朝4時半にオジェで宿を出発する。クリムトゥは日中は雲がかかって見えないことが多いため、日の出のときに見るのが慣例となっている。まだ暗い山道をバイクでぐんぐん登っていく。途中管理棟で入山料22,000ルピアを払い、山頂手前の駐車場まで行く。そこでバイクを下り、後は暗い山道を山頂まで20分ほど歩いて登る。
日が昇る前の山頂は冷える。重ね着をして30分ほど待つと日が出てきて、乳白色がかった緑色の湖が姿を現した。その奥には濃い緑色の湖、反対側には真っ黒の湖がある。色は鉱物の含有量のよるもので、時と共に変化するのだそうだ。
手前は乳白色がかった緑、右奥は深い緑
黒い湖
さて私にはLさんに頼まれてきた大事なミッションがあった。それは山頂でお茶を売っているアフマッドおじさんにお礼を言うこと。Lさんはアフマッドおじさんに大変親切にしてもらい、その道案内のおかげで迷うことなく里にたどり着くことができ、大変感謝しているのだそうだ。しつこいくらいLさんに頼まれてきたので、忘れるわけにはいかない。売り子のおじさんに聞いてみると、今日はアフマッドさんは来ていないと言う。事情を話すと、それじゃ自分が連れて行くからアフマッドさんの家に行くかとか、これから電話して山頂まで来てもらうか、とかいろいろ申し出てくれる。まさかお休みのところをわざわざ山頂まで来ていただくわけにはいかないので、今度会ったらどうぞよろしく伝えてください、とだけお願いした。この売り子のおじさんたち、夜も明けないうちから寒い山頂に登り、一杯5,000ルピアでお茶やコーヒーを売って、一体どのくらいの収入になるのだろうとしみじみしてしまう。
しばらくするとたちまち雲が涌き出て湖が覆われてしまった。一瞬にしてこの違い。山の天気は本当に変わりやすい。やっぱり日の出前に来て良かった。
数分でたちまち雲がかかり真っ白に
DくんとNさんと3人で山を下り始める。帰りは温泉や滝があるという里を経由して歩いて帰るつもりだった。が、どうやら聞いてみると温泉はだいぶ遠そうだ。お腹も空いていたので、温泉は端折って、滝だけ見て帰ることにした。ところが道を聞き聞き行ったのに、どこで間違えたのか、藪をかき分けて細い道を辿っていくと、川で行き止まってしまった。川の向こうに道が続いているようなので、ぐらぐらする石をつたって川を渡った。ちょっとした冒険である。これは迷ったかと一瞬不安になったが、程なく車道に上がる道が見えてきてホッとした。ふたを開けてみると滝はモニの集落のすぐ近くだったので、モニから行った方が早かったようだ。けれどもこういうハプニングは思い返してみると楽しいものだ。
村の子どもたち
10時半くらいに宿に帰り着き、朝ご飯のバナナパンケーキを食べる。もうモニでの目的は果たしたし、モニは宿もご飯も高いので、今日中にエンデに移動できるものならしたいなあと思い、宿のお兄さんにエンデまでの交通手段を相談したら、乗り合いタクシーがあり、30,000ルピアで行ってくれるという。今からでも行けるかと聞いたら、大丈夫だというので、急遽手配してもらい、エンデに向かうことにする。Dくんは隣にここより安い宿を見つけたのでそちらに移ってモニにもう一泊するという。Nさんは私と一緒にエンデに行くことになった。
バナナパンケーキを片付け、荷物をまとめ、宿の女主人に急遽チェックアウトする旨を告げ、宿代を払う。11時半には乗り合いタクシーが来た。乗客はマウメレからの乗客一人とNさんと私の3人だけなので、快適である。モニからエンデまでは2時間ほどの道のりなのだが、途中ところどころで工事をしていて、何度もストップしなければならない。私たちは先を急ぐわけでもないからいいが、用事がある人はいらいらするだろうなあと同情する。
さて2時頃エンデに到着し、当たりをつけていた宿に空き室を確認する。Nさんと私の分2室を押さえて、タクシーに支払いを済ませる。エンデは何も観光資源がないせいか物価が安い。浴室・扇風機付きの部屋で55,000、シャワー付きで60,000である。温水はもちろんないが、海辺の街エンデは暑いので、へっちゃらである。Nさんはインドネシア式の浴室(水桶に水をためて手桶で体に水をかける)がだめで、シャワーがほしいというので、私は喜んで55,000の部屋を取った。
水浴と洗濯を済ませ、昼食と情報収集に出ることにする。宿の人に聞いたら観光案内所があるということなので、2 kmほどの道のりを歩いて行ってみた。意外に立派な観光地図をもらい、安くておいしい食堂とインドネシア国営船会社ペル二社事務所の場所、オジェは3,000ルピアであることを教えてもらった。職員の女の人がわざわざ隣の食堂まで案内してくれた。まずは腹ごしらえ。お茶込みで10,000ルピアほどだったから安い。
それからすぐ近くのペル二社事務所へ。実はヌサ・トゥンガラ行きを考え始めたとき、ペル二社の船情報を収集すべく、バリのブノア港に行ってみたが、ペルニ社の事務所はもう営業時間を過ぎて閉まっており、旅行会社で聞いてみたりしたのだが、一向に情報がつかめない。ウェブサイトがあるというので見てみたら最終更新が2006年で終わっている。そのうち時間的な制限が出てきて私は飛行機で行くことにしたのだが、Dくんに船の存在を教えてあげたら興味津々だったので、Dくんのために運航スケジュールやら値段やらを調べてあげることにしたのだった。というと親切そうに聞こえるが、まるで雲をつかむようだったペルニ社の存在をこの目で確認したかったというのが本音である。果たして、ようやく私はペルニ社が実在することをこの目で確認した。運航スケジュールによれば、9月1日にエンデを出て、3日にバリのブノアに着く便がある。値段を聞いてみると、一番安いエコノミーで28万ルピアほど。これは予想外に安い。早速Dくんにメールで教えてあげたら大乗り気で、翌日モニからエンデに来ることになった。
ミッションを果たし、大満足で散策していたら、オジェのおじさんに声をかけられた。雑貨屋で買い物をして、宿まで戻ったらいくらかと聞いたら8,000だという。3,000を2回としても6,000でしょ、と言ったら遠いからとか、ガソリン代がとか言う。私はバリでバイクに乗っているので、ガソリン代は1リットル6,000ルピアであることを知っている。それを言ったら、分かった分かったということで6,000で話がついた。ふたを開けてみたら雑貨屋は全然遠くなく、宿に戻る道の途中にあったので3,000でも良かったくらいなのだが、交渉済みなので仕方ない。交渉もゲームみたいなものである。
その夜は疲れてご飯に出る気力もなく、早々にベッドに入った。が、部屋が談話室に面しているため、人の話し声でなかなか寝付かれない。翌日は部屋を変えてもらおうと決心した。