2011年5月9日月曜日

核のゴミをモンゴルに!?

目を疑ったこのニュース

核処分場:モンゴルに計画…日米、昨秋から交渉(毎日新聞 2011/5/9/2:34 最終更新5/9/7:16

何と、「経産省が昨年秋から米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料などの世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていることがわかった」というのだ。背後には原発輸出競争がある。原発は原子炉1基数千億円というビッグビジネス。ロシアやフランスは原子炉と廃棄物処理とをセットに国際的に売り込みをかけているが、日本とアメリカは国内に最終処分場を持たないため、競争力が弱い。そこで自国の使用済み燃料処分問題の解決と「国際的な原発売り込みの弱点を埋める」(経産省)ため、モンゴルに貯蔵・処分施設を造れば一石二鳥だというわけだ。さらにモンゴルには原発の燃料となるウランが豊富に埋蔵されている可能性があると見られており、ウラン燃料の安定確保も狙えれば一石三鳥ということらしい。


昨日も書いたが、使用済み核燃料というのは危険ではない状態になるまでに100万年もかかるという猛毒物質である。自分の国で出した超危険なゴミを第3国に押しつけるなんて、人間として絶対に許されることではない。たとえ地下1000メートルに埋めようと、100万年という気の遠くなるような時間である。地球のダイナミックな造山運動で隆起しないと誰に言えるのか?ちなみにWikipediaの地球史年表によれば、北京原人の出現は約50万年前。100万年というのは北京原人が出現してから現在までの2倍の長さということだ。


北京原人からホモサピエンスへ、進化ではなく退化だったのかもしれない。北京原人は自分たちを生み出し、育んでくれる母なる地球から搾れるだけ搾り取り、傷つけ、汚し、後ろ足で砂をかけるようなことはしなかったはずだから。人類という愚かな種が自滅への道を突っ走り、母なる地球に愛想を尽かされる日も近いのかも知れない。



モンゴルは国内発の原発建設を切望していて、「核のゴミ」を引き受ける見返りに、日米による技術支援で原発の建設をもくろんでいるというのは本当なのだろうか。

モンゴル核処分場計画:廃虚の村に原発の夢…現地ルポ(毎日新聞 2011/5/9/2:35 最終更新5/9/3:34

石炭など地下資源の豊富なモンゴルが原発を求めるのは、内陸国であるため輸送の点で他国との価格競争に勝てず、「これからは、原子力燃料製造など高付加価値産業を育てなければ、豊かな国は永遠に実現しない」(モンゴル政府関係者)という危機感があるからだという。


「豊かな国」ってなんだろう。

戦争に負けて、焦土から復興して奇跡の高度成長を遂げ、物が豊かになった日本で、私は生まれ育った。間違いなく物の豊かさを享受している人間だ。今はいわゆる第3世界のインドネシアに住んでいるけれど、それだって自分で好んでそうしているわけで、選択するという贅沢が許されるのは、私が経済大国日本の人間だからだ。そんな私が、物質的に豊かな暮らしがしたいという人たちに向かって、あなたはやめときなさいなんて言う権利はない。

ただ先進国、発展途上国という言い方には昔から違和感があった。この言葉にはすべての国が「経済発展」を目指すべきという前提があって、その単一のベクトルで優劣がつけられている。

けれど精神性というベクトルを取ると、この優劣はむしろ逆転する。

3世界の人たちは概してたくましく、人間らしい。プライオリティが違うだけだ。

モンゴルの人たちにはどうか自分たちの国に誇りを持ってほしい。心を売らないでほしい。母なる大地を売らないでほしい。