2008年10月6日月曜日

インドネシア語考(その4):クレオール化するインドネシア語


閑話休題。

ピジンとかクレオールとか言うのは、厳密な言語学的定義からすると正しくないかも知れないのだが、どうしてもそういう感想を持ってしまうので、ご容赦いただきたい。

さて、インドネシアの統一言語を作るべく、マラッカ海峡周辺で使用されていたマレー語ベースの交易語を基に整備されたというインドネシア語だが、独立から半世紀が経過した今、そのクレオール化は進んでいるようだ。

そもそもどこの地域語でもなかった言葉を国語に据えたわけだから、インドネシア語を母語とする人は当初いなかったはずである。しかし今、ジャカルタなどの大都市では、インドネシア語を母語とする人が確実に増えているという。大都市には様々な島の人たちが集まるので、公用語としてのインドネシア語が公の場だけでなく、日常的に使われる機会が多いということなのだろう。実際、私の友人Mはジャカルタの人なのだが、ジャワ語ができない。彼女のお父さんが西洋人とのハーフだということもあるのだろうが、家で一切ジャワ語を使用しなかったという。彼女の母語はインドネシア語なのである。ジャワ島の大都会ジャカルタから地方都市スマランに移住した今、Mはジャワ語ができなくて苦労している。

また公用語としての普及が進むにつれて、言語の宿命として、インドネシア語自体の地域差というのも生まれてきているようである。先日インドネシア語の授業で、私が”kenyang”(お腹いっぱい)と言ったら、先生にいたずらっぽい顔で「バリでは”penuh”と言った方がいいわ」とたしなめられた。何と、バリでは”kenyang”は「勃起」という意味になるのだそうだ!

インドネシア語文学や詩というジャンルも存在するようである。折しもウブドでは来週、”Ubud Writers & Readers Festival”というイベントが開かれる。国際的な作家やジャーナリストや学者を招いて、文学的な視点から様々なトピックについて議論することを主眼に、様々なワークショップや催し物が開かれるようだ。インドネシアの文学シーンについて情報を得る絶好の機会なので、是非のぞきにいきたいと思っている。

(続く)