
生理の話である。
いきなり何かと思われるかも知れないが、まあ聞いていただきたい。
日本の社会では生理というのは秘すべきことで、女性は生理中だというのを大っぴらに男性に言ったりはしない。
これがバリではどうか。その辺のプロトコルが今ひとつ分からないのである。というのも、バリでは生理中の女性は神社に入ることができないので、そういう注意書きが神社の立て看板に書いてあるし、また「生理中の女性は入ることができません」と男性に言われたりもする。バリの人々は神社に行く機会はしょっちゅうあるわけで、そうすると女性が生理のために行けない機会もしょっちゅうあるということで、そうなれば、生理中であるということは男女間でオープンな話題なのではないかと推測する。
この推測を後押しする材料として、バリでは(インドネシアでは)日本や西欧社会でタブーとされるプライバシーに関わる質問がとてもオープンに交わされる、ということがある。「どこへ行くの?」「何歳?」「結婚してる?」「恋人いる?」は挨拶代わり。「家賃いくら?」「給料いくら?」「これいくらしたの?」というのも普通である。ということを考えると、生理なんてタブーでありえないような気がする。
更なる材料として、ここにガルーダ航空の機内誌に掲載されていた面白いエッセイがある。西欧文化環境で育ったインドネシア人女性ジャーナリストによって書かれたこの痛快なエッセイによれば、政治、宗教、セックスといったセンシティブな話題は西欧社会では避けるべきものだが、インドネシア人はこうした話題が大好きで、女性が男性の同僚に自分が生理中だと言うことも珍しくない、という。彼女曰く、自分はバイカルチュラル環境で育ったので、西欧人にもインドネシア人にもなれるけど、この面では断然インドネシア人であることを選ぶ、西欧社会ではこうした話題を職場でしようものならハラスメントとして訴訟問題になりかねないけど、それを話さないで一体何を話すわけ?楽しくないじゃん!というわけである。痛快である。
そんなわけで、私はバリでは女性が男性に生理中であるということはタブーではないに違いない、という推測のもとに行動していた。
なぜそんな仮定が必要だったかというと、仲良くしているおじさんとかお兄さんとかの男性の知り合いにオダランなどの祭礼に誘っていただいたときに、生理で行けなかったりすると、どうお断りするか、という問題が生じるのである。私は大抵楽しみにしていて、行けないのは本当に残念なので、適当な理由をつけて断ったと思われるのは心外である。なので、行きたいのに生理で行けないのだ、と正直に言うことにしていたのだ。
ところが、先日思わぬ事態が発生した。
敬愛するガムランの先生がバリのヒンドゥー教の総本山ブサキ神社のオダラン(神社の創立記念祭)に誘ってくださった。オダランのような祭礼はただ見学するよりも、地元の人と一緒に参加させていただく方が断然興味深いので、とても楽しみにしていたのに、4日前に予定外の生理が来てしまった。この4日目というのが微妙であった。終わっていると言えば終わっているが、完全には終わっていない。どうしたものか悩みに悩んだ挙げ句、やはり他の方々に迷惑がかかってはいけないと思い、泣く泣く辞退することにして、先生に携帯メールを送った。
「先生、明日はとても楽しみにしていたのですが、生理で参加できなくなってしまいました。とても残念です。」
すると、先生から電話がかかってきて、
「行けないの?」
とおっしゃる。
「はい、先生、生理だと神社に入れないですよね。」
と言うと、
「大丈夫だよ」
と先生。
私はびっくりした。え?大丈夫なの?そうか、意外とあのルールは厳密じゃないのかも知れない。何たって地元の人がいいって言うんだから。私はすっかり気が軽くなって、
「大丈夫なんですか?それなら行きます!」
と元気よく返事をした。
そして翌日、すっかりお参りが済んだ後、先生が、
「そう言えば、リエ、昨日は何だったの?よく分かんなかったんだけど、ええと(と私の送ったメールを見直す先生)、これ、“セイリ”ってなに?」
え!?どういうこと?私は頭の中がぐるぐるまわった。待てよ、“生理”っていうインドネシア語はバリ人のKdちゃんもKtさんも使っていたから間違っているはずはない。ということは、先生はバリ語では知ってるけど、インドネシア語では知らないの?それより何より、先生は私が生理中だってことを知らずに、「大丈夫だよ」って言ったんだ。じゃあ本当は大丈夫じゃなかったのかも知れない。どうしよう!と思ったが、後の祭りである。私は覚悟を決め、すべてなかったことにすることにした。
「先生、それは忘れていいです!」
と叫び、無理矢理話題を変えた。そして心の中で、ブサキの神様、私はセイリなんかではありませんとも、と強弁したのだった。
ブサキの神様が大目に見てくださることを祈るばかりである。