日

バリ舞踊のつもり

バリ舞踊の名手にインスパイヤされる一行

何度も通っている道から、入ったことのない横道に逸れたら、それは見事なバンヤン樹が鎮座する村があって、ガムランの音色が聞こえてくる。こんなときはいつもそうするように、音の源を辿ってみると、集会所で村の人たちが練習をしていた。何とそこに、ずっと見たいと思っていた踊り手の姿を見つけた。舞い始めたその人は、まるで美の化身のよう。あるいは羽衣をつけた天女のよう。目が引きつけられて離すことができない。今日あった嫌なことも全部忘れた。これだからバリ生活はやめられない。

2009年3月11日水曜日

再会


昨年8月、ジョグジャカルタのインドネシア語学校のホームステイ先で知り合ったMKちゃんが、突然、大学の春休みを利用して日本からご学友の皆さんとバリに遊びに来た。

MKちゃんと言えば、偶然にも私の母校でインドネシア語を専攻する学生さんであり、インドネシア語が「おはよう」と「ありがとう」しか分からずホストマザーとコミュニケーション不能で部屋で寝たふりをするしかなかった私を救い出してくれた恩人なのであった。またジョグジャの母とも言うべきIさんの下で働く、愛すべき生粋のジョグジャ人ドライバーNさんのファンクラブ会長でもある。その天然ぶりで知られ、数々の名言を残してもいる。さて半年振りの再会やいかに。

バリ名物バビグリン(豚の丸焼き)屋で…
MKちゃん「アユン川のラフティングを申し込もうと思ったんですけど、私3メートルしか泳げないので、お母さんに猛反対されてあきらめました」
私「3メートル??」
MKちゃん「はい。私これでもスイミングスクールに3年通ったんです。それで3メートル。1年に1メートルですね。残念です」
私「………」

天然ぶりは健在であった。

2009年2月18日水曜日

シンクロニシティ


最近妙に友人Aくんのことを考える。今日こそメールしよう、と思っていたら当のAくんからメールが来た。
「リエ、元気ですか?最近妙にリエのことを考えます。」
以心伝心。ここまではよくある話である。ところが、よく「ない」のはこの後であった。
「僕は今フィリピンのマニラにいて、来週バリに行こうと思っています。リエは今どこにいるんだろう。ヨーロッパ?南米?アメリカ?もし東京にいるのなら、帰りの便が東京経由なので、数日東京に寄ろうかと思うんだけど。」
何だって!?マニラにいる?バリに来る?
私はもちろん即効で返事を書いた。
「私は今バリにいるんだよ!おいで!」

この話には伏線がある。
フランス語圏カナダ人のAくんとは2年前に大阪の友人宅で知り合った。モントリオールの大学でダンスと演劇を専攻する学生であり、ストリートパフォーマーでもあるAくんは、そのときアジアを旅していて、大阪の知り合いの家に泊まっていた。私はちょうど広島での友人の結婚式を兼ねて山陽地方を旅した帰りに大阪に立ち寄り、同じ大阪の友人宅に泊めてもらった。つまり、私たちは寛大な大阪の友人宅の居候同士だったのである。
とてもオープンな心を持つAくんとすっかり意気投合し、ちょうど東京に向かうところだった彼と、東京に帰る私は、一緒の高速バスに乗り、3人暮らしの私の下宿先に居候として連れ帰った。翌日は近所の神楽坂を案内し、飯田橋の交差点のところで靖国神社に行くという彼を見送って別れた。

時は流れて去年の夏、Aくんはストリートパフォーマンスをしながらヨーロッパを旅していた。私も当初の予定では夏はヨーロッパの予定だったので、再会を約束していたのに、私の東南アジア滞在が予想以上に長引き(そして今に至る)、かなわなかった。そのときAくんは、今年初めにLAに転居する予定だから、再会は中米か南米あたりだね、と言っていたので、私はてっきりAくんはLAにいるものと思っていたのである。それがまさかマニラに来ていて、翌週バリに来ようとは!

果たしてAくんはウブドへやってきた。デンパサールからベモ(地元の人が利用するオンボロの乗合バス)に乗って。そして私たちは、飯田橋の交差点で別れて以来2年振りの再会を、ようやくここウブドで果たしたのである。
私のバリ芸能への愛と情熱を分け合うのに、Aくんほど恰好な相手を他に知らない。私は大喜びでお気に入りのグループの公演に、Aくんと、Aくんがデンパサールで知り合ったという、これまたオープンな心を持つスイス人のSくんを連れ回した。その公演のどれもがいつもより素晴らしく、これはきっと、いいものを見せたいという私の気合いがグループの人々に伝わったに違いないと、一人私は悦に入った。

