2011年4月6日水曜日

京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち

「原発事故はメルトダウンの危機を脱し、長期化はしそうだけれども、状況は安定している」という政府・東電・マスコミこぞっての一大情報操作に、私も一度は騙されかけていた。けれども途中で何か怪しいと思い始めた。私は母が福島の出身で、私自身も幼少時代を過ごした。福島には知人も親戚もいる。放射線量は「直ちに健康に影響のないレベル」と言うが、本当なのか。真実を知りたい。そう思って模索しているときに、参加しているメーリングリストでこのドキュメンタリーが紹介されていた。


なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜(2008年10月19日 毎日放送(MBS)放映)

http://video.google.com/videoplay?docid=2967840354475600719&hl=ja

上記URLは2011/4/29に削除されるということなので、以降は下記のYouTubeをご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=-pqrpabtm4s

http://www.youtube.com/watch?v=a4c2Dca-Brg

http://www.youtube.com/watch?v=e0AFOOyglC4

http://www.youtube.com/watch?v=kjvmsnVqAPg

原子力科学者という立場で、40年にもわたって原発の危険性を訴え、警告を続けてきた「異端」の科学者たちを扱ったドキュメンタリーである。

原子力を推進するという国策に反する研究活動をしているため、迫害され続け、地位も「助教」(昔でいう助手だそうだ)のまま。それでも自分たちの信念を曲げず、正しいと思うことをし続けてきた科学者たち。


ものすごく感動した。やっと本当のことを教えてくれる人たちに出会えたと思った。以来、同実験所の小出裕章先生や今中哲二先生の発言に注目している。


ほんとうに偉い人というのはこういう人たちのことだ。

地位や財産ではない。人間としての品格の高さだ。

そして生き様は顔に出る。

こんなに誠実で良心的な科学者もいるということが本当にありがたい。


このドキュメンタリーを制作したプロデューサーにも拍手を送りたい。

ちなみにドキュメンタリー放映後、関西電力は毎日放送のスポンサーを下りたそうです。

2011年3月25日金曜日

あえて最悪のシナリオとその対処法を考える

広告に依存しないジャーナリズムを目指すインターネット放送局ビデオニュース・ドットコムの好企画。


「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」

http://www.videonews.com/on-demand/511520/001784.php

または

http://www.youtube.com/watch?v=7W3ZI6ENAl0

http://www.youtube.com/watch?v=lvrrSbbScMU


必見です。


「不必要な不安を掻き立てることは避けなければならない。しかし、人体や環境に長期にわたり不可逆的かつ深刻な被害をもたらす原発事故は、予防原則の立場に立ち、常に「最悪の事態」を想定して対応する必要がある」と番組趣旨にある。


同サイトから各専門家の見解を要約・抜粋します。理解や用語に誤りがあれば、私の責任です。


京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏が想定する「最悪シナリオ」とは:

燃料棒が溶け落ちて(メルトダウン)水蒸気爆発を起こし、原子炉内の燃料から放射性物質がすべて環境中に放出される。1〜3号機のいずれかで爆発が起きれば、作業員は全員退避となり、冷却作業ができなくなるので、他の号機も連鎖的にメルトダウンする。


NPO環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏が想定する「一番現実的な最悪シナリオ」とは:

爆発が起こらずとも、冷却作業を続ける間に、大気中、水中、土壌に長く放射能が漏れ続ける。住民の避難や水道水、海産物の汚染が長期間続くことになる。


放射線が人体に与える影響を専門とする琉球大学名誉教授の矢ヶ崎克馬氏の弁:

体内に放射性物質が入ることで起きる「内部被曝」の危惧が高まった。今は怯えている段階ではなく、被曝は避けられないという意識を持ち、できる限りの手段で防御策をとることが必要。


放射線医学の専門家で元岐阜大学医学部助教授の松井英介氏の弁:

外部被曝では、外部からの放射線は体を透過する。内部被爆では、尿などにより体外に放出されず体内にとどまった放射性物質が、アルファ線・ベータ線を出し続け、繰り返し遺伝子を傷つける。「ただちに健康に影響はない」という説明は、皮膚がただれるなど急性症状にはならないと言っているのか、何を意味するのかの説明がない点が、われわれの不安の元になっている。内部被曝で重要なのは、急性の症状ではなく、遅れて発症する「晩発(ばんぱつ)障害」、もうひとつは「蓄積性」。水道水などから検出された放射性ヨウ素131は、体内では選択的に甲状腺に蓄積される。また、小さい子どもは特に影響を受けやすいため、成人男性とはまったく別の問題として考える必要がある。


