
仕事が閑なのをいいことに、読書三昧の日々を送っている。ほぼ1日1冊の割合で読んでいるが、最近読んだ中では「クタビーチホテルへようこそ」(古谷野洋子著/新風舎)という小品が個人的に良かった。
「クタビーチホテル」という伝説のホテルに興味を持った著者が、このホテルを巡る二冊の本を基に関係者へのインタビューを進めるうち、そこに繰り広げられた人間模様が明らかになっていく、というもので、その時代背景がまさに私が憧憬する1930年代のバリなのである。
実は「クタビーチホテル」にはかねてから興味を持っていた。半年ほど前、ネカ美術館の写真展示室で、1930年代のバリの芸能を写した素晴らしい一連のモノクローム写真を見た。そこには伝説のクビャールの踊り手マリオが子どもに稽古をつける姿や、ケチャの発展に大きく貢献したという偉大なるバリスの踊り手リンバックのまさに神がかった姿が映し出されていて、私は随分興奮したものである。その写真の出所を見ると、”Our Hotel In Bali” (Louise Koke著)とあった。調べてみると、若いアメリカ人夫妻(コーク夫妻)が資金もホテル経営の経験も知識もないままにいかにして1930年代にクタ初のホテル「クタビーチホテル」を開いたかという物語であるという。いつか読んでみたいものだと思っているうちに、先にこの「クタビーチホテルへようこそ」に巡り会った。この本が基にしている二冊の本のうち一冊がその”Our Hotel In Bali”であり、もう一冊はK’tut Tantriという人が書いた”Revolt In Paradise”という本である。
この本によると、「クタビーチホテル」は”Our Hotel In Bali”の著者コーク夫妻と”Revolt In Paradise”の著者クトゥット・タントリのパートナーシップで始まったが、後に両者の関係は決裂し、分裂して、それぞれがそれぞれの「クタビーチホテル」を目と鼻の先で運営するに至ったらしい。つまり、「クタビーチホテル」は2軒あったという。
このクトゥット・タントリなる人物がまた興味深い。実はこの人、アメリカ人女性である。アメリカで観たバリの映画に心引かれ、全財産を持ってバリにやって来たが、当時のバリを支配していたオランダ人官吏の干渉を嫌い、バンリの王家と巡り会ってラジャ(王)から家族同然に受け入れられ、この名前を拝命した、という。本名はヴァンニーン・ウォーカー、又の名をミス・マン、ミュリエル・ピアソンといい、日本支配時には抗日レジスタンス運動に参画し、インドネシア独立戦争時にはインドネシアのために闘ってスラバヤ・スーと呼ばれた、という。何という破天荒な女性か。
コーク夫妻とクトゥット・タントリのそれぞれの著書の中で「クタビーチホテル」が言及されるとき、お互いの元パートナーの話はまったく無視されていて、「クタビーチホテル」が2軒あったことなどももちろん言及されていないようだ。ただお互いと思われる人物はそれぞれ名を伏せて登場していて、それによるとクトゥット・タントリはコーク夫妻のビジネスを裏で大分妨害したらしい。燃えるような赤毛からミス・マン(「マン」はバリ語で猫のこと)と呼ばれた彼女の、気性の激しさが伺えるエピソードである。
著者はこの2冊の本に加えて、”Bali, A Paradise Created” (Adrian Vikers著)、”A House In Bali” (Colin McPhee著)などの文献にあたり、更に関係者たちにインタビューを試みるが、たまたま出会った老人が「クタビーチホテル」の元コックだったり、たまたまコピー屋で会った人がクトゥット・タントリの晩年を知っていたり、とバリらしい「偶然」に導かれていく。この過程もまた面白い。
この「クタビーチホテル」を巡るエピソードを通して、1930年代のバリという時代が見えてくる。この地に魅かれて移り住んだ西洋人芸術家たち、オランダ支配、バリの王族、戦争の影、日本軍の上陸…。その後第二次大戦に突入し、コーク夫妻とクトゥット・タントリそれぞれの夢の結晶「クタビーチホテル」は影も形もなく破壊された。西洋人たちは本国へ逃れたり、日本軍の収容所に入れられたり、そのままバリに残ったりとそれぞれの末路を辿った。「クタビーチホテル」はまさに1930年代のバリを象徴する存在だったのだと思えてならない。
クトゥット・タントリがその後どうなったのか明らかでないが、彼女に関するエピソードの中で私がとても心引かれたことばがある。彼女にバリ名を与えたラジャの娘にあたる老女の証言である。
「ミス・マンはラジャに恋してしまったの。ラジャが行く所ならどこにでも付いていった」
「ミス・マンはインドネシアのムルデカ(独立)のために闘った。ミス・マンはインドネシアに恋していたからね。ラジャとインドネシアに」
日本軍の拷問にも耐え抜いて、インドネシアの独立に尽くした、破天荒で気性の激しい彼女の、強さの源が見えた気がするからだ。