2010年10月30日土曜日

ジョグジャカルタ再訪 その5:ドライバーNさん

ご当地Tシャツを集めるのが好きなドライバーのNさんに、バリ・ビンタン(ビンタンはインドネシアの代表的なビールの銘柄)Tシャツをお土産にあげたら、翌日早速Tシャツの色に合わせて、茶系のパンツとジャケットと革靴でキメて来た。おしゃれなNさんである。




2010年10月29日金曜日

ジョグジャカルタ再訪 その4:水の離宮


かつてスルタンが遊んだという離宮。プールを見渡せる小窓から、その夜床を共にする美女を選んだそうな。選ばれた美女が身支度を整えたという部屋には、水をはって鏡代わりにしたという壺が置いてあり、その向かいに、スルタンの寝室が続く。

ジョグジャカルタ再訪 その3:ベチャに乗る


自転車タクシーのことを「ベチャ」という。モータリゼーションに駆逐され、インドネシア各地から今では姿を消しつつあるというが、なぜかここジョグジャでは健在なのである。健在どころか、非常に盛んなのである。これはかなり不思議な現象である。モータリゼーションの波はもちろんジョグジャにだって押し寄せている。大体東南アジアは私の知っている限りどこも二輪王国であり、公共交通機関が未発達で、モーターバイクが庶民の足としての地位を確保している。特にインドネシアはここのところの好景気で、四輪の数もものすごく増えている。なのになぜ?


理由はさておき、今回初めてこのベチャに乗った。以前滞在していたときは、値段交渉が苦手だったし、外国人はぼられるので、もっぱら値段が決まっている「トランスジョグジャ」というバスばかり利用していた。けれど「ベチャ」には何とも言えない風情があって、今回は乗ってみようと思ったのである。



乗ってみて、大ファンになってしまった。なんといってもベチャはエコである。ガソリンがいらない。健康的である。ベチャのおじさんたちは、皆それはすばらしく締まった脚をしている。景色がゆっくりと流れていく。起業するのに元手がそれほどかからない。素晴らしい!



客待ちしているおじさんたちは胡散臭く見えるが、値段交渉がまとまって乗ってしまえば、みんな気のいいおじさんたちだ。そんなおじさんたちとの触れ合いも魅力のひとつだ。2年前同じインドネシア語学校に通っていたMちゃんは、ベチャのおじさんとすっかり仲良くなり、家族ぐるみのおつきあいにまで発展した。


のんびり客待ちするベチャのおじさんたち


欠点を挙げるなら、大体ベチャは客をどこかの店に連れて行って、その客が買い物をするとマージンが入る仕組みになっていくらしく、さりげなく勧めてきたり、連れて行かれたりする。押しの強さは人それぞれだと思うが、私が出会った二人の運転手は断ればそれ以上しつこく勧めては来なかった。


どうかこの「ベチャ」が今後も廃れずに存続していってほしいものである。

2010年10月28日木曜日

ジョグジャカルタ再訪 その2:バティック工房を訪れる

ジョグジャはバティック(ジャワ更紗)の産地としても知られる。

工房をのぞいてみた。

生地に鉛筆で下描きし、その上に蝋描きし、蝋伏せし、染色し、熱湯で蝋を煮溶かす、という工程を、使う色の数によって繰り返す。手書きの一点物は値段が高く、型を使うものだと少し安くなる。

ジャワ島にはジョグジャの他にもバティックの名産地がいくつかあって、それぞれに特色がある。ジョグジャのバティックは茶系で地味で渋めである。

私はマドゥーラ島のバティックが大好きだ。鮮やかな赤が基調で、鳥や魚などのモチーフが生き生きしている。ため息が出るような美しいものは、2〜3万円はする。いつかマドゥーラ島にバティックを買いに行きたいものだと思っている。

