25年前の今日、チェルノブイリ原発で史上最悪と言われる事故が起きました。
この日に際して、私の思うことを書きとめておこうと思います。
3月11日にあの大地震と大津波が起き、それに続いて福島第一原発事故が起きるまで、私は原発について深い関心を持ってきませんでした。ないほうがいいけれど、必要悪のようなもので、反対してもどうせ作っちゃうんだろうなあくらいに思っていて、その危険性について本気で調べようともしなければ、積極的に反対運動に参加することもしませんでした。
そしてあの日が来ました。最初はとにかく地震と津波による被害の甚大さに衝撃を受けて、被災者の方たちのために何かできないかと考えた挙げ句、インターネット上でできるボランティアなどに参加したりしていました。原発については、電源が戻るまでは炉心溶融の危険性があるのではないかとはらはらしながらニュースを見守っていましたが、その後は「炉心溶融の危機は去った。今は安定していて、長期化はしそうだけれども、収束に向かっている」というマスメディアの報道を鵜呑みにしていました。
ところが途中で妙だと思い始めました。福島には親戚も友だちもいるので、本当のことを知りたいと思い、いろいろ調べていくうちに、事態はマスコミの楽観的な報道とはまったく異なる非常に深刻なものであることを知り、愕然としました。今福島第一原発で起きていることは、ちょうど25年前に起きたチェルノブイリ原発事故を超える可能性をはらんでいるのです。そして原発というものがいかに非人道的で罪深いものかを知りました。
私はこれまで無関心だった自分を深く反省し、恥じています。
原発は人間の傲慢で浅はかな心が生み出した怪物です。ひとたび世に生み出してしまったら、地球環境を、生態系を、めぐりめぐって人間自身をむしばんでいくのです。そしてそのしわ寄せがいくのは、いつでも弱者です。
そんな怪物を生み出すような愚かな社会に、無知と無関心によって私も協力していたのです。
私は心に決めました。これからは原発という怪物を世の中からなくすために、自分のできることをしようと。
日々いろいろなことを学んでいます。たくさんの気づきがあります。それをこの場でみなさんとシェアしようと試みています。
私とまったく同じように、今まで無関心だったことを恥じ、学び始めた人たちが大勢いることも知りました。
2004年の夏至の日に富士山の朝霧高原で行われた「世界平和と祈りの日」という集いにボランティア通訳として参加しました。そのとき集いの主催者であるネイティブアメリカン・ラコタ族のチーフ・アーボル・ルッキングホースさんがこんなことを言っていました。「いま人類は分岐点にいる。破壊と混沌の道を選ぶか、平和と調和の道を選ぶか」
今まさに私たちはその瀬戸際に立っていると思われてなりません。
ひとりひとりが選択を迫られています。
2011年4月26日 チェルノブイリ原発事故から4半世紀目の日に
チェルノブイリの100万人とも言われる犠牲者の方々と
断腸の思いで故郷を後にしなければならなかった福島の強制避難区域の方々と
置き去りにされなければならなかったたくさんの命と
原発で被曝しながら作業をしてくださっているたくさんの作業員の方々への祈りをこめて