さらに、私はジャワ島ジョグジャカルタでお世話になった日本人IさんのゲストハウスへAくんを送り込んだ。Iさんはインドネシア語も堪能だが、フランス留学経験もあってフランス語も堪能なのである。私がファンクラブ副会長を務める、Iさんのお抱え運転手で生粋のジョグジャ人Nさんとも、Aくんはすっかり意気投合したようで、兄弟のようだった、と後日Iさんから電話でご報告をいただいた。

「私はなんだかAくんが息子みたいに思えるんですよ」と言う私に、
「あら私もなんだか孫ができたみたいだったわ」とIさんは言って、二人で笑った。
日本人の母と祖母を獲得したAくんは、今頃モントリオールの空の下でクシャミをしていることだろう。

2009年1月20日火曜日

さよならニッポン


夜明け前の高速バスで成田へ向かう。寒い中、両親が見送ってくれた。

2009年1月18日日曜日

怒濤の一日

仕事がようやく片付いて、束の間の上京を果たす。

お土産を買うのに朝っぱらからつきあってもらったMGちゃん。「切手」と「切符」を言い間違うのはこの方です。

居酒屋でMGちゃん(左)、Lちゃん(中)、MRちゃん(右)と。ぶり大根とかほっけの開きとか、居酒屋メニューを堪能する。日本語の堪能振りに舌を巻く アメリカ人翻訳家のLちゃんは、最近念願の猫を飼い始めてとても幸せだそうだ。私に水晶をくれた宮崎出身のMRちゃんはフルマラソンを走るスプリンターで ある。

大尊敬するブラジル音楽系ギタリスト、Aさんのライブをキャッチ。東京で恋しいもののひとつはこの方のギターです。

最後はMHちゃんと朝まで語り明かした。素晴らしいマッサージ師であるMHちゃんは、鍼灸学校で治療家としての勉強を深め、昨年国家試験に合格して晴れて 鍼灸師となった。治療の道に進む前はクライマーで、ネイチャーガイドで、トライアスロンもこなしてしまうという、この美貌からは想像できない過去を持つ。

2009年1月17日土曜日

姪たちに再会


お手紙をくれた姪たちが遊びに来る。ついこの間まで赤ちゃんだったのに、もう中1と中3である。ちょっと見ない間に子どもはどんどん大きくなる。ついに身長も超されてしまった。

上の子は高校受験真っ最中だけれど、拍子抜けするくらい明るい。二人とも学校が超楽しいのだそうだ。学歴や成績なんて社会に出ればあんまり関係ない。明るくて楽しいのがいちばんだ、と心底思うよ、おばさんは。

2009年1月12日月曜日

Back in Tokyo


仕事の関係で急遽一時帰国することになった。

かれこれ1年、東南アジアの熱帯圏で暮らしてきたというのに、いきなり真冬の日本へ。成田到着直前「現地の気温はマイナス1℃」というアナウンスに耳を疑った。実に30℃近い気温差である。

しかも二晩まともに寝ていない。飛行機は夜の便で機中泊だったし、出発前夜のウブドはものすごい雷雨が一晩中続いて、ほとんど一睡もできなかった。

そんなどろどろの状態で早朝に到着し、そのまま丸一日のミーティングに突入する。

更に、その後大学時代の先輩のバンドのライブにまで行ってしまった。

気絶寸前の疲労状態だったが、極度な疲労時には不思議とテンションが高くなるものである。何より、懐かしい旧友たちとの再会をしょっぱなから果たし、嬉しい一夜。

2008年12月25日木曜日

Selamat Natal/Merry X’mas!



バリはヒンドゥー教の島なので、クリスマスと言っても観光客相手の行事に過ぎないのだが、クリスマスとボクシングデーは何としっかり祝日なのだった。インドネシアはイスラム教徒が9割を占める世界最大のムスリム国家なのだが、国家公認の6つの宗教(イスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教、儒教)というのがあって、国民はこのどれかに属さなければいけないことになっているらしい。それで公認宗教の祭日は国定休日ということになっているのだろうか。

さて、クリスマスの今日は空がとてもとても青く、暑い一日だった。インドネシア語教室のクラスメートだったオーストラリア人のSさんとRさんと、田んぼの見渡せるのどかなレストランで、クリスマスランチをした。

2008年12月15日月曜日

2020年に有名になるアーティスト


「2020年に有名になる」という何とも謙虚な触れ込みの画家がいて、私はその人の絵が何だか好きだったので、田んぼの真ん中にあるコンクリート打ちっ放しのアトリエ兼ギャラリーに行ってみた。絵を見せてもらった後、写真を撮らせてもらってもいいですか、と聞いたら、慌ててちゃんと服を着て、人形で遊んでいた可愛いお嬢ちゃんと一緒に、写真に収まってくれた。

2008年12月14日日曜日

バリスを真似る子どもたち


近所の子たちがふざけてバリス(戦士の舞)の独特なガニ股の歩みで私の後をついてきたので、カメラを向けて「はい踊って!」と言ったらこのポーズ。何でバリの子どもたちはみんな踊れるの!?