福島第一原発事故が起きて以来、今までの無知・無関心を大反省して、本当の情報を探したり、原発について学んでは衝撃を受ける日々を送っている。今起きている事故がチェルノブイリ以上になりうる危険性を孕みながら毎日綱渡りを続けている状態であることも知った。原発に対する「必要悪」というイメージは単なる刷り込みであって、全然必要ない「ただの悪」であることも知った。原発の持つ恐ろしさも知った。では毎日大量の放射能が放出されている日本で、自分の家族や友だちも含め日本に住む人々が、また自分が一時帰国したときに、日々の生活の中でどうそれに対処すればいいのか、食べ物や飲み物はどうすればいいのか、外出するときはどんなかっこうをすればいいのか、日々どんなことに気をつければいいのかということを考えているときにこの講演記録を見て、私は頭を殴られたようなショックを受けた。
「放射能を嚙みしめながら〜原子力選択の意味を考える〜」
1988年10月9日(チェルノブイリ原発事故から2年半後)に名古屋で行われた、小出裕章・京都大学原子炉実験所助手の講演記録
1から10までありますが、2時間ほどの講演と質疑応答から成っています。
http://www.youtube.com/watch?v=Ny3hgBjwwxA
http://www.youtube.com/watch?v=RzVrDCzUL9I
http://www.youtube.com/watch?v=M8eSAmgix-c
http://www.youtube.com/watch?v=8XoLxCIcCmA
http://www.youtube.com/watch?v=h3qcS7CD2-Y
http://www.youtube.com/watch?v=RMp0Y1-nSXg
http://www.youtube.com/watch?v=xz37RvUBJAI
http://www.youtube.com/watch?v=wmYqfE46fu4
http://www.youtube.com/watch?v=0otVMpGFX-k
http://www.youtube.com/watch?v=A2aw52X6vnk
私はなんと視野が狭く、利己的だったのだろう(主に以下の概要4の部分をご覧ください)。
是非たくさんの方に見ていただきたいのですが、概要を以下に記します。
【概要】
1. チェルノブイリ原発事故により地球環境がどう汚染されたか
1986年4月26日、チェルノブイリ原発で事故が起きた。
チェルノブイリ原発はソ連自慢の最新鋭の原発で、2年間順調に運転し、点検のために止めていたときに事故が起きた。
原発は運転すればどんどん死の灰が溜まっていく。従ってチェルノブイリ原発には2年分の死の灰が溜まっていた。これが一気に放出された。
出力100万kWのチェルノブイリ原発から放出されたこの死の灰の量は、広島原爆の1,500発分。
これによりソ連・ヨーロッパを中心に高濃度の汚染が起きた。
しかし汚染はソ連・ヨーロッパだけではなかった。
約1週間後の5月4日、大阪の山の中にある京都大学原子炉実験所で雨水の中から放射能が検出された。それから空気、土、草、食べ物などありとあらゆるものを測ったが、汚染されていないものはひとつもなかった。
例えば北海道産の牛乳の中にも放射能は検出され、1986年7月初めをピークに下がってきたが、1988年9月時点でもなくなっていない。
少しでも被曝を少なくする手段はないかといろいろ実験してみた。
葉物野菜を買ってきて、まずぼろぼろになるまでごしごし洗ってみたが、放射能は2割くらいしか取れなかった。
次にぐつぐつ煮てみたが、放射能は6割くらいしか取れなかった。
全然取れないよりはいいが、放射能自体がなくなるわけではない。取れた分は水の中に出て、下水→川→海へと流れて他の生き物にしわ寄せが行くことになる。
さらに母乳からも放射能が検出された。水道に活性炭浄水器をつけてみたが、放射能を取る効果はほとんどなかった。
この経験から言えることは、一度放射能を環境に放出してしまったら、守る手段はないということ。
相対的に汚染度の低い日本でもこんなに影響があった。ソ連・ヨーロッパの汚染はその何十倍、何百倍にも及んだ。
問題はこれだけでは済まなかった。
日本は世界一の食糧輸入国である。ソ連・ヨーロッパからも大量の食糧を輸入しているが、ソ連・ヨーロッパでとれたものは例外なくすべて放射能で汚染されていた。日本政府はソ連・ヨーロッパからの輸入食糧を対象に検査を行い370ベクレル/Kgという基準値を設けてそれ以上のものは入れないという措置を取ったが、この検査は全数検査ではなく非常にずさんで、実際には基準値を超えた食糧品が街で普通に売られているという状況になった。
