2009年10月21日水曜日

停電


夜のヨガのクラスが終わってみたら、街が停電していた。暗月から4日目の今夜は月明かりも暗い。しんと静まりかえった真っ暗な街はまるで雪が降った夜のようだ。店々が灯す蝋燭の明かり、ケチャの声、空を見上げればいつもよりたくさん星が見える。

家に帰り着き、蝋燭をあちこちに灯すのはまるでパーティの準備のようで楽しい。暗い台所で蝋燭の明かりと触覚を頼りにご飯を作って食べた。今夜はよく眠れそうだ。

2009年10月20日火曜日

トイレとお盆

久々の子守のKさん登場
お手製のバリのおやつを手に

今日子守のKさんと台所で話していてふと思い出したことがある。
先日サヌールでポトン・ギギを見学させてもらったとき、トイレに行きたくなり、会場の一角で女性陣たちが忙しく立ち働いているところに行って「トイレはありますか?」と聞いたら、なぜかお盆を手渡されたのだ。
はて、なぜお盆を手渡されたのだろう、サヌールではトイレでお盆を使う習慣なんだろうか、でも何に使うんだろう…と頭の上にクエスチョンマークが5つくらい飛んだ。が、やはりここは聞き直してみようと思い、「あの、トイレに行きたいんですが…」と言ったら、「ああ、トイレ!」と大笑いで奥に案内されたのだった。
この話をふと思い出し、Kさんに「お盆て何て言うの?」と聞いてみたところ、事態が判明した。
どうやら”Ada kamar kecil di sini?(ここにトイレはありますか)”と言ったつもりが、”Ada tamal kecil di sini?(ここに小さいお盆はありますか)”と聞こえたらしいのだ。
Kさんもこれには大笑いで、3歳の子にまで話して聞かせ、「買い物に行ってくるね」と言えば、「お盆持っていきな」と言われる始末である。

どうやら私にトイレと誤解はつきもののようで、実は先日も、デンパサールの食堂でトイレを借りようと思ったら、2つの部屋が並んでおり、案内された方に入ってみたら、そこはお風呂場のような空間で便器がない。バリの家はトイレの一角に水桶が置いてあってその水を汲んでおしりを洗ったり、水浴したりする形式が一般的なのだが、その家のお風呂場にはそういう水桶もなかった。これは一体どこでどうやってすればいいんだろう、としばし悩んだが、やっぱり聞いてみようと思い、もう一度出て聞いてみたら、何のことはない、隣の部屋がトイレだった。無理矢理お風呂場でしなくて本当に良かった。

2009年10月17日土曜日

Classic Films of Bali

プログラム

1930年代のバリと言えば、ヴァルター・シュピースを始め数々の西洋人芸術家や人類学者などがこの島に魅せられてやって来た時代であり、そういった人々の手による調査記録や論文、著作も数多い。そういった著作や写真を通じて、少し昔のバリの様子を興味深く知ったり、この島の音楽や舞踊に魅せられる著者たちの(特にヴァルター・シュピースとコリン・マックフィーの)「気持ち」に深く共感したりしている私にとって、1930年代のバリというのは(ちょうど1950年代のリオ・デ・ジャネイロのように)一種の憧憬をかきたてるテーマなのだが、その時代の貴重な映像記録を集めた映写会が4夜連続であった。フランスのLa Cinémathèque de la Danse, Paris(パリ舞踏映像図書館といったところだろうか)という機関の好企画で、在インドネシアフランス大使館が後援し、アマンダリホテルが20周年記念行事の一環として協賛したようだ。ウブド郊外クデワタンの美しい渓谷を見下ろす神社のホールで、地元のバリ人の人たちを招いて無料で行われた。さすがはアマンダリ、太っ腹である。

上映された作品を一覧すると、
第1夜:
- 「ヴァルター・シュピースの生涯」(1986) H. Hulscher
- 「バリ」(1933) Rolf de Maré
第2夜:
- 「悪霊の島」(1933) ヴィクトル・ヴォン・プレッセン&ヴァルター・シュピース
第3夜:
- 「バリのトランスと舞踊」(1938) マーガレット・ミード&グレゴリー・ベイトソン
- 「レゴン—処女たちの島」(1935) Henry de la Falaise
第4夜:
- 「楽園の異邦人」(2007) Agnès Montenay
- 「コリン・マックフィー アジア音楽の魅惑」(1985) Michael Blackwood
(注:邦題は便宜上筆者がつけたもの)