是非じっくりご覧ください。

2011年2月10日木曜日

土地、売りません


私が住んでいる地域は美しい田園風景が広がっているのがとても気に入っているのだけれど、住み始めてからしばらくして「売り地」の看板が目立つようになった。この2年半の間にも、どんどん新しい建物が建っている。このところの土地バブルで、大変な労働をしても実入りの少ない農家の人々が土地を売りたくなる気持ちは分かるし、自分だってきっと田んぼをつぶして建てられたのであろう家に住んでいるのだから、大きなことは言えないが、やっぱり美しい田園風景が壊されていくのを見るのは心が痛む。ところが、今日久しぶりに遠回りして田園風景を走ってみたら、こんなものを見つけてしまった。


「売りません」


気概のあるバリの農家の人が立てたものか、はたまた在住ガイジンアーティストのインスタレーションか。真偽のほどは分からないが、心から応援します。

2011年2月8日火曜日

ねこのきもち


いつも行くヨガスタジオには3匹の同じ模様の親子猫が住み着いていて、よくバイクの座席やらショーケースの上やらで昼寝をしている。あまりに気持ちよさそうな様子についちょっかいを出すと、「ニャー(じゃましないでよ)」と抗議する。そしてまたぐーすか寝入ってしまう。


2011年1月16日日曜日

火傷闘病記

大晦日の日に火傷をした。

スーパーで買い物を終え、駐車場から自分のバイクを出そうとしたとき、隣に止めてあったバイクのものすごく熱くなっていたマフラーに、運悪く短パンをはいていたため露出していた右足のふくらはぎが一瞬触れてしまったのだ。

熱くて飛びすさった。

すぐに水で冷やしたかったのだが、どこに水があるのか分からない。人に聞く心の余裕もなく、とにかく一目算に家に帰ることにした。家に帰り着く10分ほどの間にも、痛みがジンジン増していく。

ようやく帰り着き、すぐに水道の水で冷やす。それから氷で冷やしてみる。ジンジンした痛みはおさまらない。念のため、近くの病院へ行った。患部に塗るクリームと痛み止めを処方されて帰ってきた。クリームを塗ると大分痛みが楽になり、痛み止めは飲まずに済ませた。


翌元日の朝起きてみると、患部が水ぶくれになっていた。そのままにしておいていいかどうか分からないので、また病院へ行った。お医者さん曰く、水ぶくれを切開した方がいいとのことで、水ぶくれにはさみを入れ、死んだ皮膚を取り除いた(痛かった!)。患部をできるだけ濡らさないように、濡れると新しくできかかった組織が壊れてしまうから、と指示されて帰った。


問題はここからだった。

毎日言われたとおり6時間おきにクリームを塗っていたが、じくじくとした痛みが一向におさまらない。それどころか日を追う毎に表面が膿んだようになって、悪化しているような気がする。治癒のプロセスなのか、悪化しているのか分からずに1週間ほど様子を見たが、やはり何かがおかしい。それでまた思い切って病院へ行った。

医者が傷口を見るなり顔色を変え、「2次感染を起こしている」と言う。

ここからが大変だった。

患部を消毒液に浸しながら、ピンセットで感染を起こした組織を取り除いていくのだが、ちょっと触っても痛いのだから、もう焼け箸を突っ込まれるような痛さである。私が痛みに耐えられずギャーギャー騒ぐので、先生も一度では取り切れないと判断したらしく、いったん傷口を絆創膏で塞いで、毎日か二日おきに来るようにと言われた。

さらに抗生物質の注射を打たれ(これも痛かった!)、抗生物質の錠剤をもらって帰った。


なぜ2次感染を起こしたかというと、どうやらシャワーのときに傷口を濡らしたことと(できるだけ濡らさないようにとは言われたが、絶対濡らしてはいけないとは言われなかったので、そこまで厳重に捉えていなかった)、クリームを塗り直すときに前の残留分を取り除かなければならかったのをそうしなかった(薬の説明書には確かにそう書いてあったのだが、医者からはそういう指示を特に受けなかったように思うので、やはりそれほど厳重に捉えていなかった)のがいけなかったらしい。