2. 放射能だけではない汚染
問題は放射能だけではない。
日本には水俣病やカネミ油症など、公害の問題もいろいろある。
放射能による被害と公害の間には類似点がある。それは人間が生み出した化学物質を人体がどう扱っていいか分からないということ。
例えば母体について言うと、胎児性水俣病の場合、母体は水銀をどう扱っていいか分からないため、胎児に押しつけてしまう。
また放射性ヨウ素の場合、母体は天然のヨウ素と放射性ヨウ素を区別できないため、胎児に必要なヨウ素をどんどん与えてしまう。
生命体が対応を知らないものを作り出すのは罪深いことである。
日本は水銀系農薬の使用量でも各国比較でダントツトップである。
輸入食糧にも輸送のために大量の農薬が収穫後散布されている。
輸入大豆や小麦をエサにしていた淡路島モンキーセンターのサルたちは、農薬により2割という高い率で四肢がないなどの奇形が生まれた。
3. エネルギーの大量消費
日本は100年以上にわたり年5%エネルギー消費量を増やしてきた。
このままいけば近い未来に次の世代の子どもたちが生き延びられる環境がなくなってしまうだろう。
原子力だけでなく、化石燃料も含め、エネルギーを大量消費すれば豊かになるという考え方を改めなければならない。
4. 放射能汚染にどう向き合って生きていくべきか(質疑応答の内容の一部を含む)
ソ連・ヨーロッパから輸入される食糧品の放射能汚染について、反原発運動をしている人たちも含め、汚染しているものを日本にいれるなという運動が起きた。
しかし私はこれに違和感を覚える。
私は子どもは守りたい。子どもには原発の責任はないし、放射能に敏感だからである。被曝による発がん危険度は年齢によって子どもが高く、年を取るほど低くなっていくので、汚染された食べ物は大人が食べれば被害を抑えることができる。
しかし私は日本の大人を守るつもりがさらさらない。
日本には37機の原発があり、チェルノブイリ原発事故後も先頭に立って推進している。
そういう国に汚染を拒否する資格はない。
放射能は煮ても焼いてもなくならない。
日本が拒否した汚染食糧は誰かが食べることになる。それは誰か?原子力など使ったこともなく、放射能のほの字も知らない、チェックの仕方も知らない貧しい国々だ。
世界にはすさまじい食糧とエネルギー分配の不均衡がある。
例えて言うなら、4人の子どものうち、いちばん強い一人がおやつもおもちゃも8割取ってしまう。残りの2割から次に強いやつがぶんどる。最後の一人はわずか1%のおやつとおもちゃしかもらえない。
エチオピアではたくさんの人たちが餓死していく。食べ物がないわけではない。分け方が不平等なのだ。こんなことが許されていいのか。
西ドイツではこんなことが起きた。チェルノブイリ原発事故により西ドイツ南部バイエルン州の乳製品が強い汚染を受けた。これが通常の18分の1の値段でエジプトとアンゴラへ輸出されようとしていたことを市民団体が察知した。市民団体の人たちは自分たちも汚染はもちろんいやだが、それをエジプトとアンゴラへ押しつけるのは到底許せないと言って、国外に出すことを阻止する闘争を始める。そして大変な苦労の末に輸出を一部阻止することに成功した。残りはおそらくすでにアフリカに輸出されてしまったにちがいない。汚染された食糧を日本に入れるなという発想と何とちがうことか。
またチェルノブイリ原発事故によって皆パニックを起こしているが、事故が起きようと起きまいと、原発による被曝は実はこれまでもたくさんあった。
原発の現場では、日雇い労働者のような人たちが放射能の知識も与えられないまま、被曝して使い捨てられていくという現実がある。こういう人たちが被曝しながら原発を支えてきた。
こういう現実を目の前にしてどうしたらいいのか。
原子力の問題は原子力ではない。生きることの根本に関わっている。
ひとりひとりが自分の現場できちっと生きていくことが、原子力に関わることになる。
反原発運動が盛んになるのはいいことだが、日本人だけは放射能汚染された食べ物を食べるのいやですと言って拒否するというのは原発を止める力にはならない。
他の人の痛みを感じられるよう視野を広げて運動を作らなければ、原発を止める力にはならない。
私は自分の子どもを守りたいが、ヨーロッパの子どもも守りたいし、ましてや第3世界の子どもに放射能を食べさせるなんて耐えられないので、自分の責任で食べられるものは自分が食べる。まず自分の中に痛みを抱え込み、その痛みをばねにして、反原発のために一歩また前に進みたいと思いながら、毎日生活している。
みなさんにそれを強いることはできないが、私はそうしているということだけお伝えして、参考にしていただければと思う。