もちろん私は全夜通い詰めたが、非常に充実した楽しい4夜であった。

特に、Rolf de Maréという人が撮った「バリ」(1933)という30分ほどの無声記録映像は、様々な様式の舞踊を記録したものだが、その中に有名な天才舞踏家マリオが子どもに稽古をつけている場面が収められていて、これは本当に鳥肌ものだった。この有名な舞踏家については、写真や文章で目にする機会はあったものの(それだけでも息を呑むほど美しかったが)、実際に動いている映像を見るのは初めてだったのだ。その体の線や動きの美しさ、子どもに稽古を付けていくときの、操り人形師と操り人形のような独特な空気感、すべてがただただ美しくて、見入った。会場もこの場面は喝采であった。

また「コリン・マックフィー アジア音楽の魅惑」(1985)では、当時このカナダ人音楽家の運転手を務め、バリの音楽調査の水先案内人となったクンダン(太鼓)の名手で、実は私のガムランの先生の師匠でもあった故マデ・ルバ師のインタビュー映像などもあり、個人的には大感激だった。

ちょっとおもしろかったのは地元バリの人たちのノリのいい反応で、恋物語で若い二人が思いを寄せる場面なんかはやんややんやと冷やかしが飛ぶし、1930年代の胸を露わにした女性たちとか当時の習俗などは、外国人の私たちの目から見るとそれほど現代と違っていると思わないのだが、今のバリの子どもたちから見るとおかしいらしく、ゲラゲラ笑っていた。

余談だが、このイベントはまったく街中で宣伝を見かけなかった。私がなぜ知ったかというと、たまたまいつも行くヨガスタジオの受付に、たまたま無造作に置かれていた新聞の切れ端のようなものを目にして、メモを取らせてもらい、アマンダリまで問い合わせに行ったのだ。これを運命でなくして何と呼ぶ?

会場からの眺め

2009年10月14日水曜日

ガルンガンがやって来た


ガルンガンがやって来た。日本の元日によく似て、空は晴れ渡り、家々は門松のようなペンジョールで美しく飾られ、午前中は静謐な雰囲気が漂う。

そして午後になると獅子舞のようなバロンが繰り出し、門付けをしてまわる。




2009年10月13日火曜日

ラワール


ガルンガンがやって来る。ガルンガンというのは文字通り日本の盆と正月を合わせたような行事で、前日の今日は皆さん準備で忙しい。各家庭の前にペンジョールという竹ののぼりが立てられ、街中ペンジョールのアーチできれいである。

そんなお祭りのごちそうと言えばラワール。肉をたたいていろんな香辛料と生血を混ぜ合わせたものだ。これを作るのは男衆の仕事である。昼間近所から聞こえてきた豚の断末魔の声は、ラワールになるためにつぶされる豚の声だったのだろう。

今朝ガムランの先生が、作りたてのラワールをわざわざ届けてくださった。つぶされた豚たちに感謝しながら、おいしくいただいた。

2009年10月5日月曜日

ポトン・ギギ(削歯儀礼)見学記

エジプトの王様のような削歯中のMくん

数々の儀式や祝祭に彩られたバリの人々の生活を常々興味深く観察させてもらっている私だが、オダランや火葬のようなオープンな儀式はよく見学する機会があっても、結婚式などの通過儀礼的なものとなるとやはり個人的なつてがないと難しい。そんな折、日本の某国際協力団体で働いている友人Hちゃんが受け容れている留学生の中に、バリ人のMくんという人がいて、近々ポトン・ギギ(削歯儀礼)のために一時帰国する予定であると聞き及び、図々しくも見学させてもらえないだろうかとHちゃんを通じてお願いしたところ、快諾していただいたのが数ヶ月前のことであった。

ポトン・ギギとは、バリ人が生まれてから死ぬまでの間に必ず行わなければいけない重要な通過儀礼のひとつで、上の前歯6本を(象徴的に)やすりで削る。その意味するところは、ヒンドゥーの教義的には人間の中にある6つの敵(強欲や怒りなどの好ましくない性質)を減じるためだそうだが、民俗学的な見地から言えば、バリ人は獣のような性質を忌み嫌うため、尖った歯=獣のような歯を平らにすることで洗練された一人前の人間になる、という意味合いもあるらしい。本来は結婚前までに済ませておくのが理想だが、非常にお金がかかるため、大抵は親族でいっぺんに他の儀式と併せて行うことが多いという。もしポトン・ギギを行う前に亡くなった場合は、埋葬前に行うというから、そのくらい大切な儀式なのだ。

こんな素敵な招待状をいただいた
弟さんの結婚式と一緒に行われるという

かくして当日がやって来た。バリ式の正装をして、バイクで1時間ほど南に下った海辺の街サヌールに向けて出発する。吉日であるらしく、あちこちで様々な儀式が行われており、通行止めのため道を大きく迂回しなければないところもありあせったが、無事時間通りに会場に到着することができた。

