ワット・アルン(暁の寺)よりチャオプラヤー河を望む。
ワット・アルンはジャワ島のヒンドゥー遺跡プランバナンにちょっと似ている。ビザの関係やら買い物やら友人との再会を兼ねて、ちょっとバンコクに行ってくることにした。カレンダーを見て驚いたのだが、4ヶ月暮らしたチェンマイを出たのがちょうど1年前の5月18日。ちょうど丸1年ぶりのタイ再訪なのであった。
バンコクは蒸し暑くて、とても過ごしにくい。河口の街だということと、大都市特有の温室効果が相乗しているのだろう。
バンコク名物交通渋滞さて、1年振りのタイは何も変わっていなかった。道端に空間さえあれば食べ物屋が軒を広げるところも、王様の像が至るところに掲げられているところも、夕方6時きっかりに国歌が流れ、道行く人が皆起立・静止するところも、夜中に公道を象使いに連れられた象が歩いていたりするところも。
変わっていたのは自分のタイ語力である。私はいちおう去年4ヶ月チェンマイに住んで、タイ語のレッスンも受けていた。声調と文字の難しさに挫折し、ちっとも上達しなかったとは言うものの、挨拶やら数字やら基本的な表現くらいは使えていたのである。それが、コップンカー(ありがとう)とサワディーカー(こんにちは)以外、基本表現も、数字も、基本単語もきれいさっぱり忘れ去っているのには、我ながら驚愕した。ところがおもしろいことに、何かヒントやきっかけがあると、ずるずると芋づる式にいろんなことを思い出す。これは私にとっておもしろい発見だった。私にとってタイ語は言葉の引き出しではなく、一般の記憶の引き出しに一緒にしまわれているらしい。
これぞタイ。空間さえあればどこでも食堂に早変わりする。