なぜあの28日間のことを書き留めておかなければと思ったのか。
ものすごく忙しかったけれども、一体毎日何をしていたのかというのを確認しておきたかったからか。今日こんなにお金を遣ったけれども、一体何に遣ったのかを確認するために家計簿をつけるように。
それもある。
けれども根はもう少し深いところにあるようだ。
突き詰めてみるとそれは、ずっと棚上げにしてきた、自分の持ち物をどうするかという問題に直面せざるをえなくなり、結果的にどう対処したのかということを確認しておきたかった、ということのように思う。
スナフキンのように小さなリュックサックとギターひとつで飄々と放浪するとまでいかなくとも、私の周りには自分と一緒に移動できるほどの荷物しか持たずに生活している人が、男女を問わず結構いる。
そんなふうになれたら身軽で自由だろうなあと思う一方で、そうなるには私には物への執着がありすぎるのだった。
今まで実家にたくさんの荷物を預かってもらったまま、移動生活をしてきたが、それはモラトリアムというもので、実家が狭くなるという物理的な問題が生じて初めて、今までふたをしてきた問題を突きつけられたのだった。
今回実家の荷物を整理しなければならないということになって、まず思ったのは、自分の拠点がほしい、ということだった。自分の拠点があれば、そこに自分のものを置いて、誰にも迷惑をかけず、そこから旅をしてそこに戻って行ける。けれど現実的に(経済的に)今の時点でそれは難しかった。
どこかに拠点を構える見通しも立たず、身の回りの荷物だけで暮らす決心もつかず、結局明確な方針がないまま荷物整理に突入することになった。
それでとにかく今回は、両親の住空間を占領しないように、できるだけ物を減らすことに努めた。
指針になったのは、大学時代の友人Aちゃんのお母さんが言ったという「死んだらゴミよー」という言葉だった。Aちゃんのお父さんが亡くなったとき、お父さんのものをどんどん処分したお母さんの言葉だそうだ。
思い出だけで取ってあって、今後使うことがないだろうものは、とにかく心を鬼にして処分することにした。手紙も、日記も、旅の資料も、旅先で買った絵葉書も、ライブのフライヤーも、写真のネガも。幼い頃のバレエ着も、中高時代の体操部のウェアも、旅先で買ったもう黄ばんでしまったTシャツも。修学旅行の資料も、同級生や後輩の寄せ書きも、賞状も、メダルも。カセットテープも、アナログレコードも、聴かないCDも。本も、雑誌も、コンサートや映画のパンフレットも。楽器も。
処分と言っても、思い入れのあるものやまだ使えるものをただ捨てるということができないのが私の性分で、これがこれだけ忙しかった原因でもある。
とにかくできるだけゴミにはしたくなくて、
一般書は古本屋をあたり、友だちにあげられるものはあげ、
雑誌やパンフレットはサブカル系の古書店を探し、
楽器は中古楽器買取屋を探し、楽器屋で引き取ってもらえないものは友だちをあたり、
レコードはアナログレコード買取屋を探し、
CDは中古CD屋をあたり、
ネットで検索して、問い合わせて、だめで、また他を探して、問い合わせて、梱包して、発送して、という作業の繰り返しだった。
こうして売っても二束三文だけれども、ゴミになるよりはいい。どこかで役立ててもらえるならその方がいい。
ネットオークションをやればいいようなものだが、一時期ネットオークションによるトラブルの相談室で仕事をしていたことがあり、罵り合いとか脅迫にまで至る恐ろしい事例ばかり見ていたため、どうしてもやる気にならない。もちろんハッピーな事例の方が多いのだろうけど、今回は時間的な制限もあり、そのオプションは排除した。
燃えないゴミとして捨てることに環境的に抵抗のある電子機器類は、送料を自己負担してリサイクル業者に引き取ってもらったり、メーカーに持ち込んだりした。
こうして最終的に、荷物の量は4分の1くらいにはなったのではないだろうか。
それでもまだ衣類、靴、バッグ、本、書類、CD、楽器、電化製品、写真、卒業アルバム、卒業証書など、結構残っている。
こうして考えてみると、私は何と多くの物を持っていることだろう。
引っ越しとか事あるごとに整理はしてきたつもりでも、そのとき「大事だから取っておく」と決めたものが当然のことながら年齢を経れば地層のように積もっていく。
どこかで意を決して処分していかないと、物が溢れかえることになる。
4月にコンピュータのハードディスクがクラッシュしたとき、過去3年半分のデータを一気に失った。頭の中が真っ白になったけれど、今後の仕事に関係する部分は何とか1週間くらいで復旧できたし、以外と過去を失っても何とかなるものだという経験をした。これは象徴的なできごとだった。
仕事の記録を失っても、仕事をしたという実績が消えるわけではない。
同じように、思い出のあるものを処分したからと言って、思い出がなくなるわけではない。
思い出はものにではなくて、心の中にある。
そう頭では分かっているのだけれど...