この日からは傷口を絶対濡らさないように、シャワーをやめ、手桶を買って、バケツにためたお湯を手桶に汲んで、工夫してお風呂をするようにした。


翌日昼頃、病院に行くつもりで家を出たが、あの痛い治療を思うとおそろしくなり、思わず病院とは反対方向に行ってしまった。結局そのときはそのままお昼を食べに行き、病院へは夕方出直した。

傷口の消毒と、感染組織を取り除く治療の続き。やっぱり痛くてギャーギャー騒ぐ。この日もあと少しを残したまま、傷口を塞いで帰った。


翌日夕方、再び意を決して病院へ。

こんな痛い日々があとどれだけ続くのだろうと涙目になった頃、ようやく感染組織を取り切った。また傷口を塞いで帰った。


翌日昼頃、再び病院へ。

絆創膏を開けてみると、傷口はきれいな赤で、少し乾いてきている。消毒するとまだ焼けるように痛いが、あのピンセットで感染組織を取り除くプロセスが終わっただけで肩の荷が下りた。次は2日後で良いと言われ、傷口を塞いで帰った。


この日を境に、ようやく快方に向かっていると感じるようになった。

それまでのじくじくした痛みがなくなり、傷口から絆創膏に染み出す浸出液の色も明るくなってきた。


翌日、先生には2日後でいいと言われたが、絆創膏を変えてもらった方がいいような気がして、再び病院へ。絆創膏を剥がすときや、消毒をするときはやはり痛いが、傷口はかなりきれいになってきている。先生曰く、表面の薄皮ができて、あとは皮膚が再生されるのを待つだけだから、2日後に来なさいとのことで、再び傷口を塞いで帰った。


2日後は忙しくて行けず、3日後に病院へ。はりついていた絆創膏を剥がすときは痛いが、表面が大分乾いてきているのが分かる。これからはもう傷口を塞がない方が良い、あとは傷口を濡らさないようにと指示され、別のクリームを処方された。特に問題がない限りもう病院に来る必要はないとのことである。


それから2日、火傷してから16日が経過した。傷口は今のところ順調に快方に向かっている。また2次感染を起こさないように注意しながら、皮膚が再生されるのを待っている。まだ触ると痛いので、寝るときの姿勢が限られるのと、足を濡らさないようにお風呂に工夫が必要なのは変わらないけれど。ずっとお休みしているヨガやサルサが再開できる日もそう遠くなさそうだ。

2011年1月15日土曜日

猿の森


猿の森へ行った。

ウブドの街中にある鬱蒼としたその森は自然保護区に指定されていて、猿たちの聖域となっている。

猿は神の使い。古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」でラーマを助ける聖なる猿ハノマンは英雄である。

観光名所なのだが、東京タワーみたいなもので、住んでいると行かないものだ。今回新婚旅行のMちゃんカップルを案内して、約10年ぶりに足を踏み入れた。


土産物屋やレストランやホテルがひしめく通りから一歩入ると、そこは別世界。まさに猿たちの楽園が広がっていた。実にのびのびとした彼らの「人間らしい」行動は見ていて飽きない。赤ちゃんを抱いたお母さんザルたちの必死で子どもを守る様子。愛くるしい赤ちゃんザルたちの表情。子ザルたちのじゃれあう様子。仲睦まじくノミを取り合う様子。貫禄あるオスザルの様子…


喧噪の一歩隣に、今もまたあの別世界が広がっていると想像すると楽しい。今度また気分転換にあの猿たちに会いに行こう。

2011年1月13日木曜日

新婚旅行


昨年突然友だちのMちゃんから結婚するというおめでたいニュースが届いた。お相手は同じ会社の同郷の方だという。新婚旅行の候補はタイかバリだというので、強力にバリを推したら、本当に来てくれた。


こうなると俄然張り切る私である。とっておきのドライバーさんを手配し、ケチャやレゴン、お気に入りスポットなどへご案内した。二人ともとても楽しんでくれたようで、うれしい。


雨期なのに不思議とお天気にも恵まれた。きっとバリの神様たちが二人の門出を祝福してくれているに違いない。Mちゃん、Sさん、末永くお幸せに!