2008年10月9日木曜日

ケチャ




初めて私の人生にバリという島の名前が登場したのはケチャがきっかけだった。

私が大きな影響を受けたバンド、YMOの中期のアルバム“Technodelic”の中に、”Neue Tanz”という、ケチャがフィーチャーされた曲があったのだ。このアルバムは1981年リリースだから、私が聴いたのは1982~3年頃だったろうと思う。

その、人をトランス状態に誘い込むような摩訶不思議な合唱が「ケチャ」というもので、「バリ」という南洋の島のものだということは、エキゾチックな秘境のイメージとなって私の頭に刻み込まれた。

それから、キングレコードのワールドミュージックシリーズの「ケチャ」を買って聴いていたりしたのだが、ようやくその「南洋の秘境」で実際にケチャを目にできたのは2000年になってからである。

さて、手元の資料によると、ケチャというのはもともとサンヒャンという集団催眠によると宗教儀礼で、少女がトランス状態で踊るときに伴奏として行われていた男声合唱が原形だという。1930年代にバリに住んだ画家ウォルター・シュピースの提案で、「ラーマーヤナ物語」を採り入れ、舞踏劇に創作されたものが今のケチャであるということだ。

芸能の中心地であるウブドでは、毎晩5つ以上の芸能プログラムが行われており、ケチャも毎晩どこかで行われている。観光向けと侮るなかれ。神々に奉納するものとしての芸能が、神々と生きる人々の暮らしの中に分かちがたくあることを、感じることができるから。

ケチャは村毎にグループがあって、村落共同体のひとつの参加項目であるようだ。私の住む村のケチャの公演を観に行ったところ、その村のほとんどの成人男性が協力、参加しており、収益金は村の寺院の修理や再建、儀式などへの奉納金として使用される、との説明があった。

確かに、私が会場のお寺に向かう道々、衣装を着けて家から会場に向かう村の男性たちを見かけた。公演が始まり車座になって座る男性たちを見ると、白髪のおじいさんから青年まで、老若入り乱れている。そしてその姿は一様にりりしい。

昼間はトランスポート、トランスポートとうるさいおじさんたちもその中にいるのだろう。これからはちょっと見直しそうだ。

それにしても、1982〜3年には「南洋の秘境の摩訶不思議な芸能」だったものに、2008年の今、目と鼻の先で触れることができる。つくづく感無量である。