やはり過去のものが何もなくなるというのも味気ない気がして、捨てられなかったものもいろいろある。
当面は使わないけれども、また使うときに買い直すのはお金がかかるなあと思って取ってあるものもいろいろある。
ずっと棚上げにしてきた問題にひとまず区切りをつけることができて、それなりの達成感はあるのだけれど、スナフキンの境地はまだまだ遠い。
荷物の整理という目的はあったものの、今回の帰国はちょうど良いリセット・リフレッシュ期間になった。
暑くもなく寒くもなく、湿気もなく、肌を刺す虫がいない5月の気候は、熱帯疲れの体には心地よかったし、
バリの悪い面が自分の中でクローズアップされてきた時期だったので、何もかもがきちんとしている日本の良さを実感したし、
和食はやっぱりおいしいし、
毎日浴槽に浸かれたし、
家族や友だちにも会えたし。
ハードディスクのクラッシュの影響を復旧できたのも良かった。
すべて失ってしまった音楽データも、毎晩夕食後に黙々と500枚近いCDを読み込んで復旧させた。
クラッシュですべてのデータを失った教訓から、ハードディスクのバックアップ用と音楽データ用に2つの外付けハードディスクを入手し、ハードディスクのバックアップは習慣づけるようにした。
コンピュータのハードディスクを軽くするために、音楽データは外付けハードディスクで管理することにして、DVDにバックアップも取った。
PC用のポータブルスピーカーも入手し、上質な音とは言いがたいが、少しはましな音で音楽が聴けるようになった。
実家にネット環境があることが分かったので、意外な展開でハードディスク無料交換になった私の旧MacBookを母にあげて、メールとスカイプのアカウントを作り、基本的な操作を教えてきたことも、実家とのコミュニケーションに大進歩をもたらした。
携帯メールがようやく最近打てるようになったばかりの母は、最初はとても無理と拒否反応を示していたが、先日はスカイプにも成功したし、メールもちゃんと漢字変換したものが返ってくるようになり、日々進歩している。
帰国直前に犬に噛まれるというアクシデントから5回にわたるワクチン接種が必要になったときは不運だと思ったが、決まった日に東京に行かなければいけなくなったことで、ともすれば荷物整理に埋没して煮詰まりそうだったのを救い出され、友だちに会ってリフレッシュできた。
それに今回の狂犬病ワクチンは2年間有効だということも分かり(今まで狂犬病ワクチンは1ヶ月くらいしか有効期限がないと思い込んでいた)、狂犬病多発地帯に暮らす身としては備えができて、かえって良かった。
この28日間の間に、口蹄疫が宮崎牛に壊滅的な打撃を与え、iPad発売フィーバーがあり、普天間基地移設問題で鳩山内閣が退陣し、管内閣が誕生し、ワールドカップ熱が盛り上がりを見せ始めた。ニュースは日々移り変わり、世間や時代が形成されていくけれど、短期間の滞在で見聞する母国のそれは、ひとつひとつがとてもビビッドだ。
帰国前に作った「日本に帰ったらやりたいことリスト」は、結局荷物整理に忙殺されてほとんど達成できなかったが(温泉に行きたいとか、富士山に行きたいとか、ラーメン食べたいとか、六本木にサルサ踊りに行きたいとか、図書館で本を読みまくりたいとか)、それは次回への楽しみに取っておこう。
やはり私は日本生まれ、日本育ちなので、日本に自分の根っこがあって、外に出っぱなしだとエネルギーがだんだん枯渇してくるのかもしれない。時々帰って自分の根っこに繋がって充電すると、またエネルギーが溜まってきて元気になる、そういうことなのかも知れないなあと今思う。
最後に細野晴臣翁の言葉を借りて、「この次はモアベターよ!」