2011年6月16日木曜日

隠された被曝労働

ここに1本のドキュメンタリーがある。

1995年にイギリスのチャンネル4で放映された「Nuclear Ginza(原発銀座)」。

日本語タイトルは「隠された被曝労働〜日本の原発労働者〜」。

NHKで同内容での企画があったが没にされ(理由は推して知るべし)、イギリスチャンネル4の依頼で、制作、放映されたという。その後日本語字幕がつけられて日本で紹介されたようだ。



非常に抑制された映像から重いメッセージが伝わってくる。

登場する方々について少し調べてみた。


カメラとともにインタビューしているのは、写真家の樋口健二さん。

もう40年近く原発労働者の問題を追いかけている反骨の写真家だ。


岩佐嘉寿幸さんは「岩佐原発訴訟」で知られる日本初の原発被曝労働訴訟の原告。

1971年、孫請け会社の社員として、敦賀原発1号炉の格納容器内の労働で被曝した。8日後、発病。足がかぶれ、水ぶくれができ、全身がだるくなり、仕事が続けられなくなる。

1974年に裁判を起こすが、被曝が原因であったことは誰の目にも明らかであるにも関わらず、国は決して認めず、1審、2審とも訴えを退け、1991年、最高裁も上告を棄却。

17年間の裁判により精神的にも経済的にも困窮し、様々な病気を抱えながら、2001年、77歳で逝去した。

http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/372.htmlより抜粋・要約)


村居国雄さんは敦賀原発の下請け労働者であった。1970213日、原子炉建屋内の一次冷却水浄化装置のある部屋で、こぼれた水を布きれでふきとる作業をしているとき、多量の放射線を浴びた。その後、異常な倦怠感、関節の痛み、高熱に悩みつづける。

http://www.koubunken.co.jp/0050/0049.htmlより抜粋・要約)


嶋橋正秀・美智子さんご夫妻は、静岡の浜岡原発で働いていた息子の嶋橋伸之さんを1994年、29歳のとき白血病で亡くした。労災認定の裁判を起こし勝訴。初の原発労災認定となった。

http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htmより抜粋・要約)


ここに描かれているのは、隠されてきた被曝労働の実態だ。

原子力産業は、日立、東芝、三菱といったプラント会社を頂点に、底辺は孫請け、ひ孫請けの無数の下請労働者たちというピラミッド構造になっている。底辺の下請労働者というのは、農民や漁民の出稼ぎや、日雇い労働者である。

年に1回の定期点検では、放射能の強い炉心に入るため、11000人という大量の労働者をかき集めて、数分刻みの人海戦術が取られる。

放射能に対する知識もろくに与えられず、暑い現場に全身を覆う防護服とマスクをつけて入るため、息苦しく、マスクをはずしてしまったりする。

一定の放射線量に達すると警報が鳴るアラームメーターも、短い作業では作業ができないため、鳴らないようにしてしまったりする。

線量計で測定した数値も、限界に達して働けなくなることを恐れて、小さく記録したりする。


後になって、見た目はふつうなのだが異常な倦怠感、いわゆる「原発ぶらぶら病」や、様々な病気に悩まされる。しかしそれが被曝によるものだと気づかない。


こうして、一体今まで何人の原発労働者が使い捨てられてきたのだろう。


これによって分かるのは、原発というのはたとえ事故を起こさなくても、通常に運転されているときでも、誰かが被曝しなければ成り立たないということである。


資料:よくわかる原子力 原発で働く人々