2009年3月29日日曜日

A House In Bali

コリン・マックフィー住居跡からの眺め

1930年代のバリに心惹かれる、という話は事ある毎に触れてきた。二つの大戦にはさまれたこの時代は、ドイツ/ロシア人画家/音楽家ウォルター・シュピース初め、メキシコ人画家コバルビアス、オランダ人画家ルドルフ・ボネ、人類学者ベイトソン・ミード夫妻など、この島に魅了された西洋人芸術家、人類学者たちが島を訪れ、長期滞在し、この島の芸能に影響を受けるとともに、影響を与えた時代であり、それぞれがそれぞれの分野で様々な著作を残している。

そんな中で、ガムランの音に魅せられてバリ島にやってきたカナダ人音楽家コリン・マックフィーの著書「A House In Bali(邦題:熱帯の旅人〜バリ島音楽紀行)」(大竹昭子訳 河出書房新社刊)は、私の興味の直球ど真ん中の内容であり、大変興奮した。いつまでも読み終わりたくなくて、結局2度読み返しただけでは飽きたらず、コピーをとって、今も何度も読み返している。

コリン・マックフィーは駆け出しの作曲家だったが、あるとき偶然レコードで耳にしたガムランの音に魅了され、はるばるバリ島までやって来る。そしてついには当時はド田舎だったウブド近郊のサヤン村に家を建て(A House In Bali)、通算で5年間滞在する。あちらの村に古い楽器が眠っているらしいと聞けばキャンプをしてでも探しに行き、こちらに古い曲を知っている人がいると聞けば教えを請いに行き、様々な音楽家や舞踏家や芸能のパトロンである王たちと親交を結び、解散した楽団を復活させたり、自分の村に新しい楽団を創設したり、舞踏家を育てたりしてしまう。この本にはそんなエキサイティングな日々が、音楽家の鋭い耳と感性で、実に生き生きと、詩情とユーモア溢れる筆致で綴られている。

この人の素晴らしいところは、この地域の通商用語であり比較的習得が容易なマレー語だけでなく、マレー語が通じないサヤン村に住んだために、複雑な敬語体系があって習得が難しいと言われるバリ語まで学んでしまったところで、その彼の口から、地元の人々の会話が生き生きと描かれ、様々な曲の題名や劇の筋を解き明かしてくれるのだから、バリ文化の恰好の案内書でもある。

そのとき採集したバリ島中の音楽を、彼はその後20年余をかけて「Music in Bali」という「電話帳ほどの厚みがある」という大著にまとめ、後年はUCLAの音楽学科および民族音楽科の教授に迎えられたというが、こちらが学術書であるのに対して、本書の方は、まるで映画を観るように、彼の目を通して1930年代のバリが見えるような気がする。

数多い印象的なフレーズの中で、バリの音楽の本質を言い表していると思われる一節がある。少し長いが引用したい。

「 こうして毎晩様々な曲を聴き続けるうちに、バリの音楽の法則や形式や構造が、ようやくつかめてきた。私は村人とおしゃべりしたり、採譜したり、遠出していろんな音楽に出会ったりしながら、謎を解いてきたこれまでの道のりを思い返した。今やするべきことはすべてし尽くしたようだった。パズルのコマは収まるところに収まった。ミステリーは解決された。
 しかし本当にそうだろうか、という思いも一方にはあった。確かに私はバリの音楽について新たな原理と法則を手にしたようだった。そのみずみずしさや精巧さに私は興奮し、これまで集めた資料を元に、私なりにバリの音楽を分析して本に著したいと考えた。それを思うと思わず胸が高鳴った。だがルバの奏でる繊細な太鼓の響きや、新たな創作意欲を感じさせるロットリングのまばゆい旋律を聴いていると、バリ音楽の究極的な本質や特徴は、とらえようにもとらえきれないもののような気がしてくるのだった。」

だからこそ、今もバリの音楽は私を含め、多くの人々を魅了せずにはおかないのだと思う。

大竹昭子さんの翻訳がまた素晴らしい。バリ島の文化に精通し、その方面の著書もあり、ご自身が素晴らしい書き手でもある訳者ならではの、深い理解と愛に基づく名訳である。

さて、彼が暮らし、当時はド田舎だったサヤンは、今や高級リゾートが立ち並ぶ一帯となっている。本書を頼りに彼の住居跡を探してみた。当たりをつけて、あるリゾートに聞いてみると、何と「ここですよ」と言う。今は改築されてリゾートの一部となっているが、お願いしてその家を見せてもらった。本書にある通り、「墓地の横のそそりたった崖の上」にあり、「建物は崖のきわに建っており、急勾配の屋根の切り窓から、険しい渓谷をうねっていく川の様子が、まるで飛行機から眺めるように見渡せた」。この景色は80年近く経った今も余り変わっていないのではないかと思われた。この場所で、この本に書かれている魅力的な光景の数々が繰り広げられたのだと思うと感動が込み上げ、私は心の中で、そこにいるような気がするコリン・マックフィーさんの魂に話しかけた。