下描き

蝋描き

染色

熱湯で蝋を煮溶かす

2010年10月27日水曜日

ジョグジャカルタ再訪 その1


所用で約1年ぶりにジョグジャカルタを再訪することになった。


ジョグジャカルタ(通称ジョグジャ)は世界遺産ボロブドゥールやプランバナンを擁するジャワ島の古都であり、今はインドネシアの学園都市として知られる。マレーシアからインドネシアに南下してきた2年前、まずは基本のインドネシア語を勉強しようと、1ヶ月この街に暮らし、インドネシア語の学校に通ったことがある。その頃、ムラピ山の姿を足元まで見た人は、必ずまたジョグジャに帰ってくるという伝説があると聞いた。朝焼けのボロブドゥールから、ムラピ山の姿を足元まで見たしっかり見た私は、以来なんだかんだと一年に一度はジョグジャを訪れている。

さて、今回は渡航前日にそのムラピ山が噴火した。テレビも新聞も見ない不勉強な私はそんなこととは露知らず、空港まで迎えに来てくれた宿のIさんとドライバーのNさんに聞いてびっくりした。ムラピの山守としてジョグジャの英雄的存在だったマリジャンおじいさんも、今回の噴火で亡くなったという。ただこの時点では、ジョグジャ市内はまだ影響がなかった。その後、ムラピは活発な噴火活動を続け、私がジョグジャを去る日の噴火では、風向きの関係か、火山灰が街中を覆った。そして帰りの飛行機は2時間遅れとなった。


火山灰が降ったジョグジャカルタ市内


私がジョグジャを去った後も、ムラピは一向におさまらず、死傷者の数も増えている。Iさんによれば、火山灰を除けば市内での生活には今のところ影響は出ていないようだが、飛行機は欠航が続いており、日本領事館からも避難や備蓄の勧告が出ている。予断は許されない状況で、被害が広がらないことを祈るばかりである。


ムラピの噴火と前後して、スマトラ島沖のサーフィンやダイビングのメッカ、メンタワイ諸島でも大きな津波があり、450人近くが亡くなっている。


実は肝心のジョグジャでの「所用」の方は、結局、諸般の事情で果たすことができなかった。周到に準備していたことなのでかなり気落ちしたが、考えてみれば平穏に今日生きていられるだけで御の字というもの。気を取り直して、火山灰が降る前のジョグジャの街を普通に観光したり、バティックを見て回ったり、安くておいしい食べ物を堪能したり、インドネシア語学校時代の先生たちに会ったりして、4日間を過ごした。

2010年10月12日火曜日

火葬の儀


とても蒸し暑い一日。大通り沿いのよく行く食堂でお昼を食べていたら、あのサンバのようなマーチングの音。火葬場までの行進である。御神輿のように人々に担がれた黒い牛の張り子と塔状の山車はかなり立派なものだ。きっと身分の高い人の火葬なのだろう。火葬場に着くと山車で運ばれてきた遺体は黒い牛の張り子に移され、勢いよく火がつけられる。青い空と賑やかな音楽とたくさんの人々に見送られて、バリの人はこの世を去る。

2010年10月2日土曜日

再びシンガポール

宿の屋上庭園


何度目かのvisa runで再びシンガポールへ。


前回の日帰りが強行軍だったのに懲りて、今回はお昼のフライトでのんびり出て、一泊し、翌日夕方のフライトでのんびり帰ってくることにしたため、リトルインディアの宿に着いたらもう夜で、ご飯を食べて少し近所をぶらぶら散歩して寝るだけ、翌日昼過ぎにはもう空港へ向かう、というなんだかあまり現地での時間のないスケジュールになってしまった。


それでも楽しみにしていたインド料理も飲茶も食べられたし、ウブドで知り合った友だちで現在はシンガポール在住のスイス人Cちゃんとも久しぶりに会うことができた。


帰りの飛行機待ちの時間、チャンギ空港をぶらぶらしていたら、30代半ばくらいのパイロットの男性が、空港内のショップに展示してあるおもちゃにふと目をとめて、じっと見入っている光景に出くわした。きっと小さいお子さんがいるお父さんなのだろう。とてもほほえましくて、心が温かくなった。