
ハードコアバックパッカーで物書き志望の私の友人Aは、どんなものを書きたいのかという私の問いに、沢木耕太郎の「深夜特急」のようなのが書きたいのだ、と答えた。
旅文学の金字塔と言われるこの書を、私は読んだことがなかったが、チェンマイのアパートの本棚で、分冊のうち1冊を見つけたので読んでみたら、これがとてもおもしろい。
ご存知の方には分かりきった説明になるが、これは著者が26歳のときにユーラシア大陸を放浪したときの記録で、新潮文庫版では、6分冊になっている。チェンマイで私が読んだのは、5-トルコ・ギリシャ・地中海編だった。
そして先日、日本語の本が読みたくなると行く貸本屋で、今度は2-マレー半島・シンガポール編を見つけた。これも内容のおもしろさは言うまでもないのだが、本筋と外れたところで、私が膝を打って笑ったところが2箇所あるのでご紹介したい。
1箇所は、沢木耕太郎さんがなぜ旅に出ることになったかといういきさつのところで、それは「口からでまかせの言い逃れから始まった」のだという。沢木耕太郎さんは大学を出て一度大企業に就職するのだが、入社初日に「雨のせいで」辞めてしまう。心配した大学のゼミの教官の紹介でルポルタージュを書く仕事を始めてみると、意外にこれがおもしろくて3年ほどは楽しく過ごす。ところが思いがけず一冊本が出たあたりから仕事が殺到するようになり、「職業的な書き手になりたくなくて」、仕事を断る口実に「外国に行くので受けることができない」と言い始めた。事情を知らないお母さんは、息子への問い合わせの電話がかかってくる度に曖昧に受け答えしていたのだが、ある時、「決然と申し渡されてしまった」のだそうだ。「私はもう弁解したり嘘をついたりするのはいやだから、とにかく日本を出ていってくれないか、どこでもいいから外国とやらに行ってくれないか…」と。それで沢木さんはすべてを投げ打って旅に出てしまうのだ。
なんて背筋の真っ直ぐな、懐の大きいお母さんなんだろう。私はかなりお母さんのファンになった。
もう1箇所は、巻末に掲載されていた沢木耕太郎さんと高倉健さんの対談。それぞれの分野の第一人者でありながら、好奇心を失わず、人間的魅力に溢れた二人の、お互いに対する敬意が滲み出た、とても素敵な対談なのだが、かっこいいと思う死に方について沢木さんに問われた高倉さん曰く、
高倉:(前略)なんだかカリブ海に潜りに行ったまんま上がってこないよ、というのが一番いいですね。
沢木:…………。
今度は、書く仕事以外に一番やりたい仕事は何かと高倉さんに問われた沢木さん曰く、
沢木:(前略)豆腐屋さんになりたいわけです。(後略)
高倉:豆腐屋さん……。
さすが大物の二人である。