一頃は海辺のリゾートとして脚光を浴びたサヌールだが、今は隣のクタや最近注目のスミニャック、新たに開発されたヌサドゥアなどにお株を奪われ、少し寂れた熱海のような、でもそれはそれでしっとり落ち着いた風情がある。
1930年代にウブド近郊のサヤン村に居を定めたカナダ人音楽家コリン・マクフィーが、名著「A House in Bali」の中で、南の漁村クタに足を延ばしたときの印象をこう語っている。
『サヤン村はどんより曇っている日があまりに多く、人々の表情もいくぶん堅くて鈍重な印象だった。平野部の住人は性格的にもだいぶ違っていて、開放的で明るかった。市場で車を降りるやいなやその違いは一目瞭然で、陽除け幕の下はまるでピサロの絵にでてくる午後のように朗らかだった。』(邦題『熱帯の旅人』—大竹昭子・訳)
この描写がよく分かる。ウブドの人たちが鈍重だとは思わないけれど、陽光溢れる海辺の街は明るくて、人々もより開放的に見える。

会場の雰囲気

受付で記名し、お祝儀を渡し、飲み物とスナックをもらって中に入る。会場では特に何か式次第や案内があるわけでもなく、儀式は儀式で勝手に進行し、集ったお客さんたちはそれぞれお喋りに興じている。しばらく手持ちぶさたに座っていたが、奥の一角で何か行われそうなのでそちらへ行ってみると、まさにポトン・ギギが始まろうとしていた。

寝台にのぼるMくんの弟さん
今日の結婚式の新郎でもある

寝台にポトン・ギギを受ける人が寝かされ、司祭の手により削歯が行われる。その周りを親類縁者の人たちが取り囲み、何やら歌をうたったりしてしている。手元の資料(”Bali Sekala & Niskala” Fred B. Eiseman, Jr.著)によると、削歯中の人は象徴的に一度「殺されて」おり、非常に脆弱な状態にあるので、近しい人たちが近くにいて守るのだそうだ。

削歯中、周りを囲んでサポートする親類縁者の人たち

削歯が終わり寝台を降りるとき、何か草のようなものを踏む

会場では常に賑やかに音楽が奏でられている

プダンド(最高司祭)

一連の主立った儀式が終了する頃ちょうどお昼になり、バイキング形式で好きなものを取ってお昼をいただく。

ごちそう

うかうかご飯を食べている間にも、傍らで粛々と儀式は進行しているのであった。

今日ポトン・ギギを受けた4人の皆さん

削歯の後もまだ、様々な手順が進む
左の二人が結婚式の新郎新婦

聖水を浴びたり、黒い鳥におでこをつつかせたり
耳に何やら糸のようなものをかけたり
何かの植物を頭に巻いたり…

その儀式が終わると、人々が会場から出て行くので、ポトン・ギギはこれでお終いで、休憩をはさんで結婚式なのかな、と思ってそのまま座っていたら、Mくんがやってきて、「これで終わりです」と言う。「え、結婚式はいつやったんですか!?」と聞いたら、どうやら同時並行で行われていたらしいのである。すっかり見損なってしまった。

神々しい光が差し込む神棚

Mくんとは初対面だったのだが、Hちゃんの言葉通り、「超真面目な好青年」であった。お隣ジャワ島ジョグジャカルタの某有名大学のコンピュータエンジニアリング部講師の身分で、現在は日本の某有名大学に留学中という超優秀な理系の人でありながら、一時帰国して伝統的な儀式をきちんとこなす。「留学が終わったらまたジョグジャに?」と聞く私に、「はい。でもここが私のホームタウンです」と答えたMくんのバリ人としての揺るぎのないアイデンティティがとてもまぶしく見えた。

儀式が終わって弟さんと談笑するMくん

2009年10月3日土曜日

プリアタン村のオダラン


歌舞が盛んなことで有名なプリアタン村のとある神社のオダランが6日間に渡って繰り広げられた。さすがはプリアタン。外庭に1組、内庭に2組の種類の異なるガムランが常時配置され、内庭ではワヤン・クリッ(影絵芝居)にグンデル・ワヤン(ワヤン・クリッの伴奏に使われるガムラン)、数々の踊りが奉納され、外庭ではトペン(仮面劇)が上演され、華やかなこと!

プログラム満載

お清めを受ける踊り子たち

外庭のガムラン この中に私の先生がいる

ワヤン・クリッ+グンデル・ワヤン

神社の境内に所狭しと並ぶお供え物は
終わったら持って帰ってみんなで食べる

満月の空にプダンド(司祭)の鳴らす鐘の音が響き渡り
静粛な祈りの場が訪れる